artscapeレビュー
2010年11月15日号のレビュー/プレビュー
長尾ふみ「観測」
会期:2010/10/04~2010/10/10
大阪成蹊大学芸術学部ギャラリー〈spaceB〉[大阪府]
大阪成蹊大学芸術学部美術学科に在籍する長尾ふみの個展。広くてとても静かな学内のギャラリー空間は、故郷の家の廊下や風呂場、ベランダ、学内の建物など、身近な光景を描いた長尾の作品の透明感を際立たせている印象だった。はかなく移り変わる時間の趣きをたたえた、その瑞々しい描写がいっそう魅力的に感じられる。強烈な日差しのまばゆい光、それをうけてざわめくような黒々とした木陰の様子、冷えた空気の質感、水面に反射する鈍い空の色、うっすらと積もった雪に覆われたグラウンド、どれも日常の何気ない風景であったり、無機質な建物が画面の大部分を占めるものもあるのだが、いきいきとした動的な情景として映り、心に残る。物ごとを丁寧に観察する長尾のひたむきなまなざしがうかがえる清々しい会場だった。
2010/10/04(月)(酒井千穂)
宮本隆司「1975-2010 Film & Digital」
会期:2010/09/10~2010/10/09
TARO NASU[東京都]
映像作品と写真による、宮本隆司にしてはかなり珍しい展示である。作品は4点で、「The Crossing 1975」は、ニューヨークのブロードウェイの交差点を、360度回転しながら16ミリフィルムで撮影するというシリーズ。マンハッタン島のすべての交差点を撮影するつもりだったが、32分回したところで「挫折」したという。「New York 1975」は、やはり同じ時期に「人々に声をかけ人間を撮る」ことをめざしてシャッターを切ったスナップショット。ストロボの光に浮かび上がる被写体と、彼らに正面から向き合う宮本の間の緊張感がひしひしと伝わってくる。
「さかさま うらがえし 2009」はヴェネチアの広場で撮影された「上下左右逆、さかさま、うらがえし」の映像を、モニターで見せる作品。2004年に世田谷美術館で展示した同名の作品の続編にあたる。「木を見て森を見ず 2010」は新作で、風にゆらぐ樹木の群れが画面全体に映し出される縦長のモニターが並んでいる。揺らぎが少しずつ伝播していくさまが、あたかもひとつの生きものを見ているようで、その不思議な動きにじっと見入ってしまう。
こうして、ごく初期から新作まで宮本の作品を眺めていると、彼がある視覚の枠組みをしっかりと定めることで、そのなかにヴァリエーションを呼び込んでいくタイプのつくり手であることがはっきりわかる。それは映像作品でも写真でも変わりなく、「世界はこのように見えてくるのではないか」という予測のもとに視覚の装置を組み上げ、結果的にはその予測からはみ出してくるものへと自らを開いていく姿勢は、見事に一貫しているのではないだろうか。ただ1975年の、いかにも窮屈で肩肘を張った実験作(それはそれで初々しくていいのだが)と比較すると、近作では柔らかく融通無碍な雰囲気が強まっている。宮本の表現者としての成熟ということだろう。
2010/10/07(木)(飯沢耕太郎)
梶井照陰「KAWA」
会期:2010/09/17~2010/10/16
FOIL GALLERY[東京都]
梶井照陰の前作『NAMI』(リトル・モア、2004)は「見る」という行為に徹底して没入することで、知覚の限界を超えた何ものかを呼び寄せるような気魄あふれるシリーズだった。今回の「KAWA」(FOILから同名の写真集も刊行)でも、クローズアップを中心に、被写体となる水の波動を正面から受けとめ、肉迫していく姿勢そのものに変わりはない。だが、佐渡島の海の「波」にのみ焦点を絞った前作と違って、今回は世界各地の川、瀧などにも撮影場所を求めている。そのせいもあるのだろうか。どこか視点が拡散し、「これも、あれも」という迷いが生じてきているように感じた。
こういう作品を見ると、つくづく写真家の仕事というのは難しいものだと思う。『NAMI』は各方面で話題を集め、スケールの大きな作者の誕生を高らかに告げた写真集だった。当然、皆、彼は次に何を撮るのだろうという期待を持つわけで、梶井もそれに応えるべく、全身全霊で新たなテーマにチャレンジしていった。そこで被写体の幅を広げていくという選択は充分にありうることで、「KAWA」からもその意欲が伝わってくる。だが結果的には、『NAMI』にはあった「これしかない」という確信が薄らいだように見えてしまう。今はやや難所にさしかかっているとは思うが、梶井が本来備えている写真家としての可能性がまったく消えてしまったわけではない。こういう試行錯誤の繰り返しから、「次」が見えてくるのではないだろうか。
2010/10/07(木)(飯沢耕太郎)
山田周平「“アメリカの夜”[Day for Night]」
会期:2010/09/25~2010/10/23
AISHO MIURA ARTS[東京都]
滝口浩史、伊賀美和子に続いて、「写真新世紀」の出身者の展示を見ることができた。山田周平は2003年の同展で優秀賞(飯沢耕太郎選)を受賞している。僕自身もかかわったコンペの入賞者が、順調にそのキャリアを伸ばしているのを見るのはとても嬉しい。力があっても、さまざまな理由で制作活動を中断してしまう人も多いからだ。
今回の「“アメリカの夜”[Day for Night]」に出品されているのは、新作の「Untitled-park」のシリーズで、公園の風景の上半分が漆黒の闇に覆われているように見える作品である。同じ場所で昼と夜に同じ絞り、シャッタースピードで撮影した二枚の写真を合成したもので、シンプルだが、印象的で深みのあるイメージに仕上がっていた。山田はもともと、既存の眺めに何かを付け加えたり削ったりしながら、その意味合いを変換してしまう手法を展開してきた。今回は「記録した場所性の排除に加え、色、時間、までも削除の対象に」するという、徹底したミニマル化を試みた。以前に比べて、その手つきが洗練されてきているとともに、静止画像に加えて動画による作品にも意欲的に取り組んでいる。今後も、写真と映像作品の両方の分野にまたがる活動が期待できそうだ。
なお、タイトルの「“アメリカの夜”[Day for Night]」は、フランソワ・トリュフォー監督の1973年製作の映画から引用されたもの。カメラのレンズにフィルターをかけて、昼間に夜のシーンをつくり出すというトリック撮影のことだが、このシリーズの謎めいた雰囲気をより強調する効果的なタイトルだと思う。ただ、この映画のことをまったく知らない若い世代には、ちょっとわかりにくいかもしれない。
2010/10/08(金)(飯沢耕太郎)
セルフポートレート──私という他人
会期:2010/09/04~2010/11/28
高橋コレクション[東京都]
ウフィツィ美術館の「自画像コレクション展」に合わせたのか、こちらもセルフポートレート展だが、たとえば中山ダイスケは金属製の甲冑のような作品だし、大野智史は具象抽象さまざまなイメージを組み合わせた絵画だし、必ずしも自画像とは限らない。でもサブタイトルの「私という他人」には合致しそうだ。ほかに、草間彌生、奈良美智、森村泰昌らの出品。
2010/10/09(土)(村田真)