artscapeレビュー
2011年09月15日号のレビュー/プレビュー
中原佑介さんを偲ぶ会
会期:2011/08/20
ヒルサイドプラザ[東京都]
この会は当初、8月に80歳を迎える中原さんの傘寿のお祝いをかねて、『中原佑介美術批評選集』の出版記念会として計画されていたものだが、3月に中原さんが亡くなられたため、出版記念をかねた「偲ぶ会」となってしまった。選集の発行は現代企画室とBankART出版。BankARTとは、2005年にスクールの講師として中原さんをお招きして以来の縁だ。横浜市在住だったし。会の参加者は、ざっと見たところ9割方が50歳以上で、数十年ぶりというなつかしい顔もチラホラ。みんな中原さんと親交のあった人たちだが、同時にこれが批評に親しんだ、いや批評に導かれた最後の世代かもしれない。美術に限ったことではないが、批評が衰退して活字離れが顕著になったのは、軽佻浮薄の時代といわれた80年代前後のこと。そんな時代気分を促進した原因のひとつに『ぴあ』があったとすれば、元編集者として少し複雑な気分にもなる。そしてその『ぴあ』もこの夏に最終号を迎えたことを考えると、時代はもうふた周りほど進んでしまったことになるのか。
2011/08/20(土)(村田真)
レオ・ルビンファイン「傷ついた町」
会期:2011/08/12~2011/10/23
東京国立近代美術館[東京都]
2階の常設展の横の会場に入ると、かなり大きな152.4×182.9�Bのインクジェットプリント35点が、通路を区切るように天井から吊り下げられている。この会場構成に、レオ・ルビンファインの周到な配慮を感じる。写真に写っているのは、世界各地の都市でストリートスナップの手法で撮影された人々の姿だ。東京、モスクワ、ソウル、ロンドン、ムンバイ、ナイロビ、モンバサ、ジャカルタ、マドリッド、カサブランカ、マニラ、エルサレム、コロンボ、クタビーチ(バリ島)、カラチ、ヘブロン(パレスチナ)、そしてニューヨーク──ルビンファインがカメラを向けたこれらの都市は、なんらかのかたちでテロの被害にあった「傷ついた街」(Wounded Cities)である。彼自身、ニューヨークで2001年9月11日の同時多発テロに遭遇し、それをきっかけにしてこれらの群像写真を6年間かけて撮影したのだという。
われわれは、等身大以上に大きく引き伸ばされた人々の顔に向き合う。それがどこか不安げで、寄る辺ない表情を浮かべているように見える。もともと街頭でスナップされた人々の写真は、そのような不安定で、どちらかといえばネガティブな感情を引き起こしやすい。それぞれの人物か、その時間にそこにいた目的や理由が、ある意味暴力的な切断によって宙吊りにされるからだ。それに加えて、今回の展示では写っている人々の表情を意図的に限定し(笑っている者はほとんどいない)、観客を圧倒するスケールに大伸ばしし、「傷ついた街」という文脈をあらかじめ提示している。そのため写真を見る者は、いやおうなしに「9・11」以後の世界のあり方を生々しく突きつけられ、写真を前に自問自答せざるをえないところに追い込まれてしまう。
このような強制的な写真の見せ方に対しては、僕はずっと否定的な見解を表明してきた。だが、今回の展示についていえば、ルビンファインはそのような観客の反応をあらかじめ予想したうえで、あえて威圧的なプレゼンテーションのやり方を選びとっているのではないかと思う。「9・11」以後の「なぜこんなことが起こったのか」という堂々巡りの思考の果てに、彼はとにかくこのような写真を撮ってみようと心に決めたのだろう。カタログを兼ねた写真集に、こんなふうに記している。
「群衆の中の人間の顔を見て、一国の運命がわかるはずがない。そんなことは私だって知っている。しかし、とにかく私は写真を撮り続けた。確信できないながらも、そこには『何か』があるはずだと思えてならなかった。自分の目で真剣に、一心不乱に見つめれば、耳で聞いただけでは得られない『何か』を得られるはずだと思ったのである」
彼自身も答えが見えていたわけではないだろう。それでも「何か」に突き動かされるように、これらの写真を撮り続けなければならなかったということは伝わってくる。まず「傷ついた街」の人々の顔に向き合ってみること。そしてそこにいるのが「彼ら」ではなく、「世界に一人しかない『彼』か『彼女』」であることを実感すること──その体験を共有することを願って、ルビンファインはわれわれを柵の中に囲い込み、それぞれの顔から発する視線に貫かれるような、会場のインスタレーションを試みたのではないだろうか。
