artscapeレビュー
2012年01月15日号のレビュー/プレビュー
ロロ『常夏』
会期:2011/10/28~2011/11/05
シアターグリーン BOX in BOX THEATER[東京都]
80年代的なものがところどころで参照されながら、恋愛というか恋愛のドキドキ感へとひたすら向かっていく。そんな相変わらずのロロの新作は、さすがにその純情なユートピアを目指すばかりでは虚しいということか、ところどころに女子のエロいシーンだの男子のカワイコぶりっこのシーンだのがちりばめられ、お話以上に、濃密な部分を適度に避けつつ(その適度さを『週プレ』的と言ってみようか)、若さ溢れるエロティシズムを振りまく役者たちが目立った上演だった。役者たちの(とくに女優陣の)ルックス偏差値が非常に高いことは、良くも悪くも、脚本の元気なさをごまかしてしまう。バナナ学園純情乙女組に似て青春の地獄が描かれているのは間違いない。だが、若い脚本家の三浦直之は、謳歌しなかったはずの80年代的恋愛観をかせきさいだぁレヴェルで(つまり真剣に)信じている気がするのだけれど、だとすると、その思いを誰に向けて放り投げているのかがいまイチよくわからないのだ。アラフォー心をくすぐりたい? いや、そんなはずはない。そんなふうには思いたくない。だから「80年代」はロロの本質ではないとさえ言いたくなる。そうではなくて、〈不可能な恋愛〉を相手への思いだけで突破するという無茶に感動してしまうところこそロロの真骨頂で、それが見たくて、ただそれだけで、観客(少なくともぼく)は足を運ぶのだ。本作でもエビと女の子、ロボットと女の子などの〈不可能な恋愛〉は描かれていた。しかし〈不可能性〉へと問いは深まらなかった。しかし、そこにこそロロの劇的瞬間はあるのではないか、なんて思わずにはいられない。
2011/10/30(日)(木村覚)
世界の絣
会期:2011/10/14~2011/12/17
文化学園服飾博物館[東京都]
日本の絣を中心に、世界の絣の織物の文様と技法とを比較する展覧会。英文タイトルは「IKAT textiles from the world」。IKATとは「絣(かすり)」のことで、辞書によるともともとはマレー語で、しっかり結ぶという意味なのだという。日本語の「絣」は文様の境に生じる「かすれ」に由来する。斑に染め分けた糸を織り上げることで文様が浮かび上がる。現在は世界各地に見られるこの技法は、もともとインドを発祥の地として、内陸ルート、海用ルートを通じて5世紀に中国、6~7世紀にはインドネシア、そして10世紀には北アフリカに伝わったという。この技法が日本に伝わったのは7世紀であるが、広く普及したのは明治から昭和初期とされる。伝統的な技法という印象を受けていたが、その普及は意外にも新しい。技法的には経糸のみの縦絣、緯糸のみの緯絣、経糸緯糸ともに染め分けた糸を用いる縦緯絣とがあり、なかでも複雑な縦緯絣が行われているのは、日本とインドネシア、インドの一部のみだそうだ。捺染とは異なり、自在に文様を表すことはできないが、技術的な制約は独自の美を生み出す。そして類似の技術を用いながらもその美の方向性が地域によって異なっている様はたいへん興味深い。[新川徳彦]
2011/11/16(水)(SYNK)
サウダーヂ
会期:2011/10/22~2011/11/25
ユーロスペース[東京都]
山梨県甲府市を舞台にした群像劇。土方と移民とラップを中心に、薬物、売春、差別、政治、経済、労働などの社会的問題を巻き込みながら、出口のない閉塞感と空洞感を描き出す。画面の随所に現われるのは、シャッター通りと化した商店街や、さまざまな移民コミュニティ、そして国粋化してゆく若いラッパーたち。疲弊した地方都市の暗部を淡々と見せつけるリアリズムが凄まじい。この映画で描かれているような、周縁に追いやり、追い詰め、やがてほんとうに消してしまうほど人間を逼迫させる社会は、一昔前までであればどこか遠い国の過酷な現実として受け止めていたが、いまはちがう。程度の差こそあれ、グローバリズムのしわ寄せは、いまや日本中の街という街に及びつつあるからだ。しかも、一向に出口が見えないがゆえに、アルコールや薬物に救いを求め、安全な自室に閉じこもり、外国への逃避を画策し、やり場のない攻撃性を身近な他者に向けるというあがき方も、おそらく現代社会に顕著な病なのだろう。安易な希望や処方箋を示すことなく、感傷的な文学性に流されることもなく、徹底して地方都市と人間の模様を粘り強く描いた、おそろしい映画である。
