2021年09月15日号
次回10月1日更新予定

artscapeレビュー

室伏鴻『Krypt──始めもなく終わりもなく』

2012年11月01日号

会期:2012/10/20

鎌倉生涯学習センターホール[神奈川県]

舞踏家・室伏鴻の希有な所作に〈言葉を漏らす〉というものがある。踊りの最中、不意に喋る。踊りがたいていの場合踊り手の陶酔とともに生じるとすれば、その酔いを自ら醒ますかのように言葉が踊り手の肉体から漏れる。本作では、60分ほどの上演が40分を超えたあたりだったか、94才の認知症だった母が昨晩亡くなったと言葉が漏れ出した。火葬した骨の話に及ぶと、全身を銀色に染めた男の肉体にも同じ骨が、いつか白い灰と化す骨が存在していることへ、思いは吸い寄せられた。非人間的というよりも非有機的に見える銀の肉体は実際のところ生ある存在であり、そしていつか死する存在である。そして、そう思ったときはたと気づいたのは、室伏は死の側から生へ向けて踊ってきた踊り手だった、ということだった。大抵、踊り手は陶酔し忘我へ至ることで死へと接近するものである。とすれば、それとは反対に、室伏はずっと死者として舞台に立っていたのではないか。おかしな、矛盾した表現だが、室伏は生の衣を纏った死者である。そう考えると道理が行く。そうであるならば、core of bellsの瀬木俊を中心とした若い音楽家たちの演奏が室伏の踊りにフィットしていると感じさせたのは、彼らの振る舞いが、盆に親と帰省した孫が亡き祖父とおかしな交信をしているようなものだったからかもしれない。「おかしな」と書いたが、若い音楽家たちは室伏の踊りを認めながら、踊りに従属することなく、ギャップを抱えながらうまく遊んでいたということだ。死者があらかじめ「出(ex-)てしまった存在」であるとして、その死者・室伏の存在が硬直化するのを回避し、死者が死者のまま活性化しうるとすれば、そうした「おかしな交信」を実行してしまう他者の存在が必要なのかもしれない。

2012/10/20(土)(木村覚)

2012年11月01日号の
artscapeレビュー

文字の大きさ