2011/08/21(日)(飯沢耕太郎)
第60回日本美術教育学会学術研究大会京都大会 記念講演「鷲田清一:アートの教育/教育のアート」
会期:2011/08/21
同志社大学室町キャンパス寒梅館ハーディーホール[京都府]
同志社大学で開催された日本美術教育学会で、大阪大学総長で哲学者の鷲田清一さんの記念講演があった。これまでに関わりのあったアーティストたちとのエピソードや、よく知るアーティストが3.11東日本大震災の後に起こした行動など、自身の経験や身近な人々を例に、「アートの現場で起こっていること」が紹介され、そして学校教育におけるアートの展望や可能性について語られた。なにか行動を起こすとき、なにをするのか、そのためになにをすべきか、われわれの社会ではそのようなことを考えるのが常だが、ときにアーティストたちはまるで「初期設定」を書き換えるように、人々がそれまでに理解してきたコンテクストとは違う可能性を指し示し、さまざまなものを〈原っぱ〉化していく、という話。また、それはとことん自らの感覚を追求する人であるからこそなしえることであり、教育の場でも良い影響を与える存在となりうるという話。話の説得力は言うまでもないが、希望感も与えられた講演だった。聞き終えてからも高揚した気分が続いた。
2011/08/21(日)(酒井千穂)
熊谷聖司「THE TITLE PAGE」
会期:2011/08/22~2011/09/04
ギャラリー蒼穹舎[東京都]
熊谷聖司が2009年に刊行した写真集『THE TITLE PAGE』(MATCH and Company)のページをめくった時、これは「俳句的」な写真集だと思った。写っているのはごく身近な日常的な場面で、それをあまり肩に力を入れずすっと切り取っている。そこに軽やかさとともに、「世界をこのように見ている」という認識のひらめきが感じるのがいかにも「俳句的」だ。それと、写真一枚一枚に短い言葉=タイトルがついていて(それが『THE TITLE PAGE』という写真集の題名の所以だろう)、その選び方にやはり知性と切れ味を感じる。最初の写真は窓辺の花瓶の花を撮影したもので、タイトルは「Flower is…」。これはロバート・フランクの写真集から取ったものだ。魚の切り身の写真に「Picasso」。ピカソの絵の骨のモチーフの変奏だろうか。ショーウィンドーの写真に「Twins」とあるのは、実物とガラス窓に写る影が二重映しになっているからだろう。このような、日常の断片を深みのある象徴的な場面に変質させる「俳句的」なレトリックこそ、日本の写真家たちの得意技だ。このシリーズは、それを高度に洗練させた営みと言えるだろう。
今回の展示には、その『THE TITLE PAGE』収録の写真に加えて、同時期(2006~2009年)に撮影された別なカットも選ばれている。それを見ても、熊谷が現実世界からイメージを切り出してくる手つきが、既に「芸」の域に達していることがわかる。8×10インチくらいに小さく焼かれたプリントも、このシリーズにふさわしい凝縮して詰まった感じを醸し出している。ただ残念なことに、あの魅力的なタイトルがはずされていた。展示でも写真と言葉との響き合いを見たいと思ったので、会場にいた熊谷にそれを伝えたら、「さっそくプリントアウトして貼っておきます」とのことだった。
2011/08/22(月)(飯沢耕太郎)
石上純也 展 ほか
会期:2011/06/28~2011/10/16
バービカンセンター[イギリス(ロンドン)]
9.11の直前に滞在して以来だから、ロンドンは10年ぶりの訪問である。印象的なのは、都心にハイテク・スタイルによるガラスの高層ビルが増えたこと。バービカンセンターにおける石上純也展は、ヴェネチア・ビエンナーレ建築展2010、豊田市美術館の個展から続く、「空気のような建築」の新バージョンだが、バナナのように曲がった展示室の平面形状にあわせ、見えない柱がカーブしながら一列に並んでいく。またハイドパーク内にあるサーペンタイン・ギャラリーのピーター・ズントーのパヴィリオンは、中庭形式をとり、ピエト・アウドロフによる夢のような花園が展開していた。
2011/08/22(月)(五十嵐太郎)