artscapeレビュー
駅弁むかし物語──お弁当にお茶
2016年01月15日号
会期:2015/12/08~2016/03/21
旧新橋停車場「鉄道歴史展示室」[東京都]
たとえ旅行であってもビジネスであっても、鉄道の旅における楽しみのひとつはお弁当。そのお弁当──駅弁のはじまりにはいくつかの説があるそうだが、通説では明治18(1885)年の宇都宮駅が最初とされていて、すなわち2015年は駅弁誕生130周年ということになる。その記念すべき年に始まった本展は、駅弁史、駅弁制度概説から始まり、明治から戦後昭和30年代までの駅弁掛け紙、陶製弁当容器、汽車土瓶と呼ばれるお茶の容器と関連資料で構成されるとてもマニアックな構成。駅弁掛け紙については以前まとまった資料を見たことがあるが
、本展では各駅の鯛飯弁当の掛け紙を集めたコーナーが興味深い。また今回の企画で目を見張るのは汽車土瓶の数々で、総数100点を超える。その一部は鉄道歴史展示室が所在する旧新橋停車場から出土した明治時代の土瓶。益子焼、信楽焼、常滑焼、瀬戸焼、美濃焼などで、駅名が書かれた汽車土瓶専用品のほかに、山水や草花などの簡単な絵付が施されたものもある。形状としては、絃の付いた円形の土瓶型、土瓶型でも湯飲みが蓋の代わりになっているもの、円筒形や八角形のもの、文字や絵柄が浮き彫りになっているものなど、ヴァラエティに富む。土瓶型から多様な形に変化したのは、轆轤成形から型を用いた鋳込みに代わったからだ。大正期には一時ガラス瓶が用いられたが、茶が入ると尿瓶のように見えると評判が悪く、すぐに陶製に戻ったという。ペットボトルが普及する前にはポリ容器の茶瓶が用いられた時代があるが、あれはプラスチック臭がして苦手だった記憶がある。陶製の弁当容器や土瓶は再利用もされていたようだが、大正期の新聞には「現在の土瓶等は好成績の時でも僅かに三割位しか満足に戻って来ず大部分は破壊されて了ふらしいから不経済至極」 とあり、基本的に使い捨てだったようだ。もうひとつ興味深かった展示は「駅弁マナー」。夏目漱石の『三四郎』に弁当の折を窓から放り出す描写があるように車窓からゴミを投げ捨てることが一般に行なわれていたいっぽうで、投げ捨てられる汽車土瓶などで線路工夫などが怪我をすることもあったそうで、弁当の掛け紙や土瓶には空の容器は座席の下に置くようにとの注意書きがある。大正期に鉄道院が出版していた『鉄道から家庭へ』と題したマナーブック にも同様の注意が記されているところ、これは深刻な問題であったようだ。本展図録巻末には明治大正期の時刻表から抜き出した年別の弁当販売駅一覧があり、こちらも相当にマニアック![新川徳彦]2015/12/17(木)(SYNK)
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