artscapeレビュー
2013年10月01日号のレビュー/プレビュー
花開く江戸の園芸
会期:2013/07/30~2013/09/01
江戸東京博物館[東京都]
江戸時代のガーデニングを紹介する展覧会。園芸を楽しむ人びとやその光景を描いた浮世絵や屏風絵、摺物のほか、関連する資料などが展示された。
石によって構築されたヨーロッパの都市に比べて、木によって構成された江戸には、かねてから緑が豊富だったことはよく知られている。本展を見ると、植物を愛でる文化が当時から盛んだったことがよくわかる。
江戸の園芸文化を爆発的に広げたのが、植木鉢の普及である。これにより栽培と販売の両面にわたって植物は人びとの日常生活の隅々にまで行き渡った。四季に応じて色とりどりの草花を楽しむ営みが江戸の風物詩になったのである。
ただ、この園芸文化の起源が植木鉢に求められることは事実だとしても、より正確に言えば、それは植木鉢が設置される空間、すなわち路地である。もともと狭い路地に、それでもなおおびただしいほどの植木鉢を並べることで、たんに機能的な路を色鮮やかに装飾したのだ。これはすぐれて美学的な問題であることは明らかだ。
たとえばジェントリフィケーションの渦中にある下町では、旧住民の植木鉢が交通の障害になるとして、新住民がその排除を訴えることが多いと聞く。しかし、本展で詳らかにされていたように、これまでも生活と園芸は分かち難く結ばれていたし、それゆえ路地と植木鉢は決して切り離すことはできない。このことを理解できない新住民こそ、草花の美しさやそれらを愛でる感性を磨くべきだろう。
2013/08/31(土)(福住廉)
和田昌宏 個展 RECORRIDO ARQUEOLOGICO #1
会期:2013/08/14~2013/09/01
Art Center Ongoing[東京都]
気鋭のアーティストとして注目を集めている和田昌宏の個展。アーティスト・イン・レジデンスによって滞在したメキシコでの体験をもとにした映像作品を発表した。アート系の映像というより、むしろちょっとした物語映画のような完成度を誇る、すばらしい作品である。
映像は、和田自身がメキシコに滞在中に襲われた原因不明の体調不良に始まり、次いでその折に夢に出てきた謎の建築物の意味を解明するために祈祷師や分析医を訪ね歩いていくという設定だ。随所に、メキシコ滞在中に撮影されたスナップ写真を差し込むなど、巧みな編集によって鑑賞者をぐいぐいと映像のなかに引き込んでいく。和田が夢のなかで謎の建築物にとりつかれたように、その映像を見る私たちもまた和田の映像に巻き込まれていくようだった。
しかし、翻って和田がメキシコで何をしたのかをよくよく考えてみると、要は現地でダウンし、その後徐々に回復したとはいえ、レジデンスの成果をメキシコで発表したわけでもなく、街中でおもしろい写真を撮影しただけである。今回発表された映像作品は、言ってみれば事後的に編集した物語にすぎない。現地での交流や発表を求めるアーティスト・イン・レジデンス事業の基準からすれば、とても満足できる内容ではないはずだ。
しかし、だからこそ、和田昌宏の力業を評価したい。たとえ祈祷師の預言が出鱈目であったとしても、あるいは体調不良という出発点すら事実ではなかったとしても、それらを清濁併せ呑みながら、すべてをひっくるめて、いかにも真実として仕立て上げることが芸術の役割だったからだ。アートとは、いや、アーティストとは、本来的にそのような職能なのだ。
2013/09/01(日)(福住廉)
東北画は可能か?
