artscapeレビュー
2013年10月15日号のレビュー/プレビュー
Under 30 Architects exhibition 2013 30歳以下の若手建築家による建築の展覧会「U- 30 記念シンポジウムII」
会期:2013/09/28
アジア太平洋トレードセンター(ATC)ITM棟 11階特設会場[大阪府]
大阪のU-30の展覧会へ。今年は岩瀬諒子、塚越智之、杉山幸一郎、植美雪、小松一平の5組が出品したが、ATCにおけるU-30記念シンポジウムは、若手建築家のプレゼンテーションの後、上の世代から叩かれるのが毎年恒例になっている。この日は谷尻誠、平沼孝啓、藤本壮介、吉村靖孝がゲストに、五十嵐が司会となって討議を行なう。全体として建築への思いが足りないことを批判されつつも、U-30組から逆に上の世代はやり過ぎなんじゃないかといろいろな切り返しがあり、一方通行にならず、双方向の議論が実現した。
2013/09/28(土)(五十嵐太郎)
松野純子「解放」
会期:2013/09/24~2013/09/29
アートスペース虹[京都府]
紙に墨を落として拭き取った後、その灰色のシミや無数にできた斑点の輪郭を極細のペンで繊細になぞって描いた作品が数点展示されていた。近づくと緻密な作業がよくわかるのだが、一見、模様のように見えるそれらの画面はじっと見つめているとまるで壮大な宇宙空間にも見えてくるから面白い。気の遠くなるような仕事ぶりに感心というよりも感動を覚えた。それぞれの作品は、紙や墨などの素材も種類の異なるもので一点ずつの表情も違う。画面に吸い込まれていくような感覚も覚えるのだが、離れて見ると拡散し広がっていくイメージであるのが不思議で魅力的な作品だった。
2013/09/29(日)(酒井千穂)
死刑囚の絵画展──囚われているのは彼らだけではない
会期:2013/09/28~2013/09/29
鞆の津ミュージアムでやっていた死刑囚の絵画展が渋谷にも来るというので見に行く。殺風景な展示空間に作品数を絞って展示してあるため、焦点がより明確化したように感じる。あらためて気づくのは、みんな几帳面に描いていることだ。多くの人は絵を描きたい(表現したい)というよりも、ていねいに写す作業に没頭したいという印象を受ける。だから内容はほとんどなんでもいいという感じ。ただ何人かは明確になにかを訴えている。「死刑廃止」をはっきり訴えているのは33人中3人いるが、偶然なのか、うち2人はすでに死刑が執行されたという。皮肉なもんだ。ところで、彼らの作品がこうして外部に公開される際、当局による検閲はあるのだろうか。
2013/09/29(日)(村田真)
レオナール・フジタ展──ポーラ美術館コレクションを中心に
会期:2013/08/10~2013/10/14
Bunkamuraザ・ミュージアム[東京都]
「ポーラ美術館コレクションを中心に」とあるように、出品作品の大半がポーラ美術館から来ている。とくに小さなボードに描かれた100点近い「小さな職人たち」シリーズを含め、戦後の作品はほとんどポーラのもの。戦前の作品でも、初期のものやフジタと同時代の画家の作品はポーラのコレクションだ。結局もっとも人気の高い20年代の作品だけはほかの美術館から借りている。ポーラがフジタを集め出したころにはすでに各地の美術館に収まっていたんだろう。戦争画は1点もないが、戦前と戦後で、というより戦争画以前と以後とで連続性と非連続性が見られるのが興味深い。連続性は、あいだに戦争画を描いたとは思えない繊細な線描と淡い色彩を主調とする甘美な画面だが、非連続性は、にもかかわらず戦前のフラットな装飾的画面に対し、戦後は立体感とリアリティが増してきたこと。これは明らかに戦争画の描写の名残だろう。それゆえに、甘美な20年代に戻りたいけど戻れないもどかしさみたいなものが、戦後のフジタを特徴づけているように感じる。
2013/09/29(日)(村田真)
甲斐啓二郎「Shrove Tuesday」
会期:2013/09/24~2013/09/29
甲斐啓二郎は1974年、福岡県生まれ。日本大学理工学部卒業後、東京綜合写真専門学校で写真を学び、2002年に卒業している。
今回、TOTEM POLE PHOTO GALLERYで展示されたのは、イングランド中北部、アッシュボーンで行なわれている、「世界最古のサッカー」といわれる「シュローヴタイド・フットボール」の試合を撮影した写真群だ(新宿ニコンサロンでも9月3日~16日に同シリーズを展示)。謝肉祭の最後の日(Shrove Tuesday)に開催されるこの行事では、村を流れる川の両岸の住人たちが、午後2時から10時まで一個のボールをめぐってぶつかり合い、どこにあるのかもよくわからないゴールを目指す。特別なグラウンドなどはないから、村の道や広場でも、森や川でも、時には住人たちの家の庭までもが、ボールを奪い合い、蹴り合うフィールドになる。教会の敷地以外は、どこに入り込んでもいいというルールなのだそうだ。
甲斐はその試合の状況を記録するにあたって、村人たちの顔つきや身振りを中心に撮影することに徹することにした。肝腎のボールがまったく写っていない写真が並んでいるのはそのためだ。一見トリッキーなこのアプローチが逆に成功して、群衆の湧き立つようなエネルギーの噴出ぶりが、見る者にいきいきと伝わってくる。現代の場面にもかかわらず、どこか神話的な戦いの描写のように見えてくるのが興味深かった。ただ、会場のテキストでは、状況の説明が一切省かれていた。このことについてはやや疑問が残った。350年以上続く「世界最古のサッカー」であることが知識として与えられていたとしても、このシリーズの面白さが減じるわけではないと思う。
2013/09/29(日)(飯沢耕太郎)