artscapeレビュー
2011年09月15日号のレビュー/プレビュー
ヨコハマトリエンナーレ2011
会期:2011/08/06~2011/11/06
横浜美術館、日本郵船海岸通倉庫[神奈川県]
ヨコトリについては、すでに8月15日号の「フォーカス」にレポートを書いてしまったので、そこで触れなかったことを少し。3.11の震災に関連する作品についてだ。この大震災と原発事故の影響で、本展の開催時期や出品作家も大きく変わるのではないかと危ぶまれたこともあって(結果的には予定どおり)、震災・原発に触発された作品が多く出されるだろうと予想したのだが、幸か不幸か見事にはずれた。あきらかに震災に言及した作品は、ぼくの見た限り、日本郵船倉庫の3階にあるジュン・グエン=ハツシバの映像インスタレーション《呼吸することは自由:日本、希望と再生》のみ。これは作者やボランティアがGPSを装着して走り、その軌跡で地図上にドローイングを描くという試み。プロジェクト自体は2007年に始まったが、とくに今回は東北の被災者に捧げるため、ホーチミン市と横浜市の街を桜の花のかたちに走ったという。多くの人たちを巻き込んだ労作ではあるが、隣でやってるクリスチャン・マークレーの映像《ザ・クロック》の前では影が薄い。同じフロアにはシガリット・ランダウの《死視》や、「フォーカス」でも触れたヘンリック・ホーカンソンの《倒れた森》もあって、この一角だけ不穏な空気を漂わせている。《死視》は作者自身が全裸で死海に浮かび、たくさんのスイカとともに流されていく映像、また《倒れた森》は巨大な鉢植え植物を横倒しにしたインスタレーションで、いずれも津波を連想させずにはおかない。ちなみに《死視》というタイトルは「Dead Sea(死海)」を「Dead See」に置き換えて和訳したもの。しかしどちらの作品も5、6年前の旧作で、震災後につくられたものではない。震災とは関係ないが、同じ建物の1階に展示されているイェッペ・ハインの《スモーキング・ベンチ》にも触れておきたい。背もたれのない四角い箱のような椅子が床に置かれ、前には大きな鏡が立っている。観客が椅子に座ると下のほうから煙が出て、一瞬人の姿が見えなくなってしまうという作品。アホらしくて笑えるが、しかし煙とともに人も消えてなくなったら……と考えるとかなりコワイ。とくに子どもは、親や自分自身が一瞬にして消えてなくなることを想像するだけで本気で怖がるはず。まさにそれが3.11で実際に起こったのだ。しかも数万人規模で。まあこの作品からそこまで想像を膨らませる必要はないけれど。
2011/08/05(金)(村田真)
クシシュトフ・ヴォディチコ《サヴァイヴァル・プロジェクション2011》
会期:2011/08/05~2011/08/09
新港ピア壁面[神奈川県]
新・港村を開村した新港ピアの建物の側面にプロジェクターで映像を映し出し、観客は地べたに座ってそれをながめる。今回は軍を退いた元兵士たちの言葉を集めた《退役軍人のためのヴィークル》に、3.11の被災者たちへのインタビューを加えた構成。映像といっても言葉だけ(英語と日本語、ポーランド語もあったか?)で、しかも音声と同時に言葉が単語ごとに現われては消えていくため(その後、銃声とともに高速度で単語が繰り返されるが)、メッセージについて考える余裕がない。そのため記憶に残っているのは銃声とともに単語が明滅したという現象だけで、その内容に関してはほとんど覚えていない。たぶん、それでいいのだ。
2011/08/05(金)(村田真)
小栗昌子「フサバンバの山」
会期:2011/08/05~2011/08/27
ギャラリー冬青[東京都]
岩手県・遠野で暮らしながら、その土地に根ざした写真のあり方を探ろうとしている小栗昌子。今回展示されたのは2010年に『日本カメラ』に連載していた「フサバンバの山」のシリーズである。27枚の11×14インチサイズのモノクロームプリントが、ギャラリーの空間に気持ちよく並んでいた。
たまたま知り合った老夫婦を6年前に撮りはじめたのだが、「爺々」が亡くなり、「フサバンバ」だけが残されて一人暮らしをはじめた。小栗はつかず離れずの絶妙の距離感で、老婆の日常を細やかに追いかけていく。「フサバンバ」の背を丸めた小さな姿は、まるでアイヌの伝説に登場してくるコロボックルのようだ。縁側にちょこんと座ったり、フキの葉を頭の上に掲げたりすると、ますます妖精めいて見えてくる。残念なことに、「フサバンバ」は今年になって体調を崩して、これ以上の撮影は難しくなっているようだ。このシリーズは、2009年の傑作写真集『トオヌップ』(冬青社)に続く写真集として、ぜひ刊行してほしいと思う。
会場に小栗のこんなメッセージが掲げられていた。3月11日の震災を経験して、「あらためて『命』という存在の重みを感じた」のだという。
