2021年10月15日号
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artscapeレビュー

森村泰昌「なにものかへのレクイエム─戦場の頂上の芸術」

2010年04月15日号

会期:2010/03/11~2010/05/09

東京都写真美術館2階展示室・3階展示室[東京都]

おそらく今年の写真・映像の展覧会でもっとも話題を呼ぶものになるのではないか。東京都写真美術館の2階、3階の展示室、さらに2階カフェの壁まで全部使った、渾身の森村泰昌劇場である。
森村はこれまで美術史のなかの登場人物、女優やポップスターなどに「成りきる」パフォーマンスを展開してきたのだが、2006年の個展「烈火の季節/なにものかへのレクイエム・その壱」(ShugoArts)での三島由紀夫を皮切りに、20世紀を代表する男たちを変身の対象に選ぶようになった。なぜ20世紀なのか、またなぜ女性ではなく男性なのかということについては、彼なりの理屈づけはあるだろう。だが、それをとりたてて問いただす必要もなさそうだ。以前にも増してやりがいのあるテーマに対して、アーティスト魂が燃え上がったということでいいのではないだろうか。
実際、第一章「烈火の季節」(三島由紀夫、浅沼委員長暗殺)、第二章「荒ぶる神々の黄昏」(レーニン、ヒトラー、ゲバラ、毛沢東など)、第三章「想像の劇場」(ピカソ、デュシャン、ダリ、クライン、手塚治虫など)、第四章「1945・戦場の頂上の旗」(天皇とマッカーサー、タイムズスクエアの戦勝パレード、硫黄島、ガンジーなど)という流れの展示を見ると、その何者かに「成りきる」という行為への凄まじい精神と肉体の傾注ぶりに圧倒され、呆然としてしまう。何かに取り憑かれたようなエネルギーの集中と爆発は、もはや神業の域にまで達しているといってよい。
だが、その怒号と叫びが耳に残るパフォーマンスをシャワーのように浴びて、ぐったりと疲れて帰途についた時、どこか釈然としないものが残る気がした。たしかに、いまこの不透明で閉塞感に沈み込む21世紀にあって、くっきりとした輪郭と、凛とした存在感を保つ20世紀の「男」たちを希求する思いは伝わってくる。しかも彼らは単なるマッチョな権力主義者というだけではなく、硫黄島に兵士たちが白旗を立てる新作の映像作品「海の幸・戦場の頂上の旗」が示すように、むしろ暴力的な世界の中で脆さや弱さを隠そうとしない、名もなき無名の庶民たちの代表でもある。その意図の真っ当さは認めざるをえないのだが、以前の森村の作品にあった、どこに連れていかれるのかわからないようなワクワク感があまり感じられなかったのだ。
パフォーマンスがあまりにも完璧過ぎ、これまた以前の森村の作品の中にあふれていた賑やかなノイズが、やや削ぎ落とされているように感じるためなのかもしれない(むろん細部に遊びは仕組まれているが)。「永遠の芸術万歳」「私は独裁者にはなりたくありません」「人間は悲しいくらいにむなしい」といったメッセージが、ストレートに突き刺ささり、思考の水路がとても狭く閉じてしまう。森村自身『美術手帖』(2010年3月号)に「ようやく『20世紀の日本の私』という、どうにも動かせない自分の原点に触れることができた」と書いているのだが、この「動かせない」というのは諸刃の剣ではないだろうか。よもや「20世紀」や「日本」や「私」の絶対化につながることはないとは思うが、もしかするとそんなふうに思う人も出てくるのではと案じてしまうほどの憑依力の強さなのだ。次の作品で、「あれはあれで」とアカンベーをしてくれるくらいだといいのだが。

2010/03/17(水)(飯沢耕太郎)

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