artscapeレビュー
2017年03月15日号のレビュー/プレビュー
鋤田正義「SUKITA/M BLOWS UP David Bowie & Iggy Pop」
会期:2017/01/19~2017/03/06
キヤノンギャラリーS[東京都]
鋤田正義といえば、デヴィッド・ボウイをモデルとした数々のポートレートの名作が思い浮かぶ。昨年のボウイの突然の死去もあって、ベルリン時代の傑作『HEROES(英雄夢語り)』(1977)のレコードジャケットに使われた、あのミステリアスな雰囲気のポートレートをはじめ、1970~80年代の鋤田の写真を目にする機会も多くなった。今回の展示では、ボウイとともに、彼の盟友と言ってよいロック・ミュージシャンのイギー・ポップのポートレートがフィーチャーされている。
イギー・ポップは1977年に、ボウイがプロデュースしていた彼のアルバム『The Idiot』のプロモーションのために初来日した。その時、鋤田は「原宿の小さな貸しスタジオで、デヴィット・ボウイを一時間、イギー・ポップを一時間、フォトセッションすることができた」のだという。今回の展示では、このときの写真をはじめとして、2人のミュージシャンのそれぞれの軌跡に寄り添った写真が並んでいた。
音楽関係の写真展では、会場構成に凝ることが多いのだが、本展ではあえて「ザ・写真展」を目指したのだという。大判に引き伸ばされたモノクロームのポートレートが淡々と並び、写真家とモデルたちとの緊張感あふれる「セッション」のプロセスが鮮やかに浮かび上がってくる。鋤田の、ポートレート写真家としての技量とテクニックを、充分に堪能することができた。それにしても、70年代のポップ・カルチャー・シーンを撮影した写真には、独特の生命感が息づいているように感じる。スターが、スターとしての輝きを放っていた最後の時代だったということなのだろうか。
2017/02/14(火)(飯沢耕太郎)
独儀:七つの息
会期:2017/02/14
KAAT 神奈川芸術劇場[神奈川県]
ジェン・シュー「独儀:7つの息」@KAAT。彼女の出自でもある東ティモール、台湾のほか、韓国、ベトナム、インドネシアなど、アジア各地の音楽と言語が混在しつつ、伝統音楽を前衛的に歌い、奏でる唯一無二のパフォーマンスだった。そして最後に英語で自作を解説する。それにしても、声のいいこと。それだけで圧倒的に聴かせてしまう。
2017/02/14(火)(五十嵐太郎)
和田礼治郎/アリエル・シュレジンガー
会期:2017/01/27~2017/02/25
SCAI THE BATHHOUSE[東京都]
久しぶりのSCAI THE BATHHOUSEへ。和田礼治郎・アリエル・シュレジンガー展を見る。2人とも筆者が芸術監督をつとめた「あいちトリエンナーレ2013」に参加した作家だ。和田は、ガラスに挟まれた果実が腐り、落下していく作品から、巨大な真鍮板を果物の酸が腐食させる《VANITAS》に展開する。その表現は日本画のようにも見え、興味深い。アリエルのガスバーナーが自らガスボンベを焼く作品《Gas Loop》は、トリエンナーレへの出品を依頼するきかっけになった作品だ。
2017/02/14(火)(五十嵐太郎)
写真分離派「写真の非論理──距離と視覚」
会期:2017/02/09~2017/03/26
NADiff Gallery[東京都]
1963年生まれの3人の写真家(鷹野隆大、松江泰治、鈴木理策)と2人の批評家(清水穣、倉石信乃)によって2010年に結成されたのが「写真分離派」。その後も、デジタル写真vs. 銀塩写真といった不毛な議論を超えて、写真の表現可能性を本質的に見つめ直す活動を続けてきた。NADiff Galleryでは2回目となる今回の展示には、鷹野隆大と松江泰治が写真作品を、倉石信乃が映像作品(須山悠里との共作)を発表し、清水穣がコメントを寄せていた。鈴木理策が不参加(脱退ではないようだ)なのが気になるが、メンバー個々の現時点での問題意識がしっかりと表明された、充実した展示だった。
鷹野の「ピントが合う少し前の風景」(2010~13)は、いわゆるシャッターチャンスの前後の、ややブレた画像によるヌード/ポートレートのシリーズである。そこでは「距離を測り、視角を決める」という、写真撮影における選択のあり方が問い直されている。松江はツァイト・フォト・サロンでのデビュー個展(1985)で展示された「TRANSIT」シリーズと、未発表の《Hashima》(1983)を合体させてモニターで上映した。過去の作品への自註/再構築という趣がある。倉石の「写真の位置、メモ」は、1923年の関東大震災直後の東京を撮影した水彩画家、三宅克己の写真の複写にコメントを加えて、東日本大震災と写真との関係を考察しようとしている。それぞれ方向性はバラバラだが、「距離と視覚」という問題意識が、緊張感のある取り組みの姿勢で共有されていた。
なお展覧会にあわせて、2010年以来の活動のレポートが同名の書籍にまとめられた(発行=エディション・ノルト)。メンバーによる対談、座談会の記録のほか、須田一政、杉本博司、荒木経惟へのインタビューも含んでおり、読み応えのある内容である。
2017/02/15(水)(飯沢耕太郎)
伊藤義彦「箱のなか」
会期:2017/01/13~2017/03/04
PGI[東京都]
伊藤義彦は1980年代から、あらかじめ図柄を決めてフィルム一本分を撮影し、そのコンタクトプリント(密着焼き)を作品として提示するシリーズを発表してきた。その後、2000年代になると、画像をプリントした印画紙を引きちぎり、その繋ぎ目を斜めに削ぎ落として横長に貼り付けていく「写真絵巻(psychography)」のシリーズを制作するようになる。今回PGIで展示された「箱のなか」もその延長上にある作品で、《雨垂れ》(2007)、《亀と蛙》(2009)、《人形》(2009)など19点が並んでいた。
伊藤の仕事は、一貫して写真というメディアを通じて現実世界をどのように把握し、定着するかを問い直すコンセプチュアルな営みである。だが、方法論のみが先行する堅苦しさはまったく感じられない。むしろ、彼の柔らかな感受性や好奇心がいきいきと発揮されていて、見ていると気持ちがほぐれていく。近作では、それにやや奇妙なユーモアも加わってきた。残念なことに、「写真絵巻」の制作に必要な薄手の印画紙が手に入らなくなったために、違う手法を模索しなければならなくなったという。それでも、彼のことだから、新たなテクニックを編み出して、さらなる視覚世界の探求を続けていくのではないだろうか。
ところで、会場には、伊藤と彼の仲間たちが、1979~81年にかけて南青山で運営していた写真ギャラリーOWLのリーフレットも置いてあった。OWLでは、伊藤だけでなく、田口芳正、矢野彰人、島尾伸三、長船恒利らが、クオリティの高い作品を発表していた。本レビューでも何度か書いているが、この時期の日本の「コンセプチュアル・フォト」について、そろそろ本格的な調査・研究を進めていくべきだと思う。
2017/02/15(水)(飯沢耕太郎)