artscapeレビュー

2012年09月01日号のレビュー/プレビュー

モジもじ文字

会期:2012/07/28~2012/09/09

武蔵野市立吉祥寺美術館[東京都]

文字のデザインを共通項に、三人のデザイナーの仕事を紹介する展覧会。本の装丁やポスターのデザインを中心に独特の描き文字で知られる平野甲賀。これまでに手がけた装丁などの仕事から文字のみを抜き出し、A3の紙にプリントしたものが壁一面に貼られている。ダイナミックな描き文字は読むものに強い印象を与え、その印象は作品と一体化する。鳥海修はヒラギノシリーズなど、いわゆる読むための文字のデザインを手がけるデザイナー。ここで紹介されているのは「嵯峨本」と呼ばれる江戸時代初期に木製の活字で刷られた書物の文字をデータ化する嵯峨本フォントプロジェクトである。変体仮名、多数の異体字、「けり」「ける」などの連字の再現それ自体は現代のテキストにそのまま用いることができるものではないが、技術的には新たな文字組の可能性を示している。そして、文字を素材としながらも読めると読めないの境界を行き来するタイポグラファー大原大次郎。「もじゅうりょく」という作品は、文字をエレメントに分解し、それをモビールに仕立て、動き続けるなかで一瞬読むことができる文字が現われるというもの。このようにして、手法も表現の場も異なる3人の仕事を同時に見せることで、この展覧会は私たちが日常的に行なっている読む、書く、伝えるという行為の本質とは何なのかという問いを私たちに投げかける。そしてその答えを示していないところがまた、この展覧会の優れた点である。[新川徳彦]

2012/08/16(木)(SYNK)

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チェルフィッチュ『女優の魂』

会期:2012/08/17~2012/08/19

STスポット横浜[神奈川県]

ちょっと不思議な公演だった。『美術手帖』(2012年2月号)に掲載された岡田利規の同名小説を舞台化したという本作は、これまでもチェルフィッチュの公演に出演してきた佐々木幸子のひとり芝居。タイトル通りテーマは「女優」で、主人公は、役を主人公から奪われた女に恨まれ、殺され、魂だけになってあの世に行く。不思議だったのは、女優であるとはそして演じるとはどんなことなのかといった女優論を、女優役である主人公が語りつつ、それを現実の女優が演じるという、輻輳的な状況だけではなかった。いや、確かにそれもまた一興で、「演技とはなにか」を演説しているその女優の演技が実際その演説通りの演技を行なっているのか?なんて問いが生まれるのは、そうした構造が舞台に置かれているからだし、そういう問いが役の女優と演じている女優のあいだの微妙なズレを感じさせるわけで、不思議な気持ちがそうした事態から引き起こされたのは事実だ。しかし、もっと不思議な気持ちにさせられたのは「これはチェルフィッチュの公演なのだろうか」と思わされたことだ。「ズレ」は「チェルフィッチュなるもの」と「舞台上の演技」とのあいだにもあった気がしたのだ。早口でとめどなくしゃべる分、沈黙をともなうあの独特の間がなくなってしまったからか、あるいはしゃべりの雰囲気がたとえば友近を連想させるような独自の魅力を発揮してしまっていたからか、佐々木の演技が「チェルフィッチュそのもの」というより「チェルフィッチュをよく研究したフォロワーのもの」に思えてしまった。演技が下手だということではない。一人二役をこなそうと体をあっちこっちと移動させる振る舞いなど、佐々木の演技には、漫談的面白さが顕著だった。だがそれは「それチェルフィッチュなの?」と目を疑う部分でもあった。会場であるSTスポットの開館25周年記念を飾る「特別プログラム」という名の余興ととらえるべきか、いや、これこそがチェルフィッチュによるチェルフィッチュの正しい活用実例ととらえるべきか、判然としない上演だった。

2012/08/17(金)(木村覚)

カミーユ・ピサロと印象派──永遠の近代

会期:2012/06/06~2012/08/19

兵庫県立美術館[兵庫県]

すべての「印象派展」に参加した唯一の画家で、メンバーの長兄的存在だったカミーユ・ピサロの回顧展。ピサロといえば厳格な構図に基づく安定感のある画風が特徴で、それゆえモネやセザンヌに比べると地味な印象を持っていた。しかし、本展ではピサロの作品の合間に盟友たちの作品を挟むことで、彼らの相互的な影響関係を提示していたのが興味深かった。また、活動期間を偏りなく紹介したことも手伝って、とてもわかりやすい展覧会に仕上がっていた。不満があるとすれば以下の2点。まず、セザンヌとの交流が活発だった時期のコーナーでセザンヌの作品が展示されなかったこと。もうひとつは最終章の扱い方。キャプションでは晩年の仕事をとても好意的に解釈していたが、私には点描画を諦めた時点でピサロは頭打ちになったように思えた。ただ、それらはあくまで私の主観に過ぎない。客観的に判断して、本展が上出来の展覧会であることは間違いない。

