artscapeレビュー

2011年09月15日号のレビュー/プレビュー

藤島武二・岡田三郎助展:女性美の競演

会期:2011/07/28~2011/09/04

そごう美術館[神奈川県]

ともに明治維新前後に九州に生まれ、曾山幸彦の画塾に学び、時期は違うがヨーロッパに留学し、東京美術学校で教えるという同じような道を歩んだ藤島武二と岡田三郎助。ふたりとも女性美を追求した人物画でも定評があるが、今回はその女性像を中心とした展示。ここまで共通点が多いと、どれがだれの作品かわからなくなり、2人展としての意味がなくなりかねないが、このふたりは初期作品を除いて作風はかなり異なっている。藤島が平面的でメリハリのある画面をつくるのに対し、岡田はぼんやりとしてなめらかな絵肌を得意とする。いってみれば、「モダニスト=藤島」vs「古典主義者=岡田」の違いであり、それがおそらく美術史上の評価の違い(藤島のほうが上)にも反映されているのではないか。でもぼくはよりキッチュ度の高い岡田に軍配を上げたい。

2011/08/14(日)(村田真)

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建築系ラジオ・ツアー

会期:2011/08/15~2011/08/17

石巻市、牡鹿、石巻市雄勝、南相馬市[宮城県、福島県]

建築系ラジオのツアーで、被災地をめぐる。福島の南相馬市から岩手の大船渡まで、三日間で10カ所以上を訪れ、女川ではキャンプを行う。多くの参加者は初めてだったが、筆者にとっては3.11以降、平均して三度目、五回目の場所もあった。今回は瓦礫の山による新しい地形の出現、もはや街が破壊されたことを想像しにくいくらい片付いた場所が生まれていること、すでに廃墟に草が生い茂っていることなどが印象に残る。
なお、南相馬市では、芳賀沼整による仮設住宅群、五十嵐太郎研究室(吉川彰布、村越怜)が基本設計を担当した集会場とその四面の外壁に描かれた彦坂尚嘉による壁画を見学した。

上:陸前高田の新しい地形
中:雑草が生い茂る南三陸町
下:彦坂尚嘉による南相馬市集会場壁画

2011/08/15(月)~08/17(水)(五十嵐太郎)

フランシス真悟“Veils”

会期:2011/08/05~2011/08/20

ギャルリーパリ[神奈川県]

フランシス真悟ってイヴ・クラインの息子だっけ? ってくらい青の使用量が多い画家だが、今回は赤紫の大作を出品。タイトルの「ヴェール」のごとく青や赤の絵具を何十回も塗り重ねて深い色合いを出している。画面の上下に少し残した余白が効果的だ。関係ないが、このギャラリーの入ってる三井物産横浜ビル(明治44年竣工)は8月に100歳を迎えたそうだ。この雰囲気のある空間は長く残してほしいものだ。

2011/08/16(火)(村田真)

宇井眞紀子「アイヌ、風の肖像」

会期:2011/08/17~2011/08/30

銀座ニコンサロン[東京都]

小栗昌子の「フサバンバの山」もそうなのだが、このところ腰を据えて特定の地域、人物などを撮影するドキュメンタリー写真のあり方が気になってきている。宇井眞紀子が新泉社から刊行した同名の写真集の刊行にあわせて開催した「アイヌ、風の肖像」展でも、写真撮影の行為の“原点”を志向するような営みに、強く心惹かれるものを感じた。小栗も宇井も女性の写真家なのは偶然ではない気がする。女性の方が繰り返し、うねりながら続いていく被写体の生のリズムに、無理なく同調することができるのではないだろうか。
宇井眞紀子は1992年に、偶然の機会から、北海道沙流郡二風谷でアイヌ民族のコミューンを組織するアシリレラ(「新しい風」という意味、日本名は山道康子)に出会う。彼女の凛としたたたずまいと、大家族を束ねる包容力に魅せられた宇井は、以後20年近く子連れで二風谷に通い詰め、アシリレラ・ファミリーを記録していった。彼らの暮らしの細部のほか、アイヌの聖地を破壊する二風谷ダムの反対運動、伝統儀式、世界各地の先住民族との交流など、アシリレラさんを中心に撮影した写真をまとめたのが今回の展示である。
モノクロームとカラーを併用する撮影のスタイルには、自然体でまったく気負いがない。もちろん個々の写真には、それぞれの場面のバックグラウンドがきちんと写り込んでいるのだが、それらを読み解き、解説していこうとするよりは、その場を共有してシャッターを切っている写真家の心の躍動が、ストレートに伝わってくるのだ。20年の年月とともに、写真家も被写体となったファミリーの状況も、少しずつ変わっていく。それを無理なく受けとめて写真に編み込んでいく、息の長いドキュメンタリーのスタイルが、既にできかかっているように感じた。

2011/08/17(水)(飯沢耕太郎)

「石田真也──ワンダフルトラッシュ」展

会期:2011/08/19~2011/08/29

INAXギャラリー東京[東京都]

京都在住の石田真也は、学生時代はテキスタイルを学んでいたが、近年はプラスチック容器や空き箱、壊れたおもちゃなど、道ばたで拾ってきたゴミや日常生活の廃品を素材にして作品制作を行なっている。東京での初めての個展となった今回は、「祭(さい)鏡(きょう)」というシリーズの新作を発表。空間の中央に極彩色の“大祭壇”と、その両脇の壁面に店舗の開店祝いなどで表に飾られる“花輪”のような、派手な装飾物が展示された会場は、アジアのどこかの国のお祭りのような賑やかさで見るからに楽しい。作品にはペットボトルのフタや物干しハンガーなど見慣れたものをはじめ、扇風機の部品や、七夕祭りの際に人々が願いごとを書いた色とりどりの短冊なども使われていて、鑑賞する人たちが作家に質問をしたり、感想を伝えている光景も目にした。インド旅行で目にした色彩や、そこでの祭祀の様子、祭壇のありさま、さまざまなモノが混沌と存在するその生活文化に影響を受けて以来、このような作品に取り組んでいる石田。“ゴミのアート”は他でもときどき見かけるし珍しくもないのだが作品は魅力的だ。私が彼の作品に惹き付けられるのは、その構造をまとめるシンメトリーやリズム、バランスといった要素の調和が、理屈で知的に世界を構築するイメージなのではなく、歩く、触れる、食べるといった基本的生命活動の身体的感覚から発露しているものに感じられるせいかもしれない。今後の活動が楽しみな作家である。

2011/08/20(土)(酒井千穂)

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