artscapeレビュー

2012年06月01日号のレビュー/プレビュー

今村源・袴田京太朗・東島毅「Melting Zone」

会期:2012/05/05~2012/06/02

ARTCOURT Gallery[大阪府]

事前に「ジャム・セッションのような展覧会になる」と聞いていたが、なるほどこのようなかたちだったとは。ジャムといっても3人が共作するのではなく、作品はあくまでそれぞれのものが展示されている。しかし、作品の配置を熟考することで、互いの作品があるときには近景になり、またあるときは遠景になって作用し合っているのだ。特に活躍しているのが今村の地下茎のような作品で、3人の世界をくっつける接着剤のような役割を果たしていた。また、中庭に置かれた東島の大作《聴嵐》(481×851cm)も、彼のこれまでの作品とは異なる存在感を放っていた。

2012/05/10(木)(小吹隆文)

都築響一presents 妄想芸術劇場 ぴんから体操

会期:2012/04/30~2012/05/12

ヴァニラ画廊[東京都]

いわゆるエロ雑誌の投稿イラストページに25年以上も投稿を続けている、ぴんから体操の個展。投稿されたイラストのなかから厳選された作品で会場の壁面という壁面がびっしりと埋め尽くされ、屈折した欲望が匂い立つような迫力を醸し出していた。
なかでも際立っていたのが、暖色系の色彩で丸みを帯びた女体を描いたシリーズ。頭部と乳房と臀部をすべて丸に還元して再構成した女体は、もはやエロティシズムの対象ですらなく、部分と部分を接続させて理想的な女体を造成しようとした結果、えもいわれぬ怪物をつくり出してしまったように見えたからだ。限界芸術としての手わざを反復していくうちに、やがて欲望が極限化してゆき、ついに限界芸術から離れた異形の物体を創造してしまったぴんから体操。そこに、じつは純粋芸術にも大衆芸術にも限界芸術にも通底する、ものづくりの核心がひそんでいるように思えてならない。あえて比較するとすれば、バッタもんのバッタもんの制作に熱中している90歳のおばあさんも、ぴんから体操の「狂気」を、方向性こそちがうとはいえ、じつは共有しているのではないだろうか。
なお、余計な一言を付け加えておけば、本展企画者の都築響一は、ぴんから体操のような周縁的なクリエイターの仕事を、例によって現代美術界からの無視や黙殺に対抗するかたちで紹介しているが、きわめて例外的であるとはいえ、現にこのようにして鑑賞され、言説化されている以上、その手はもはや通用しないのではないか。都築自身による新たな文脈化、もっと平たく言えば、新たな「芸」を期待したい。

2012/05/10(木)(福住廉)

ヨーロピアン・モード──ドレスに見るプリント・デザイン

会期:2012/04/12~2012/06/02

文化学園服飾博物館[東京都]

毎年この時期に開催されている学生向けの服飾史入門の企画。2階展示室では、18世紀ロココの時代から1970年代まで、200年にわたる欧米のモードの歴史をたどる。ドレス等の実物が展示されているばかりではなく、同時代の社会的背景が合わせて解説されており、様式や素材が変化した理由もわかりやすい。1階展示室では、ヨーロッパにおけるプリント・デザインの変遷が特集されている。ここでは、新しい技術が旧来の技術を置き換えるプロセスと、技術の変化が表現に与えた影響とを見ることができる。
 すなわち、インド製品の模倣から始まったヨーロッパのプリント技術は、当初の木版から銅版に変わり、それによってより細かい表現が可能になると同時に、一度により大きな面積をプリントできるようになった。細かい図柄がプリントできるようになったことで、文様にはインド更紗の模倣ばかりではなく、織物の文様表現を模したプリントも現われる。銅版はローラー・シリンダーによる連続プリントへと発展し、さらに生産性を高めた。初期のローラーでプリントできるのは単色のみで、木版との組み合わせによって多色印刷が行なわれていたが、19世紀後半にはローラーのみで多色印刷が可能になり、量産と同時に多彩な文様の表現も可能になる。20世紀に入ると、シルクスクリーンの発達により絵画的な表現も可能になり、モードの担い手が若者に移った1960年代以降は安価なプリントが多用され、ファッションの大量生産・大量消費をうながしてゆくことになる。
 技術が先にあるのか、はたまたモードのニーズが先にあるのか、「鶏と卵」のような関係ではあるが、いずれの段階でもプリント技術は外国からの輸入品や旧来の製品・技術を代替するかたちで発達してきた点に着目すれば、モードは技術革新を引き起こす原動力であり、他方で技術はモードの大衆化への推進力である、と言えようか。[新川徳彦]