会期:2013/08/31~2013/09/23
ARTZONE[京都府]
東北芸術工科大学の美術科日本画コース准教授の三瀬夏之介と、同洋画コース准教授の鴻崎正武により、2009年から始められたチュートリアル活動(教員と学生が共に取り組む課外活動)である「東北画は可能か?」。山形で、東北で、日本で、絵を描くことの意味を問い続けるこの活動は、決して明確な解答が得られるものではない。そもそも「日本画」「洋画」というジャンル分け自体が曖昧なのだから、さらに「東北画」を加えたところで屋上階を重ねるだけだ。しかし、彼らが言うとおり「問い続ける」ことには意味がある。アーティスト活動とは「問い続ける」ことの連続にほかならず、ジャンルはその後についてくる。すなわち「東北画」とは、彼らにとって突破口を見つけるためのキーワードにほかならない。今回は、同校OB、大学院生、学部生の作品と共同作品が展示された。作風や素材はさまざまだが、関西では見慣れないタイプの作品があったのもまた事実である。伝統文化の濃度が濃い関西で、彼らが放ったカウンターパンチの影響は決して小さくないだろう。
2013/09/03(火)(小吹隆文)
田口行弘 展「Makeover」
会期:2013/08/17~2013/09/14
無人島プロダクション[東京都]
和田昌宏とは一味違った妙味を見せたのが、田口行弘である。ドイツを拠点にしながら世界各国を渡り歩いているが、本展ではその旅の軌跡を各地で制作した映像作品によってたどった。
田口といえば、ストップモーションアニメ。人や物を少しずつ動かしながら写真に撮影し、それらをつなぎ合わせて動画として見せる。本展でも、現地の人や物を被写体にしたストップモーションアニメを存分に披露した。とりわけキューバの作品は、鮮烈な色彩と軽快な音楽が相まって、映画『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』のような空気感を醸し出していた。
今回改めて注目したのは、田口の作品に流れる時間性である。これまで気がつかなかったが、田口の作品は基本的には通常の時間軸に沿いながらも、時間に逆行する一面もあるのだ。ストップモーションアニメが時系列に則って編集されていることは言うまでもない。ただ、随所で用いられているクローズアップの先に場面転換を図る手法だけは、過去に遡行している。そのクローズアップの先に用意されている写真は、過去に撮影していなければこの世に存在しないからだ。すなわち、先へ先へと進んでいく時間性に基づきながらも、要所要所で過去へ立ち戻るのだ。
それゆえ、作品の全体を見渡してみると、田口の作品は未来へ向かって前進しているように見えるが、じつは明らかに過去へ向かっている。ここにベンヤミンが示した後ろ向きの天使のモデルを重ねることもできなくはない。けれども、田口のストップモーションアニメの醍醐味は、言ってみれば進歩主義の身ぶりを呈した回帰主義にあるのではないだろうか。進歩主義を無邪気に信奉する時代は終わった。今後は、進歩のふりをして回帰する、いや回帰することが進歩になりうるという時代になるはずだ。田口行弘の作品には、その時代の変転が刻まれている。
2013/09/04(水)(福住廉)
「新・博多粋伝。」──織と人形の若いクリエーターたち
会期:2013/08/24~2013/09/08
東京ミッドタウン・デザインハブ[東京都]
後継者の確保と育成。新商品の開発。新市場の開拓。「伝統工芸」はどの地域でもどの製品でも同様の課題に直面していると思われる。つくり手がいなくなってしまっては振興もなにもないので、後継者の育成はもっとも関心が持たれる分野であろう。しかし、後継者不足は商品の魅力、産業の未来が不透明であるためでもあるので、こうした課題は同時に解決していかなければ具体的な姿を描くことは難しい。
本展は、福岡市伝統的工芸品振興委員会などが主催し、博多の織と人形の、若いつくり手と製品を紹介するもの。すなわち後継者の育成と新商品の開発に焦点をあてている。博多織は鎌倉時代に生まれ、その後、黒田長政が幕府に献上したことから、「献上博多織」の名で知られている。もともとは男性職人が中心であったが、現在は女性が増え、新しいデザインが生まれ、帯ばかりではなく着物の生地もつくられているという。博多人形は誕生して400年余。素焼きの陶器に着彩してつくられる。時代に応じてさまざまな意匠の人形がつくられてきたが、今回の目玉はアニメーション「秘密結社 鷹の爪」とコラボレーションした人形。伝統的な意匠の人形のほか、現代的なモチーフの作品が並んだ。また、九州産業大学との協働によるカジュアルな人形の提案も興味深いものであった。地方の伝統工芸の振興においては、しばしば外部デザイナーによるデザインの導入も見られるが、博多織や博多人形においては、伝統的な技術を学んだ職人の新しい発想に期待しているところが大きいのではないかという印象を受けた。技術と意匠とが不可分であるということも言えようが、ものづくりを維持するだけではなく、博多織・博多人形ならではのアイデンティティを考えるならば、当然の方法であろう。[新川徳彦]
2013/09/06(金)(SYNK)