artscapeレビュー
2010年11月15日号のレビュー/プレビュー
異色の芸術家兄弟 橋本平八と北園克衛
会期:2010/10/23~2010/12/12
世田谷美術館[東京都]
北園克衛に彫刻家の兄がいたことを、寡聞にしてまったく知らなかった。その橋本平八(1897~1935年)は、三重県度会郡四郷村(現伊勢市朝熊町)の出身。日本美術院展を中心に、素朴だが深みのある木彫、ブロンズ彫刻を発表して注目を集めるが、1935年に38歳という若さで亡くなった。5歳年下の北園克衛(1902~78年)は、本名橋本健吉。日本を代表するモダニズム詩人であるとともに、絵画、デザイン、実験映画など多彩なジャンルで活動し、写真作品も発表している。特に戦後『VOU』誌上で展開された「プラスティック・ポエム」と称される造形的な写真シリーズは、あまり例を見ないユニークな作品群といえるだろう。今回の展覧会は、この「芸術家兄弟」の仕事をカップリングしたもので、まったく異質でありながら、どこか通いあうところもある二人の作品世界を興味深く見直すことができた。
その二人の作品の共通性として「単純化」ということをあげられるだろう。橋本平八の彫刻は、形を大きく みとり、余分な装飾性を排することで、アニミズム的とでもいえるような魔術性を湛えている。北園克衛の「プラスティック・ポエム」も、使われている素材は石、針金、丸められた紙といったシンプルなもので、それらを白バックに配置することで、リズミカルで謎めいた視覚的世界を構築する。二人とも東洋的な「間」や省略の美学に深く魅せられるところがあったようだ。日本におけるモダニズム的な作品の系譜と、南画や俳句などとの関係は、もう少しきちんと論じられてもよいだろう。二人の作品は、その格好の作例となるのではないだろうか。
今回の展覧会、特に北園克衛の遺作・資料の大部分は、アメリカ・ハーバード大学エドゥイン・O・ライシャワー日本研究所研究員のジョン・ソルトのコレクションによるものである。ソルトは名古屋の前衛写真家、山本悍右の研究家でもある。彼の積極的な紹介活動によって、北園や山本の作品は欧米でも再評価が進んできている。日本の1930~60年代のモダニズムの歴史的な意義を、グローバルな視点から捉え直す時期に来ているということだろう。
2010/10/31(日)(飯沢耕太郎)
西沢立衛『美術館をめぐる対話』
発行所:集英社
発行日:2010年10月15日
本書は、世界的な建築家として活躍する西沢立衛が、現代の美術館をめぐって語ったものだ。冒頭では、彼が設計した代表作、金沢21世紀美術館を軸に現状を論じ、その後、さまざまな人物と対談を行う。例えば、主に建築家の青木淳とは都市と美術館の関係、小説家の平野啓一郎とはルーブル=ランスのプロジェクト、キュレーターの南條史生とは十和田市現代美術館、アーティストのオラファー・エリアソンとは理想の美術館、SANAAを共同主宰する妹島和世とは手がけた美術館の仕事について論じている。西沢は、いわゆる形而上的な言説をつむぐ建築理論家ではないが、世界各地で美術館を設計する実務者だからこそ口に出す、説得力のある具体的な言葉が印象的だ。繰り返して言及される、幾つかのトピックがある。例えば、ヨーロッパの重層的な歴史を背景にした美術館と、環境がめくるめく変わっていく日本における建築の状況の対比。ホワイト・キューブの展示室ではなく、建築家のデザインを必要としない倉庫や工場を改造したリノベーションが、なぜうまく機能するのか。そして美術館は都市的な存在であり、開いていく必要があること。これまでにも十和田市現代美術館など、彼のプロジェクトから、開かれた美術館をめざす姿勢は伝わってきたが、本書ではそれが言語化されている。
2010/10/31(日)(五十嵐太郎)
南後由和+加島卓編『文化人とは何か?』
発行所:東京書籍
発行日:2010年8月28日
書名から一瞬、エドワード・サイードの『知識人とは何か』を思い出したが、内容は全然違う。なるほど、言われてみれば、実に奇妙な存在である「文化人」をめぐって、メディア論、ジェンダー論、アカデミズム論など、さまざまな視点を交錯させながら、批評的に考察する文化人スタディーズというべきものだった。建築畑からは、磯崎新が各時代のクライアントについて語るインタビューも興味深いが、個人的には佐倉統の「擬似科学を謳歌する文化人はなぜ増殖するのか」がヒットである。以前から、なぜ脳を語ることに、多くの人々が関心をもつのか、不思議に思っていたからだ。このタイプの言説には、アーティストにもファンが多い、「脳文化人」について、アカデミズムとの関連から分析し、「ネタ科学」と「ベタ科学」の枠組を当てはめている。筆者が新宗教の建築研究を行なったのも、怪しげとされながらも、人々を魅了する言説が、どのように社会において機能するかを、空間の視点から検証したいと考えたからだ。
2010/10/31(日)(五十嵐太郎)
東京大学建築学科難波和彦研究室『東京大学難波和彦研究室 活動全記録』
発行所:角川学芸出版
発行日:2010年09月23日
タイトルどおりの研究室の記録だ。6年半は決して長くはない期間だが、その密度の濃いことに驚かされる。安藤忠雄の在籍時は、彼のネットワークを生かし、超有名な外国人建築家を東京大学に招き、連続講演会が企画されたが、難波は実にさまざまなムーブメントを仕かけ、議論の場を数多く構築してきたことが特徴だろう。筆者も、安田講堂で開催された卒業設計の公開講評会、後に書籍化された近代建築論講義や技術と歴史の研究会におけるレクチャーなど、そのなかで幾度か関わっていたことを再確認した。デザイン系の研究室が、コンペに参加したり、ワークショップを行うことはめずらしくない。だが、他の研究室や他大学とも交流しつつ、サステナブル・デザイン講義や読書会、あるいは研究プロジェクトや論文指導などを通じ、ここまで歴史をベースに建築論や都市論を展開してきた活動は、他にあまり類例がないだろう。言説の場が次々と失われたゼロ年代だからこそ、理論とデザインをつなぐ難波研究室の存在は、大きな意味をもっていた。
2010/10/31(日)(五十嵐太郎)
中川運河キャナルアート
名古屋市中川区舟戸町・岡谷鋼機株式会社 第三倉庫[愛知県]
会期:2010 年10月30日-31日(ただし30日は雨天のため延期)
かつての賑わいを失ってしまった名古屋の中川運河周辺の貴重な水辺空間を、広く知ってもらうために開かれたアートイベント。雨天のため初日のイベントは延期となったが、岡谷鋼機の倉庫を舞台に、映像インスタレーション、大茶会、トークイベント、ライブパフォーマンスなど多彩なイベントが行なわれた。実際に使っている倉庫の一部という空間がまず面白く、迫力のある空間が記憶に残った。一方、会場から運河そのものは遠目に見える程度だったので、イベントとしては、運河を散策させるような仕掛けがあればよいのではという点も感じた。水辺空間の再生という目的がはっきりしているのだから、瀬戸内国際芸術祭やあいちトリエンナーレなど、大規模な芸術祭の縮小再生産ではないかたちが求められているのではないかと思う。産業遺産の活用や、都市構造の再編など、重要なソーシャル・イシューも含まれる。今回が第0回ということなので、来年以降、どのような展開を見せるのかが楽しみである。
2010/10/31(日)(松田達)