artscapeレビュー
2013年10月01日号のレビュー/プレビュー
ジリアン・ネイラー『アーツ・アンド・クラフツ運動』(川端康雄+菅靖子 訳)
発行日:2013年6月11日
発行所:みすず書房
価格:4,800円(税別)
サイズ:A5判、352頁
19世紀後半に英国で興り、西洋諸国だけでなく、東アジア、日本の民芸運動にも影響を及ぼしたデザイン運動の「アーツ・アンド・クラフツ」。基本的には、手工芸の復興を目指す運動だが、社会改革や環境保全に深く関わる社会運動でもある。近年では2008年から翌年にかけて、『生活と芸術──アーツ&クラフツ展 ウィリアム・モリスから民芸まで』と題した、同運動の国際的展開を扱った展覧会が日本でも行なわれたので、ご記憶の方も多かろう。これに関する著述としては、古典的必読書とされるG・ネイラーの著作(『アーツ・アンド・クラフツ運動──その源泉、理想、デザイン理論への影響の研究』。原著は、初版:1971, Studio Vista、第二版:1990, Trefoil Publications)が翻訳刊行された。本書のあとがきで訳者が述べるに、この著作の独自性は以下の四つ。1)アーツ・アンド・クラフツ運動が開始される前史の記述に詳しいこと。2)当時にいくつも設立された工芸団体の実践が、時代の文脈のなかで詳述されていること。3)1880年代以降の、同運動の国際的な影響と個別的展開が記述されていること。4)20世紀前半の北欧デザインの発展が、同運動の抱えた矛盾をカヴァーし、豊かな成果が見られた点について強調していること。図版も多く収録され、アーツ・アンド・クラフツの全史を知るに最適な本である。[竹内有子]
2013/09/10(土)(SYNK)
新世代アーティスト展 in Kawasaki「セカイがハンテンし、テイク」
会期:2013/07/20~2013/09/29
川崎市市民ミュージアム[神奈川県]
今年25周年を迎える川崎市市民ミュージアム。「セカイがハンテンし、テイク」展は、8人(組)の若手アーティストをフィーチャーし、「現代のコミュニケーションのありようを考える」をテーマとした新作の企画展である。しかし、「現代のコミュニケーション」を主題としながらも、興味深いことにこの十数年に登場した新しいメディアを全面に出した作品はほとんどない。
高田安規子・政子の作品はミニチュア。豆本、あるいはミュージアムのある等々力公園内各所に配置された小さなツリーハウス、サッカー場のネットやプールのフェンスに仕込まれたミニチュアのネットやフェンス は、普段は意識しないモノのスケール感を意識にのぼらせる仕掛け。藤村豪・内野清香《猫は歩き、私たちは出会う》は、川崎市内の小学生約7万人を巻き込んだプロジェクト。子どもたちに地元で見かけた猫について記述してもらい、集まった大量のデータを地域や猫の色、模様などによって分類する。子どもたちはそれぞれが別々の猫について書いているようにみえるが、分類と整理によって同じ猫と思われるものの姿が浮かび上がってくる。安西剛《Somewhere in the Ballpark》 は、なんらかの出来事で私たちの時代と断絶してしまった未来を舞台にした映像作品。野球場(ロケ地は等々力公園内の球場だ)で掘り出されたプラスチック製品を手にしたふたりの男がその道具に名前を付け、用途を議論する。冨永昌敬・土田環《20世紀の事故》 は、一組の男女の姿を、異なる三つの視点、あるいは少しずれた三つの時間軸でとらえ、それを三つの画面で同時に映し出す映像作品。狭い家の中で互いを探しながらもすれ違う二人。タイミングがずれることによって生じる異なる結末あるいは悲劇が描かれる。北上伸江《RGB Home Video》は作者の兄弟を写したホームビデオの映像をRGBの3色に分解し、一コマ一コマを手書きでトレース、着彩し、それを再び重ね合わせてつくりあげられた映像。