「途方もない数の人達が一瞬にして亡くなり、その人生が途絶えてしまった。あたりまえのことだが、ひとつひとつのかけがえのない『命』である。私は今、そんな『命』を想い、自分自身のありようを確かめている。また、写真への思いを確かめている。そして、表現する者として、ここに伝えるべきことがあるとかんがえている」。
ここにも震災の体験を「表現する者」として受けとめ、投げ返そうとする営みがある。「フサバンバの山」に充溢する「命」の表現を。「震災後の写真」のひとつのあり方としてとらえ直すべきだろう。
2011/08/06(土)(飯沢耕太郎)
BankARTライフIII「新・港村」
会期:2011/08/06~2011/11/06
新港ピア[神奈川県]
ヨコハマトリエンナーレ2011の特別連携プログラムとして、新港ピアの広大な空間を使ったBankARTの無謀な試み。そもそも新港ピアは横トリのメイン会場として建てられたものじゃなかったっけ? なのに今回は新港ピアを使わず、横浜美術館と日本郵船倉庫をメイン会場にし、そのため日本郵船倉庫を拠点にしているBankARTが新港ピアに移るという玉突き現象が起きてしまったのだ。最初から横浜美術館と日本郵船倉庫(第1回に使った赤レンガ倉庫でもいいが)を横トリの会場に決めておけば、毎回会場が変わることもなく、新港ピアを建てるムダも省かれたのに。まあいろいろと裏事情があるんでしょうねえ。で、新・港村は新港ピアをひとつの村に見立て、そこに大小3つのギャラリーや劇場、工房、各地のアートNPOのブース、スクール校舎、ブックショップ、カフェなどを配する壮大な計画……のはずなのだが、オープニングの時点では未完成部分もあり、とくにいちばん奥の気鋭の建築家数人に設計を任せたゾーンは半分もできていなかった。ヨコトリ本体がこぢんまりとまとまっているだけに、中途半端感は否めないが、会期中に現在進行形で建設されていくのを見せるのも動的で悪くないかも。35歳以下の若手アーティストを紹介するU35ギャラリーの「西原尚展」、梅佳代らが被災前の八戸の人や風景を撮った写真展「八戸レビュ─」(新・港村ギャラリー)、関内のギャルリーパリと同時開催の「フランシス真悟展」(HHギャラリー)などはこの日、無事オープン。
2011/08/06(土)(村田真)
ヨコハマトリエンナーレ2011
会期:2011/08/06~2011/11/06
横浜美術館、日本郵船海岸通倉庫(BankART Studio NYK)ほか[神奈川県]
「世界はどこまで知ることができるか?」をキャッチフレーズに、いよいよ「ヨコトリ」が開幕した。11月初めまで、いろいろな企画が逐次開催されることになるが、まずはオープニング当初の様子を報告しておくことにしよう。といっても、絵画やインスタレーション作品については、他の方が触れると思うので、ここでは写真作品を中心に書いてみたい。
横浜美術館では田口和奈、荒木経惟、杉本博司、ミルチャ・カントルらの作品を見ることができた。ルーマニア出身のカントルは、映像やインスタレーション作品も発表しているが、日常に潜む陥穽を細やかな手つきであぶり出していた。他は国内では発表済みの旧作の展示が中心なので、あまり新味はない。日本郵船海岸通倉庫では野口里佳が新作の「人と鳥」のシリーズを出していた。例によって人と鳥の姿を大きなスケールの風景の中に小さく配置して、象徴的な映像世界を構築している。
全体に、絵画と彫像のようにたたずむ女性がゆっくりと回転する映像作品を並べたミヒャエル・ボレマンス(「ウエイト」)や、手のクローズアップのスローモーション映像を流し続けるツァイ・チャウエイ(「洗礼」)のように、映像作品と写真作品との間の境界線が、さらに消失しつつあるように感じた。やはり映像と写真のインスタレーションだが、タイのアピチャッポン・ウィーラセタクンの日常と神話の空間を接続させる試みがなかなかよかった。
新港ピアの倉庫群を改装した「新・港村」でも、いくつかの写真展企画がかたちをとろうとしていた。「八戸レビュウ88」は「八戸市民と3人の写真家、梅佳代、浅田政志、津藤秀雄によるコラボレーション・プロジェクト」。8カ月にわたって、延べ400人以上の市民がポートレートの被写体となり、それぞれの想いを綴った。八戸での展覧会の会期中に東日本大震災が起こったことで、写真の意味があらためて問われることになる。その展示を再構成して「横浜版」の展覧会としてよみがえらせた。他にエグチマサル、藤本涼、横田大輔、吉田和生による「Expanded Retina」展、BankART School飯沢ゼミ有志による「いまゆら」展などが開催中だが、まだ会場設営が進行中なので、これから本格的にスタートというところだろうか。
2011/08/07(日)(飯沢耕太郎)