artscapeレビュー
2010年11月15日号のレビュー/プレビュー
オラファー・エリアソン
会期:2010/09/28~2010/10/28
ギャラリー小柳[東京都]
最初の部屋では床に置かれた7つの照明が光を発し、人が通ると壁にいくつもの影が映る。次の部屋では6つの照明に色フィルターがかけられ、壁に映る影にも色がつく(光とは補色関係)。最後の部屋では、鏡を自動車の横にとりつけて街なかを走った様子を撮影した映像を見せている。実像と鏡像が入り混じった美しい映像だ。が、精度の高さを別にすれば、この手の作品は昔、70年代くらいにしばしば目にしたような気がするんだけど。
2010/10/09(土)(村田真)
富田有紀子展
会期:2010/09/25~2010/10/09
ギャラリー椿[東京都]
花や果実の中心部を正方形の画面にドアップで描くことが多かった富田だが、今回は違った。いや花も果実もあるのだが、それ以外に洞窟のなかからのぞいた外の風景や、木立のあいだから見える空のような風景もある。それら風景に共通しているのは、画面の中心部に向こう側(遠景)の明るい領域があり、画面の周囲に行くほど手前(近景)の暗い領域になること。もちろん花も果実も洞窟も女性性のシンボルにほかならない。精神分析の対象としては絶好の作例かもしれない。
2010/10/09(土)(村田真)
流麻二果「湧々(わくわく)」
会期:2010/10/04~2010/10/23
ギャルリー東京ユマニテ[東京都]
手のストロークと色彩に任せた色面抽象だと思ったら、人間の身体を描いてるらしい。そういえばなだらかな風景のように見える曲線にも、わずかに手や脚らしき輪郭が見てとれる。モチーフが身体であろうがなかろうが、描くのは身体だ。
2010/10/09(土)(村田真)
第3回写真「1_WALL」展
会期:2010/09/21~2010/10/14
ガーディアン・ガーデン[東京都]
写真「ひとつぼ展」から名前が変わって3回目の「1_WALL」展。「ポートフォリオレビュー」による二次審査というハードルができたことで、たしかに全体的に出品作のレベルは上がってきている。今回は金瑞姫、天野祐子、いしかわみちこ、神崎雄三、伊藤哲郎、山野浩司の6名が二次審査を通過し、グランプリを決定する最終プレゼンに臨んだ。その結果グランプリに選ばれたのは、「光を見るための箱」というコンセプトで、さまざまな部屋とその住人をしっかりと撮影した金瑞姫の作品「Light」だった。
その選出に特に異論はない。金の作品の安定感とクオリティの高さは、やはり一歩抜けている。審査員(金村修、鈴木理策、鳥原学、町口覚、光田ゆり)も、2名連記の最終投票で全員が彼女に票を入れており、他の出品者とは圧倒的に差がついていた。ただ、この2名連記というのがやや問題で、もしかすると各審査員の一位ではなく、二位の票が集中したということも考えられる。そのあたりが、投票による審査のむずかしいところだろう。
個人的には、金瑞姫のそつのない平均点の高さよりは、いしかわみちこ「A」の歪んだアンバランスさや、天野祐子「around a pond」の何かが出てきそうな茫漠としたスケール感の方に魅力を感じた。とはいえ、金ももちろん才能あふれる作家で、次作では大きく飛躍しそうな予感もする。一年後に開催される予定の彼女の展覧会が、どんなふうになっているかが楽しみだ。
2010/10/13(水)(飯沢耕太郎)
ハービー山口「1970年、二十歳の憧憬」
会期:2010/09/24~2010/11/02
キヤノンギャラリーS[東京都]
ハービー山口のモノクロームのスナップショットは、見る人に安らぎと懐かしさの感情を呼び起こす。過度に苛立たしさをあおったり、ネガティブな気分に引っぱり込んだりすることなく、「これでいいのだ」という気持のよい安心感をを与えてくる。この窮屈で息苦しい時代において、彼の写真がきちんと一定数の読者や観客を獲得し、展覧会が開催され、写真集の出版が続いているのはそのためだろう。ハービー山口は「超」がつくような人気者になることはないだろう。だが目立たないところで実力を発揮し、写真の世界を底支えしているのは彼のようなタイプの写真家だと思う。
今回のキヤノンギャラリーSでの個展、及び求龍堂から刊行された同名の写真集は、その彼の原点とでもいうべき20歳前後、1969年~73年に撮影した写真を集成したものである。これらの写真もまた、ポジティブで安定感のある現在のスタイルと比較して、それほど大きな違いはない。むしろ最初から「写真によって生きる希望を探す」という姿勢が見事に一貫していることに驚かされる。憧れの女の子にカメラを向けても、学生のデモや返還前の沖縄を撮影しても、翳りや、歪みがほとんどといっていいほど感じられないのだ。
だが、本当にそうなのだろうかと、僕などは考えてしまう。写真をやや斜めから見続けてきた評論家の悪癖なのかもしれないが、どこかきれいごと過ぎる気もするのだ。青春時代につきまとうコンプレックスや、卑屈さや、こすっからしさをいまさら見せてもしょうがないというのもよくわかる。それでも、ざらついた感触の、塞がりかけた傷口がうずくような写真をもう少し見てみたいとも思う。それは無い物ねだりなのだろうか。
2010/10/13(水)(飯沢耕太郎)