artscapeレビュー

2010年11月15日号のレビュー/プレビュー

ニューアート展2010「描く──手と眼の快」

会期:2010/09/30~2010/10/19

横浜市民ギャラリー[神奈川県]

赤羽史亮(26歳)と石山朔(89歳)という63歳違いの2人展。別にふたりの対比を際立たせるのが目的ではなく、ふたりに共通する「描く喜び」を強調した展覧会なのだが、つい比べたくなってしまう。赤羽は厚塗りだがモノクロームに近く、石山は原色を多用するけど薄塗りとか、赤羽はここ2~3年の新作中心に対して、石山は1959年から現在まで50年以上の幅をもつとか。なにもかも対照的という意味では絶妙の人選かも。しかし赤羽はともかく、半世紀以上の画歴をもち、500号の大作に力を注ぐ石山にとっては十分満足できる会場ではないだろう。

2010/10/18(月)(村田真)

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村田朋泰「スプライシング」

会期:2010/10/02~2010/10/31

ナディッフ[東京都]

ギャラリーの床に、昭和の香り漂う床屋の縮小モデルが置かれている。10分の1くらいの大きさだろうか、克明に再現された椅子、鏡、洗面台などを上から眺める趣向だ。ギャラリーの壁は黒く塗られ、小さな電灯をいくつか灯しただけで、しかも人物がいないせいか哀愁が漂う。人形アニメの背景としてつくられたんだろうけど、これだけでリッパな作品。

2010/10/19(火)(村田真)

大西伸明「新しい過去」

会期:2010/10/01~2010/10/30

ナディッフ[東京都]

いつもの入口が閉ざされているため、脇の通用口から入っていくと、ギャラリーいっぱいに銀色のシートに覆われた小屋が建っている。あれ? 大西伸明ってトリッキーな作品をつくる人じゃなかったっけ、小屋のなかにあるのかなと思って周囲をめぐるが、どこからも入れない。奥に錆びた鍵と空気の抜けたバスケットボールが展示され、一部が透明になっていて、ああこれこれ。ありふれた物体を型取りした透明樹脂に色を塗り、オリジナルそっくりに再現した作品。すべて完璧に再現したら「本物」と区別がつかなくなるので、一部を透明なまま塗り残してある。鍵だったら端っこが透明になっているので、鍵そのものが消えかかっているように見えるのだ。問題の小屋も、銀色のシートを透明樹脂で型取り着色した「つくりもの」だった。2階には、有刺鉄線やハイヒール、壊れた椅子、木の葉などが展示され、すべて一部が透きとおっている。これは見事。

2010/10/19(火)(村田真)

山内道雄『基隆』

発行所:グラフィカ編集室

発行日:2010年10月20日

今や希少種になりつつあるストリート・スナップ一筋の撮り手として、山内道雄はこれまで東京、上海、香港、カルカッタ、ワイキキなどの路上を彷徨してきた。2007年と2009年に撮影されたこの『基隆』のシリーズも当然その延長上にある。10月18日~31日にギャラリー蒼穹舎で同名の展覧会が開催されており、壁一面に全紙のプリントを張り巡らした展示もよかったのだが、ここでは写真集を取り上げることにしよう。これまでの山内の写真集と比較しても、出色の出来栄えと思えるからだ。
写真集のあとがきにあたる文章で、「今までは私の興味、好奇心は人へ直に集中していたが、基隆では少し引いて、街の中の人をみていたような感想が残った」と書いている。たしかに「むし暑く、車も多いので埃っぽい」都市の環境が、やや引き気味に写り込んでいる写真が多い。だがむろん、山内のトレードマークである「人」に肉迫する写真も健在であり、むしろこれまで以上に都市そのものが内在しているエネルギーが多面的、かつ立体的に捉えられているともいえる。もうひとつ、写真集はモノクロームの写真が中心なのだが、そこに実に効果的にカラー写真が挟み込まれている。モノクロームとカラーを混在させるのは、それほど簡単ではない。そこでくっきりと二つの世界が分離してしまうことになりがちだからだ。だが、このシリーズでは、カラー写真のプリントをやや白っぽく処理することによって、前後の写真と違和感なくつなげている。カラー写真のページがアクセントになることで、基隆という街の手触りがこれまた立体的に浮かび上がってくるのだ。
ストリート・スナップの醍醐味は、たしかに山内本人があとがきに当る文章で書いているように「ただ見ているだけで体がゾクゾクしてくる」ような歓びを味わわせてくれることだろう。彼の写真には、いつでも理屈抜きで手足が勝手に踊り出すようなビート感が備わっている。写真集を見終えて、山内と一緒に港町の起伏の多い路上をずっと歩き続けていたような、心地よい疲労感を覚えた。

2010/10/22(金)(飯沢耕太郎)

豊島美術館(西沢立衛)/《母型》(内藤礼)

[香川県]

竣工:2010年

内藤礼氏による《母型》というたったひとつの作品のための美術館。設計は西沢立衛氏。瀬戸内海の豊島に建てられ、瀬戸内国際芸術祭会期中の10月17日に、一般公開が始まった。延床面積2,400平米の空間を、その大きさに比して、約4.5mという非常に低い天井のコンクリートシェルが覆うため、無柱空間であることがひときわ強調される。シェルには二つの大きな穴が開けられており、全体として閉じられた内部空間はどこにもない。内藤氏の作品は、床にあけられた186の穴から地下水が断続的に湧き上がり、水滴がある一定の大きさを超えると、撥水剤を塗布され、眼に見えないくらいの微細な傾きをもった床の上を、生き物のように流れだし、時に連結し、時に分裂もしながら、複雑に動き、水たまりを構成したり、別の穴へと吸い込まれていくもの。その水の移動のスピードにも驚かされた。広大な空間に、多種多様な水の動きが同時存在し、風や光や音、温湿度の状況、そして観察者の存在によって、どんな瞬間でも、二度と同じ動き、同じ状態は現われないであろう。自然と建築とアートが、完全に一体となり切り分けることのできないような作品である。この建築自体が水滴をモチーフにしており、さらに呼応して、内藤氏が作品の一部として開口部に設置したリボンが、遠目には建築に入り込む大きな水滴を出現させているようにも見える。また、眼に見えないくらいの床の微地形の施工精度は驚くべきである。これまでのどんな建築にもなかった床であり、同時にそれは美術作品の一部ともなっている。サイト・スペシフィックな美術作品は数あれど、基本的にはその場所に特有の作品ということであり、逆にその作品がその場所の条件となっていることはない。つまりこの美術館と作品は、サイト・スペシフィックなアート作品とも同列には並べられない。建築のゆるやかな自由曲線から、同じく西沢氏が、妹島和世氏とともにSANAAとして設計した、ローザンヌ連邦工科大学ロレックス・ラーニング・センターの形状も思い浮かぶ。曲面や開けられた開口部は似ているかもしれない。しかしロレックス・ラーニング・センターが、人間のスケールにあったゆるやかな曲面から空間が構成されるのに対して、豊島美術館は、内部も外部もなく、環境と建築の区別もなく、知覚される床はフラットであるにもかかわらず、水の動きを見ているとフラットではないといったような、人間のスケールをなにか超越したような、また対立概念の数々を乗り越えるような、これまでになかった存在感を持った建築であるといえるだろう。「奇跡の建築」といって相応しいように思えた。

2010/10/23(土)(松田達)

2010年11月15日号の
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