2011/11/21(月)(福住廉)
ウィーン工房1903-1932──モダニズムの装飾的精神
会期:2011/10/08~2011/12/20
パナソニック電工 汐留ミュージアム[東京都]
ウィーン工房は、「総合芸術」を掲げ、建築家のヨーゼフ・ホフマン、デザイナーのコロマン・モーザー、そして実業家のフリッツ・ヴェルンドルファーによって設立された企業である。デザイン運動の文脈では、アーツ・アンド・クラフツ運動に共鳴して職人技術の復権を目指し、デザイン、生産から流通まで、すべての過程にデザイナーとクラフツマンの双方が関わる工芸家集団の誕生、ということになろうか。思想的な側面では、ものづくりに対する姿勢・思想や、アドルフ・ロースによってなされた批判との関連で論じられよう。しかし、今回の展覧会はそのような文脈とはまた異なる視点からウィーン工房を取り上げている。すなわち、工房の経営体制と彼らのものづくりとの関係、その変化が主題である。
展覧会は、経営体制の変化がデザインに及ぼした影響を明らかにする。大きな変化はふたつ。ひとつはモーザーの脱退(1907年)。これは工房経営の資金繰りに窮したヴェルンドルファーが、資産家の出身であったモーザーの妻に多額の貸付を依頼したことにモーザーが憤慨したためであるという。その結果、工房の特徴であった幾何学的な文様が失われ、花などの装飾的要素が増えていったとされる。もうひとつは1914年。ヴェルンドルファーが経営から離れ、新たな出資者を得て工房は有限会社へと移行。工場生産品を重視し利潤を追求する企業へと変化するなかで、女性向けの服飾製品、装飾品作りへと進出する。その後、経営を軌道に乗せるためにさまざまな努力がなされたものの、1929年の世界恐慌を経て1932年に閉鎖を余儀なくされるのである。工房のつくりだすものが時代によって変遷した理由は、直接的にはデザイナーや職人の異動によるものかもしれないが、デザイナーや職人が代わった原因は経営体制の問題であったことが示される。
図録に寄せられたエルンスト・プロイルの論考「ウィーン工房の経営史──波乱の末のアンハッピーエンド」は工房の財政状況を詳しく描いている。ウィーン工房は30年ほどにわたって経営を続けた。これは短い期間ではない。しかし、質の高い職人によるものづくりに対して、長期にわたり経営を成り立たせるほどの需要があったかというと、けっしてそうではない。それどころか、最初からビジネスになるような十分な需要は存在しなかったし、彼らが市場や顧客を十分に理解していたとは言えないことを指摘しているのである。ものづくりの理想は何故に破綻してしまったのか。ウィーン工房の失敗に学ぶことは多い。[新川徳彦]
2011/11/23(水)(SYNK)
トロールの森
会期:2011/11/03~2011/11/23
都立善福寺公園とその周辺[東京都]
10周年を迎えた野外の展覧会。善福寺公園のそこかしこに16人のアーティストによる作品が展示され、あわせて会期中に8組のユニットやグループによるパフォーマンスも発表された。ひときわ異彩を放っていたのは、ヤック・ピーターズ。廃材を組み合わせてつくった小さな映画館でストップ・モーション・アニメーションを見せた。公園の一角に建てられた小屋をのぞくと、内部に小さなスクリーンとプロジェクターが設置されていて、来場者が訪れるたびに、自作の音楽を伴った映像が上映されるという仕掛けだ。映像そのものはイメージが次々と変容しながら連鎖していく中庸なものだが、おもしろかったのはアーティストの身ぶりと佇まい。映像が終わると、なぜか唐突に歌を歌いだした。どんな詩を歌っているのかわからなかったし、それが映像と関係しているのかも定かではなかったが、おそらく歌も作品の一部なのだろう。来場者をもてなすホスピタリティーと、ありあわせの材料で作品を構成するブリコラージュ。ヤック・ピーターズはアーティストが本来的に旅芸人であることを、身をもって表現していたようだった。
2011/11/23(水)(福住廉)