2012/08/18(土)(小吹隆文)

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山下陽光:アトム書房トークイベント

会期:2012/08/20

素人の乱12号店[東京都]

山下陽光が最近熱心に調査している「アトム書房」とは、終戦直後から広島の原爆ドーム前で開かれた古書店。古書のほか、原爆で破壊された家屋の瓦礫や熱で曲げられた瓶などを販売していたらしい。
興味深いのは、「Book seller Atom」という看板を掲げていたように、おもな顧客として進駐軍を想定していたことだ。山下によれば、「アトム書房」の背景には、原爆を投下したアメリカ軍の軍人たちに、当の原爆によって破壊されたモノを、原爆による全壊から辛うじて免れた原爆ドームの目前で売りつける、「ゲス」な根性があったという。
落とされた「原爆」を、「Atom」として打ち返す、明確な反逆精神。こうした美しくも、たくましい活動は、広島が平和都市として整備されていくなかで、そして原子力エネルギーの平和利用という政策のなかで歴史の底に隠されていき、やがて見えなくなってしまった。
それを、アマチュアの探究心によって丹念に掘り起こした山下の取り組みは、最大限に評価されるべきである。なぜなら、どんな専門家も、山下の調査に匹敵する業績を残すことができていないからであり、山下が素早く動かなければ、(佐藤修悦がそうだったように)私たちは「アトム書房」という存在にすら気がつかなかったからだ。
山下と、彼とともに調査しているダダオのトークを聞いていると、2人の突撃的調査によって、プロとアマを問わず、さまざまな関係者が彼らの繰り出す渦巻きに徐々に巻き込まれていき、それまで見えなかった歴史の痕跡や、無関係だと思われていた関係性が、鮮やかに浮き彫りにされていく様子が伝わってくる。その過程がなんともおもしろい。
しかも、それはたんに知られざる歴史の発掘という次元にとどまるわけではなく、そこには今日的なアクチュアリティーがたしかにある。原発の甚大な被害に苛まれている現在、「アトム書房」という実践は、被災者の支援活動や脱原発デモという水準とは別に、私たちがいまやらなければならないことを、歴史の奥底から示しているからだ。
この在野の研究は、おそらく今後も継続されるだろうし、今以上に広範囲の人びとを巻き込んだ集団的な研究になることも予想される。それをまとめる著作なり映画なり展覧会なり、いずれかのメディアを用意するのが、専門家の仕事だろう。

2012/08/20(月)(福住廉)

グラフィックトライアル2012──おいしい印刷

会期:2012/06/01~2012/08/26

印刷博物館P&Pギャラリー[東京都]

現在私たちが目にする印刷物の大部分に用いられているオフセット印刷。その技法には長年の経験が蓄積されており、通常の印刷物であれば、ほぼ安定した結果が得られる。しかし、安定した技術であってもいつもと少し違う使い方をすると、そこに新たな表現の可能性が生まれる。そうした新しい表現の可能性にデザイナーと印刷技術者(プリンティング・ディレクター)がペアとなって挑戦するのが凸版印刷の「グラフィックトライアル」である。今年は勝井三雄とAR三兄弟、森本千絵、三星安澄、竹内清高らのデザイナーが参加。勝井三雄は朝焼けや夕焼けのような理想的な階調を持つグラデーションの再現に挑戦し、それをAR三兄弟が視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚の五感で味わうポスターに仕上げている。パズルのピースを動かすと音が出たり、ポスターに埋め込まれたモニターの映像が変化したりする仕掛けである。森本千絵のトライアルはコラージュ作品の印刷による再現。4色のインクを用いた通常のカラー印刷では、紙の質感、絵の具の透明感や厚みを表現することは難しい。印刷用紙を変えたり、インクを重ね刷りすることで、触りたくなるような質感豊かな印刷物を作りあげている。パッケージデザインをフィールドとする竹内清高は、チョコレートを題材に、おいしさが感じられる写真の再現に挑戦。商品写真の背景に蛍光色や金・銀インクを、料理の「隠し味」のように用いることで、よりおいしそうな表現ができるというのは興味深い。三星安澄のトライアルはモアレ。オフセット印刷では濃淡を表現するために小さな網点を用いるが、色版の角度の組み合わせによってはモアレと呼ばれる干渉縞が生じてしまう。これは印刷トラブルの一種であり通常は避けるべき現象なので、モアレを生じさせるためのノウハウはない。そこで網点の形状やサイズ、角度を変えた組み合わせを試みることで、表現として成立するモアレを探るのである。きちんとコントロールされれば、モアレも美しい表現となりうる。ほかのトライアルが「印刷による再現性」に重点をおいているなか、印刷技術の可能性を引き出したという点で、今回もっとも意外性があったのがこのトライアルであった。[新川徳彦]

2012/08/23(木)(SYNK)

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2012年09月01日号の
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