artscapeレビュー
2012年02月01日号のレビュー/プレビュー
若木くるみ「車輪の下らへん」
会期:2011/12/10~2012/01/21
Gallery Jin Projects[東京都]
第12回岡本太郎現代芸術賞で岡本太郎賞を受賞した若木くるみの個展。会場の中央に設けた巨大な車輪のなかで、モルモットのように延々と走り続けるパフォーマンスを見せた。手足と顔面を黒い布で覆って匿名性を担保していたから定かではないが、おそらくは当人なのだろう。走る速度はあくまでもジョギング程度であるため、車輪の回転運動もゆっくりとしているが、その駆動音は木製の車輪がきしむ音が室外へ漏れ出すほど大きく、そして絶え間ない。どうやら会期中つねに走っていたようだ。むろん、無意味の徹底という現代アートの典型的な作法を見出すことはできる。けれども、展覧会のタイトルに示されているように、これがヘルマン・ヘッセの『車輪の下』を念頭に置いていたとすれば、車輪の下に踏み潰されるより、いっそ車輪の内部に入り込み、それを動かしてしまうという逆転の発想を見抜くこともできなくはない。強者の論理のなかで、その戦略を逆用しながら生き延びる弱者の戦術。かつてミシェル・ド・セルトーが唱えたような機略が現代アートの文法に内蔵されていることを、若木くるみは身をもって解き明かしたのではないだろうか。そのような「反転」を内側に含んだ自転運動は、社会に直接的に貢献する公転運動にはなりえないのかもしれないが、その自転が鮮やかで美しいということにこそ、社会的な意義がある。
2012/01/11(水)(福住廉)
松谷武判 展 円環を越えて
会期:2012/01/07~2012/01/22
LADS GALLERY[大阪府]
画廊の2室のうち、手前の大部屋では大作を中心とした展示が行なわれ、奥の小部屋では主に小品が並べられた。見応えがあったのはやはり前者。《流れ Mercuri Paris》、《円 26-11-2009》、《流動 LADS》といった大作が素晴らしかった。また、彼にしては珍しい星空のイメージを描いた作品もあった。聞けば、大作の一部は昨年に神奈川県立近代美術館で行なわれた個展の出品作とのこと。同展を見逃していただけに、嬉しさもひとしおだ。
2012/01/12(木)(小吹隆文)
イワサキタクジ展(ファントムと使途不明な日々)
会期:2012/01/06~2012/01/14
GALLERY MAKI[東京都]
希代の画家、イワサキタクジの新作展。展示した絵画をベースに、フィルム写真をスライド上映する「幻燈会」を随時おこなった。写真はこれまでと同様、この世を写しながらもあの世への入り口を垣間見させるような寂寥感があふれており、その視点はいつにも増して此岸と彼岸のあいだを彷徨う霊魂のそれを彷彿させた。入れ代わり立ち代わり映し出される写真を見ていると、そこに写されている風景の向こう側に連れて行かれるように錯覚するほどだ。そうした強い霊性は、写真だけでなく絵画にも通じるイワサキの大きな特徴だが、今回発表された絵画にはひときわ強く立ち現われていた。中世の宗教画をモチーフにした色彩豊かな絵画に描き出されているのは、生と死、父と母、男と女、神と悪魔、赦しと恐怖などの両義性。いずれかが明示されている場合もあるし、いずれにも解釈できる場合もある。生きることも死ぬことも、すべてを丸ごと引き受ける覚悟のようなものが、画面からひしひしと伝わってくる。これほど幅と厚みのある絵画は、少なくてもここ数年の展覧会では見られなかったから、今回の個展でイワサキはひじょうに大きな達成を遂げたと言わねばなるまい。さらなる展開が待望される、数少ない画家である。
2012/01/13(金)(福住廉)
感じる服 考える服──東京ファッションの現在形
会期:2012/01/14~2012/04/01
神戸ファッション美術館[兵庫県]
2011年秋に東京オペラシティアートギャラリーで開催された展覧会の巡回展。建築家・中村竜治による斬新な展示構成が話題となった東京展の模様については、artscape2012年1月15日号の村田真によるレビューを参照されたい。今回の神戸展では東京展で用いられていた仕切りの梁は使われていなかったように思うが、各デザイナーによるインスタレーションは、村田が的確に記したように「『ファッション』から遠ざかって」いくかのような印象をやはり与える。アートのインスタレーションに近い展示が多いためにそう思われるのだが、本展の斬新さはそれ以外の点にも見出されるように思う。
パンフレットによれば、本展のテーマは「ファッションとは何か?」という問いへの回答を10のブランドが各々のアプローチで提示するというものだ。したがって、出品デザイナーたちはこのような根本的な問題に自らを直面させることに加え、それを美術館という場所で表現せねばならないというふたつの要求を突き付けられたはずである。この種の要求は、アートの世界では日常茶飯事だが、ファッションの世界ではそうではない。しかも美術館での展示となると、絵画であれば作品をそのまま展示しても非難されることはないが、服を展示しただけでは「つまらない」と言われがちな不合理の状況がある。ゆえに、今回の展示は良い意味でそうした要求に対するデザイナーたちの葛藤のヴァラエティを呈していた。
アンリアレイジの垂直あるいは水平方向に極端に引き伸ばされた服は、シミュラークル理論に対する強力なペーソスだ。このブランドや、和室の畳や障子をニットやレースでつくり、壁に他者の言葉のやりとりを貼ったケイスケカンダ、無数の裸のマネキンたちが壁の穴から外を覗くリトゥンアフターワーズのフェティッシュな展示は、自らの作品を展示することをなかば犠牲にして、ファッションの思想的側面を強調しようとするものだろう。対照的なのは、h.NAOTOの天井から釣り下がるゴスロリの服、ソマルタの無縫製ニットの服の展示で、どちらも自らの服そのものを堂々と空間に配している。本展はアートとデザインという二元論的な視座において企画されたものではないが、それでも美術館という装置の介在はこの一般論の存在を出品デザイナーたちに強く意識させたのではないか。その結果、各々のデザイナーの展示にはそうした葛藤を乗り越えた清々しさが感じられるのだ。一見アートの展示に近しくみえながら、いずれのブランドの展示も素材やかたち、装飾、思想や文化の表象といったファッションを成立させる多数の要素を炙り出している。そのきわどい両立がファッション展としての妥当性と斬新さを放っていた。[橋本啓子]
2012/01/15(日)(SYNK)
天貝義教『応用美術思想導入の歴史──ウィーン博参同より意匠条例制定まで』
近年、明治期のデザインおよび美術に関する諸研究がますます充実してきている。本書は、ヨーロッパから明治初期の日本に導入された「応用美術思想」の展開を論じた大著。「美術を製品に応用する」という思想が、1870年代初頭のウィーン万博参加から80年代末の意匠条例制定までの期間、美術・工芸界においていかに指導的役割をはたしたかについて、綿密な国内外の資料分析に基づき論述されている。「応用美術思想(英:fine arts applied to industry、独:Kunstgewerbe)」の意味するところは、当時に記された「美術を工業に利用する事、即ち実用と佳美を兼ねしむるに在り」。本書は、外来語「デザイン」の語義が日本で定着をみる以前、「美術」が「工芸」との関わりにおいて注目されていた事実だけでなく、「美術」と「工芸」の分化およびその関係性が変化してゆく以後の行方をも提示している。これらの今日的な諸問題を考え合わせて読み進めると、たいへん示唆に富む研究書である。[竹内有子]
2012/01/15(日)(SYNK)