2012/05/11(金)(SYNK)

artscapeレビュー /relation/e_00017185.json s 10031873

東京ミッドタウン・デザインハブ5周年記念/第33回企画展「信じられるデザイン」展

会期:2012/03/30~2012/06/17

東京ミッドタウン・デザインハブ[東京都]

「信じられるデザインとはどのようなものでしょうか? そのデザインはなぜ信用できるのでしょうか?」という問いにデザイナー、建築家、写真家など51名のクリエーターたちが回答を寄せる。会場には回答が貼られたパネルが並ぶ、読むデザイン展である。クリエーターたちが挙げるデザイン、その理由はさまざまである。水銀の体温計にモノの実体を見る人もいれば、オムロンのデジタル体温計に信頼を感じる人もいる。めし茶碗のように、古くから人の生活とともに存在し、人の手足の延長のように用いられてきたデザインも挙げられていれば、ウォシュレットのようにモノの側から人々の生活に寄り添うことで徐々に信頼を獲得していったプロダクトもある。新幹線のシステムを挙げた人が二人いたが、これも安全運行の歴史の上に形成された信頼であろう。
「信じられるデザイン」を疑う回答者もいる。「「信じる」かどうかは、受け手の側(あるいは使う側)の主体的な問題です。デザインそのものに本質論的に「信じられる」ものがあるとは思いません」(田中正之)。「信用はあくまで結果であって、それを逆算しようとすれば何かを間違えることになる」(服部一成)。佐藤卓は「現代のデザインは、基本的に信用できない」としつつも、信頼できるものとしてトイレのサインを挙げる。男女のシルエットは「見つけた時には疑う余地なく身体が向かう」デザイン。「本当に信用できるデザインなんて、人が極限状態に至らないとわからないもの」なのである。会場の最後には空白のパネルが置かれている。「あなたにとって『信じられるデザイン』とは何ですか?」[新川徳彦]

2012/05/12(土)(SYNK)

都築響一 presents「妄想芸術劇場・ぴんから体操」

会期:2012/04/30~2012/05/12

ヴァニラ画廊[東京都]

1990年代初めから現在まで、20年にわたって写真投稿雑誌のイラストページに自作を投稿し続けているアーチスト「ぴんから体操」氏。アイコラ、モノクロのペン画、色鉛筆によるカラーのイラストなど、長いあいだに表現のスタイルも、描かれるものも変化していますが、ジャンルとしては「春画」、テーマは「エロ」と「グロ」と「スカトロ」です。イラストばかりではなく、妄想の物語が付されているところは、ヘンリー・ダーガーを彷彿とさせます。どのような作品なのかは事前に知っていましたが、実物のインパクトは想像以上のもので、ヴァニラ画廊を出たあとクラクラと眩暈がしました。描かれたテーマのインパクトもありますが、作品から溢れ出る生々しいエネルギーにあてられた感じです。エロでもグロでもスカトロでも、数枚ならいいでしょう。しかし、すさまじいヴォリューム。編集部が保存していた膨大な作品が壁面いっぱいに貼りめぐらされ、両面にコラージュされた印刷物が天井から吊された透明なシートに展示されています。20年間、途中中断もあるものの、多いときには月産30点もの作品を投稿しているのだとか。趣味というレベルではありません。これらの作品、作品づくりはぴんから体操氏の日常生活そのものなのです。世間でアートといわれるものは、たとえ生理的な欲求が主題にあっても、それはなにか別のものの形をまとって表現され、それゆえに分析や批評が存在するのだと思うのですが、この空間ではまるでつくり手の脳みその中に飛び込んだかのよう。押し寄せてくる直接的なイメージの洪水に溺れそうになります。おどろいたことに、投稿雑誌界にはぴんから体操氏と同様に長期にわたって作品を送り続ける投稿者が他にも多数いるのだそうです。そうした「アーティスト」たちも「作品」も、「こちら側」に出てくることはなかなかありませんが、現実に社会を構成している文化のひとつであるという事実もまた無視することはできません。優れたアウトサイダーを掘り起こしてくる都築響一さんの情熱にも、いつもいつも驚嘆させられます。[新川徳彦]

2012/05/12(土)(SYNK)

2012年06月01日号の
artscapeレビュー