artscapeレビュー
2014年09月15日号のレビュー/プレビュー
広島平和記念資料館
広島平和記念資料館[広島県]
家族で広島へ。2泊3日で世界遺産をふたつ(原爆ドームと厳島神社)見ちゃおうという魂胆だ。まずは昼飯にお好み焼きを食べて、さっそく原爆ドームへ。広島へは何度も来ているが、原爆ドームを間近に見るのはウディチコの「パブリック・プロジェクション」以来だから、15年ぶりのこと。69年前、このへんの上空で核爆発が起こり、一瞬にして何万人もの命が奪われた。そんなもんを発明した気分と、そんなもんを人の上に落とした気分はどれほど違うだろう、などと思いながら平和記念資料館へ。ここに入るのは、広島市現代美術館で宮島達男が「ヒロシマ・インスタレーション」を発表したとき以来だから、24年ぶり。なんか現代美術に導かれてぼくは原爆に接近してきたような。24年前に来たときは丹下健三設計の本館だけしかなかったはずだが、いまは東館から入って本館から退出するようになっている。東館では原爆投下までの歴史的背景が紹介され、本館では投下直後のパノラマや被爆した遺品などが展示されている。被爆展示のジレンマは、もっとも悲惨なはずの爆心地ではヒトもモノも跡形もなく消えてしまったので、展示するものがないことだろう。もっとも伝えたいことが伝えられないもどかしさ。だから原爆の恐ろしさは想像するしかないのだ。そこに原爆とアートの接点がある。
2014/08/19(火)(村田真)
新井卓「Exposed in a Hundred Suns」
会期:2014/07/25~2014/09/20
フォト・ギャラリー・インターナショナル[東京都]
愛知県美術館の「これからの写真」展の出品者の一人である新井卓は、同時期に東京・田町のフォト・ギャラリー・インターナショナルでも個展を開催した。展示作品はほぼ共通しており「百の太陽に灼かれて」と題して撮影された第五福竜丸関連のシリーズをはじめ、広島、長崎、福島などを巡って撮影されたダゲレオタイプ作品が並んでいた。
新井が世界最古の写真技法であるダゲレオタイプの作品に取り組みはじめたのは、2008年頃からなので、それから6年あまりが過ぎた。その間に、作品制作の姿勢は格段に深化し、作品そのもののクオリティとスケール感も増してきている。特に第五福竜丸や広島の原爆ドームなどを被写体として、数十枚~数百枚に達するダゲレオタイプをグリッド状に連ねた「多焦点モニュメント」の作品群の強度は恐るべきものだ。ダゲレオタイプの本質的な「遅さ」、煩雑な制作のプロセスと露光時間の長さを逆手にとって、眼前の光景をモニュメント化して屹立させようとする新井の試みは、それにふさわしい手法を編み出すことによって、一つの到達点に向かいつつあるのではないだろうか。
もう一つ注目したのは、会場の外の壁面にさりげなく展示してあった「毎日のダゲレオタイプ・プロジェクト 2011-2013」のシリーズである。おそらく東日本大震災を契機に開始されたと思われるダゲレオタイプによる日録は、「百の太陽に灼かれて」とはまた違った問題意識を孕みつつあるように思える。これはどうしてもモニュメンタルな一回性に回収されてしまいがちなダゲレオタイプ作品のこわばりを、もう一度日常性に解き放とうとする試みなのではないだろうか。
2014/08/21(木)(飯沢耕太郎)
これからの写真
会期:2014/08/01~2014/09/28
愛知県美術館[愛知県]
新井卓、加納俊輔、川内倫子、木村友紀、鈴木崇、鷹野隆大、田代一倫、田村友一郎。畠山直哉という本展の出品者の顔ぶれを見た時に、これで本当に「これからの写真」という展示が成立するのだろうかと疑問に思った。既に評価の高い写真家たちが多く、「これから」という未知の表現の可能性を提示できるとは思えなかったからだ。
だが、実際に愛知県美術館の会場に足を運んでみて、作家の人選、会場構成とも、とてもよく練り上げられた展覧会であると感じた。(キュレーションは同美術館学芸員の中村史子)。デジタル化とアート化の状況を踏まえつつ「写真を一面的な見方から解放する」という意図は、かなりうまく達成されていたのではないだろうか。従来の写真の見方は、「機械による記録か/芸術表現か」といった二分法的な思考に強く拘束されてきたのではないのかという問題意識に則り、本展ではその枠組みを解体/構築していくような作品が選ばれている。写真は「過去か/現在か」(新井卓)ではなく、「写真家か/被写体か」(鷹野隆大)でも、「二次元の作り物/三次元の現実」(加納俊輔)でも、「静止画/動画」(川内倫子)でもない。むしろその両方の極を行き来しつつ、それらの隙間から立ち上がってくるものなのだ。つまり「光源はいくつもある」。このキュレーションの視点は大いに共感できるものだった。