元の映像のディティールは消え、作者の記憶の中の映像を覗き込んでいるかのようなイメージが現われる。中村土光《誰かのドライブインシアター2013》 は、川崎市内のタクシー運転手たちに「誰か」の物語を語ってもらうというドキュメンタリーの形式を借りた作品。鑑賞者は会場に運び込まれた実物のタクシーに乗り、スクリーンに映し出された映像を鑑賞する。彼らが語る「誰か」は、男性であったり女性であったり、家族であったり恋人であったりするようなのだが、語られる言葉の輪郭は曖昧として掴みどころがない。結局のところ、私たちはそれぞれが自分自身がつくりあげたイメージのなかで、彼らの語る人物を見ていることに気づかされる。aricoco《Runningway Furoshiki Project》は、布などでできた移動可能なシェルターを使ったインスタレーション。録画映像によれば、コクーン(繭)に納まった人々が緊急を伝えるサイレンとともに繭を畳んでガスマスクを身につけて集団で避難を始める。繭には身を守るものというイメージがあったが、それすらも安全な場所ではないということだろうか。ラファエル・ローゼンダールは、ウェブ上にインタラクティブな作品をつくり、それをドメイン名ごと販売しているアーティスト。その作品はインターネットを通じて世界中からアクセスできる。《looking at something.com》のモチーフは雨。トラックパッドを操作すると、雷鳴が轟き雨が降り、あるいは空が晴れて小鳥がさえずる。人間がコントロールするバーチャルな自然を極めてミニマルなかたちで表現している。
出品されている作品の多くに共通してみることができるのは「ズレ」である。スケールのズレ、時間のズレ、タイミングのズレ……。本来あるべき形に対して少しずれた姿を示すことで、日頃私たちが無意識に捕らえているものの形を意識にのぼらせる。そしてもうひとつは、コミュニケーションの「不在」。《20世紀の事故》では一声かければ、二人はすれ違うことがなく、悲劇も起きなかったかもしれない。タクシーの運転手さんに質問をすれば、彼らが語る人物ももっとはっきりしたイメージとしてとらえられるかも知れない。私たちは同じものを見ていたとしても、それが同じように見えているとは限らない。違うものについて語っているつもりでも、じつは同じものについての話かも知れない。コミュニケーションをとっているつもりでも、そこにはズレがあるかも知れない。作品の前でもどかしさを覚えるとき、じつはどのようなメディアを媒介としていてもコミュニケーションの本質は変わらないことに気づかされる。ここにあるのは、直接的であれ、ものやメディアを介した間接的なものであれ、コミュニケーションをどのように表現しうるかについてのケーススタディである。
同期間にはアートギャラリーで二つの展覧会も開催されていた。「夜が明ける頃」(アートギャラリー1・2)は、巨匠と呼ばれる写真家、ポスター作家たちが、アーティストを目指し、まだ評価が一定していなかった若き時代の作品を紹介するもの。「柴川敏之|2000年後の今に触れる☆プロジェクト|PLANET TACTILE」(アートギャラリー3)は、2000年後に発掘された現代社会をテーマとした柴川の作品と、川崎市内の特別支援学校の生徒とのワークショップ作品。新世代のアーティストを支援するという本展示、館のテーマである「複製技術時代以降の芸術」、そして「川崎市」という地域の美術館・博物館が果たすべき役割と呼応したよい企画であった。[新川徳彦]
2013/09/11(水)(SYNK)
2013 イタリア・ボローニャ国際絵本原画展
会期:2013/08/17~2013/09/23
西宮市大谷記念美術館[兵庫県]
