artscapeレビュー

2013年03月01日号のレビュー/プレビュー

展覧会ドラフト2013 Project ‘Mirrors'

会期:2013/02/05~2013/02/26

京都芸術センター[京都府]

批評家の高嶋慈と美術家の稲垣智子のキュレーションで2つの「稲垣智子個展」を開催し、編集者の多田智美が展覧会カタログを制作する、というのが本展の骨子だ。高嶋は稲垣の映像作品が持つ「同一性と差異、反復」に着目して展示を構成。稲垣は旧作をアレンジしたインスタレーションや、1年ごとに継ぎ足されて未来に続く映像作品など、過去と未来のつながりを意識した展覧会をつくり上げた。2つの展覧会を見比べると、美術家と批評家という立場の違いが如実に感じられ、それだけで十分に興味深い。作品ごとで言えば、大量のケーキが並んだテーブルと、男性が女性の唇を舐め続ける映像を組み合わせた《最後のデザート》、双子のような2人の女性(あるいはドッペルゲンガー)が口論し、最後はビンタの応酬となる《間─あいだ─》、観葉植物が収められた温室の奥に窮屈な姿勢で閉じ込められた女性がいる《Forcing House》が秀逸だった。

2013/02/05(火)(小吹隆文)

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福岡現代美術クロニクル 1970-2000

会期:2013/01/05~2013/02/11

福岡県立美術館、福岡市美術館[福岡県]


福岡の現代美術を歴史化した展覧会。九州派以後の1970年からの30年間を対象に、85人の美術家による約130点の作品を通時的に展示した。
2つの美術館にまたがるボリュームのある展示を見て気がついたのは、2つ。ひとつは、松本俊夫と川俣正の存在の大きさ。本展でも明らかにされていたように、ミニマリズムや新表現主義といった流行の表現様式が福岡のアーティストに多大な影響を及ぼしたことは事実である。ただ、それにもまして、たったひとりのアーティストがひとつの表現様式に匹敵しうるほど大きな影響力を及ぼすことがありうる。それは、福岡のような適度な地方都市だからこそ可能な条件なのかもしれないが、こうした内部と外部をつなぐ人的な交流は、地方都市の今後のアートシーンを考えるうえで、重要な示唆を与えるのではないか。
もうひとつの発見は、川原田徹の存在。トーナス・カボチャラダムスの名でも知られる画家で、ブリューゲルのような細密な油彩画やエッチングを制作している。本展では、九州派以後の70年代に位置づけられていたが、これはあくまでも通時的な展示構成の必要を満たすためであって、川原田が70年代に限って制作しているわけでは、もちろんないし、時流や美術運動とはまったく無関係に制作している。つまり、展覧会の通時性はえてして直線的な歴史観を誤認させてしまいがちだが、実際の歴史は複線的であり、無数の単独者が錯綜としているものである。通時性による歴史化は表現様式や表現集団の変遷によって遂行されやすいが、しかし川原田のように、特定の表現様式や表現集団の交代劇から離れたところで活動を持続させているアーティストの存在を抜きにして歴史を物語ることはできない。「歴史」や「批評」、ないしは「研究」といった物語からこぼれ落ちてしまいがちな歴史的真実に目を配ることこそ、歴史の記述に必要とされる態度ではないだろうか。

2013/02/06(水)(福住廉)

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3331アンデパンダンスカラシップ展vol.3

会期:2013/01/26~2013/02/17

3331 Arts Chiyoda[東京都]


全国随一のアンデパンダン展として知られつつある「3331アンデパンダン」の出品作家のなかから選抜されたアーティストによるグループ展。2012年の「3331アンデパンダン」展でゲストと一般来場者によって選ばれた9名のアーティストが新作を発表した。無鑑査無賞与を原則とするアンデパンダン展本来の思想からすれば、こうした展開はいくぶん過保護のような気もするが、有象無象のなかから有望な新人を発掘することで停滞した状況を塗り替えていこうとする企画者のねらいは、理解できなくもない。
事実、今回の展覧会では、見るべき作品が比較的多かった。オーディエンス賞を受賞した駒場拓也は自然光を分解して再構成する健やかな抽象画を発表し、本展のもはや常連とも言える島本了多は肉体の形態を器の機能に転化した不気味な陶器を展示した。
なかでももっとも際立っていたのが、渡部剛である。雑誌や広告など印刷物を切り貼りしたコラージュは決して珍しくないが、渡部によるそれは量的にも質的にも徹底的に追究する執着力において他の追随を許さない。紙ものを用いる作品はえてして不必要に貧乏臭くなりがちだが、丁寧な仕事によってそれを巧みに回避しているところも好感が持てる。民芸品としてつくられている木彫りの熊の表面にカラフルな彩りを施した作品にしても、地の部分と彫りの部分を律儀に色別することで、既成の民芸品をポップにバージョンアップしてみせた。

2013/02/08(金)(福住廉)

砥上淳 写真展「弁当の味」

会期:2013/02/05~2013/02/17

Kobe 819 Gallery[兵庫県]

高齢者専門の弁当屋で配達の仕事をしている砥上は、毎日老人宅に通ううち、懇意になった数名のポートレートを撮影するようになった。作品に写っているのは、深く年輪を刻んだ彼ら彼女らの姿であり、じめっとした室内の風景である。なかには寝たきりや痴呆と思しき人もおり、室内の薄暗さや散らかり具合も相まって、つい暗い気持ちになってしまう。社会の暗部を訴えるジャーナリスティックな作品だと思う人も多いだろう。しかし、作家本人にそんな意識はないらしく、あくまでも客観的に対象と向き合っているのだと言う。だとしたら、筆者が作品から感じた問題意識は、自分自身に潜む偏見なのだろうか。写真を通して自分の未知の一面を垣間見た。

2013/02/09(土)(小吹隆文)

渡部雄吉 写真展 張り込み日記

会期:2013/02/02~2013/03/03

Gallery TANTO TEMPO[兵庫県]

1958年に実際に起こった殺人事件の取材を許された渡部雄吉(故人)は、2人の刑事に同行して、捜査状況を捉えた写真シリーズを撮影した。それらは、ドキュメントでありながらどこかフィクショナルでもあり、フィルムノワールのスチール写真だと言われたら信じてしまいそうな雰囲気に満ちている。また、作品に写り込んだ昭和30年代の街並みや風俗も貴重である。そもそも、殺人事件の捜査に一写真家が同行するなど今日ではありえず、それだけでも本作の価値は揺るぎないだろう。長らく誰も存在を知らなかった彼の作品が注目を集めたのは、2011年秋のこと。フランスの出版社が写真集を出版し、各地で受賞したことがきっかけだ。本展では、渡部の子息の了承を得て、残されたネガからニュープリントした作品を展覧。また、フランスの出版社とは異なる構成で新たに写真集を出版することも計画されている。さまざまな意味で目が離せない展覧会である。

2013/02/09(土)(小吹隆文)

2013年03月01日号の
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