ところで、本展は思いがけない形で別な問題を孕むことになった。既に報道されている通り、鷹野隆大の出品作「おれと」の一部が、愛知県警から「わいせつ」ということで撤去するように警告を受け、結局作品を布で覆ったり、トレーシングペーパーをかぶせたりせざるを得なくなったのだ。要するに、展示作品における性器の露出に匿名の観客からクレームが寄せられ、それに警察当局が対応したということのようだ。むろん性器=わいせつという短絡的な考え方そのものがナンセンスだが、会場内に「全身ヌードを撮影した写真があり、鑑賞時、不快感を抱かれる方がおありかもしれません」という鑑賞者に充分配慮した表示があるにもかかわらず、このような事態に陥ったことに、強い憂慮を覚えないわけにはいかない。県警の介入に対する異議申し立ての動きも広がりつつある(http://www.change.org/p/愛知県警察本部-本部長-木岡保雅-殿-愛知県美-これからの写真-展-鷹野隆大さんの展示への不当介入の撤回)。事態の推移を見守っていきたい。
2014/08/21(木)(飯沢耕太郎)
第9回ヒロシマ賞受賞記念──ドリス・サルセド展
会期:2014/07/19~2014/10/13
広島市現代美術館[広島県]
昨日は宮島に1泊。豪雨により広島市内で土砂災害が発生したとのニュースを聞きながら、「ヒロシマ賞受賞記念展」をやってる現代美術館へ。人類の平和に貢献したアーティストに贈られるヒロシマ賞は、1989年から3年にいちど続けられ、受賞者は広島市現代美術館で個展を開いてきた。これまで三宅一生、ウディチコ、蔡國強、オノ・ヨーコらが受賞。今年受賞したのはドリス・サルセド。ぜんぜん知らなかったけど、コロンビア出身の女性アーティストで、政治的暴力をテーマに作品を制作しているらしい。話題になった作品に、テート・モダンのタービンホールの床に大きな亀裂を入れたインスタレーションがある。こういう巨大空間ではモニュメンタルな作品を屹立させたがるアーティストが多いが、彼女はアンチモニュメンタルなマイナスの彫刻を「掘った」わけだ。これを“女性的”といってしまえば「差別的」と批判されるだろうか。今回の出品は、写真や小品を除けば2点。1点は、無数のバラの花びらを縫い合わせて1枚の巨大なシートにした《ア・フロール・デ・ピエル》。まるで血を吸い込んだ絨毯のような深紅色だ。もう1点は、長さ2メートル近い細長い机を天地逆にして重ね、机と机のあいだに土を挟んだものを数十点並べた《プレガリア・ムーダ》。これも《ア・フロール・デ・ピエル》と同じく、暴力で命を落とした人たちに捧げられたインスタレーションだ。机の大きさがほぼ棺桶と同じだと気づくと、突き上がった机の脚も無数の墓標に見えてくる。と書くと絶望的な作品に思われるかもしれないが、よく見ると机の隙間から雑草が生えているのがわかり、わずかに希望を感じさせる。会場は照明を落としているので薄暗いし、作品数も少ないし、観客もほとんどいないし、けっして楽しいものではないが、だからこそ広島以外ではやれない意義深い展示だと思う。
2014/08/21(木)(村田真)
版──技と美の世界
会期:2014/07/26~2014/08/31
ひろしま美術館[広島県]
お土産を買いに行く妻子と別れて、ひろしま美術館へ。ここはゴッホの《ドービニーの庭》をはじめとする近代絵画コレクションで知られているが、訪れるのは今回が初めて。ぼくはコレクションだけ見るつもりだったが、チケットは特別展「版──技と美の世界」込み。版画の展覧会など別に見たくもなかったけど、もったいないから見てしまった。これは東広島市立美術館から借りた所蔵品展。そもそも版画は1点もののタブローを買えない人たちのために大量生産された軽便な絵というイメージがあり、基本的に美術館で見るもんじゃないし、ましてや他館(しかも隣町!)から借りて特別展として展示するのはいかがなものか……などと東京人がケチをつける筋合いではないけどね。常設のコレクションのほうは、印象派とエコール・ド・パリを中心とした小さめの作品が多く、ちょっとがっかり。でもセザンヌの2点(風景と人物)はよかった。
2014/08/21(木)(村田真)