イタリアのボローニャで毎年開催される絵本の国際見本市にともなって行なわれる、コンクール(原画)の入選作を集めた展覧会。今年のエントリーは64カ国/3,000名を超えてこれまでで最大規模となり、24カ国から77名(そのうち日本人は16名)が入選作に選ばれた。応募要件は、「5枚一組のイラストレーション」であること。展示作だけをみても、使われるメディアも表現方法も作風も多種多様。フェルトの人形と模型でつくった物語世界を写真で撮影したものや、布と糸、加えてフランス刺繍にアップリケでつくられたもの、布に手描き染めをした作品等々。5名の審査員が見て判断材料としたのは、「作品の質・美的要素・独創性・物語性・内容」だという。さらなる選考基準は、「5枚のイメージがひとつの組となって物語を視覚的に表現していること」「イラストレーターが読者に情報とアイディアを伝えていること」。これは「イラストレーション」という言葉の意味をよく表わしていよう。また、特別展示「ボローニャ発世界へ──絵本作家たちの挑戦」では、同見本市への入選を通じて活躍中の21名の日本人作家の原画が展示されるとともに、それが大量に複製された媒体であるところの消費物たる「絵本」も手に取って読むことができる。[竹内有子]
2013/09/12(月)(SYNK)
涼をよぶロマンキモノ展──夏の愉しみ
会期:2013/07/18~2013/09/24
神戸ファッション美術館[兵庫県]
NPO法人京都古布保存会の所蔵品より、大正・昭和初期の夏の着物と帯を紹介する展覧会。また、当時人気の高かった高畠華宵(1888-1966)や中原淳一(1913-1983)などの挿絵や美人画をもとに着付けとヘアメイクを再現したマネキンも併せて紹介している。当時の夏の和装は、絽や紗の透ける素材に流水や波頭などの水を連想させるモチーフや、朝顔や百合などの草花模様が大胆に施されており、着る人だけではなく、見る人にまで清涼感を与えてくれる。蒸し暑い日本の夏、暮らしのなかに涼を取り入れるための先人たちの知恵と工夫を垣間見ることができる。もちろんその美しさも。[金相美]
2013/09/12(木)(SYNK)
劇場版タイムスクープハンター─安土城 最後の1日─
会期:2013/08/31
新宿ピカデリー[東京都]
天皇や武将による大文字の歴史ではなく、名もなき庶民による小文字の歴史。テレビドラマ「タイムスクープハンター」が画期的なのは、前者の歴史観に呪縛された従来の大河ドラマや時代劇とは対照的に、後者の歴史観をみごとに映像化したからだ。ほとんど無名の役者を採用し、手持ちのカメラで撮影した臨場感のある映像には、白々しいセットと大仰で華美な着物、そして不自然極まりない大立ち回りで粉飾された時代劇には望めない、歴史の入口がある。
本作は、そのテレビシリーズの映画版。映画ということも手伝って、いつも以上に有名な役者やお笑い芸人が出演していたが、これが無名の役者によるリアリズムと、タイムワープによって歴史の真相を解明するというフィクションのバランスを著しく欠いていた面は否めない。ただ、そうだとしても、歴史の無名性を鮮やかに浮き彫りにするという本作の本質的な魅力は損なわれていなかったように思う。
何より素晴らしかったのは、博多の商人で茶人の島井宗叱を演じた上島竜兵である。物語のキーパーソンである小男を、彼以外では考えられないほど、みごとに演じた。映画の全体が上島竜兵に始まり、上島竜兵で終わったと言っても過言ではない。
翻って美術の現場に眼を転じたとき、アウトサイダーアートをはじめとする、大文字の美術を解きほぐす脱構築の試みは数々あったにせよ、「タイムスクープハンター」のような優れた視覚表現と比べてみれば、いずれも不十分と言わざるをえない。こう言ってよければ、アウトサイダーアートの限界は、「アウトサイダーアート」という冠によって、その質が正当に評価されにくい点にあるからだ。だが、本作が上島竜兵という突出した才覚に恵まれた役者によって支えられていたように、無名性の美術といえども、いや、だからこそ、その内実の質が厳しく問われなければならないのではないか。
2013/09/12(木)(福住廉)