artscapeレビュー

2012年12月15日号のレビュー/プレビュー

エヴァンゲリヲン新劇場版:Q/巨神兵東京に現る

会期:2012/11/17

『エヴァンゲリヲン新劇場版:Q』を見る。前作の『破』でだいぶ進んだため、衒学的な装飾を外すと、結構シンプルな内容だ。いや、あまりにもゆっくりで、物語がほとんど進まない。冒頭のシーンなど技術的に動く絵の迫力は増したが、これまでのエヴァ・シリーズの最大の特徴だったスピード感や編集のリズム感がまったく削がれてしまったのは残念だった。同時上映の『巨神兵東京に現わる』は、特撮博物館でも見たが、やはり映画館の大スクリーンがよい。都市の破壊シーンにおいて、CGではなく、徹底してモノを使うことで得られる物質感がよくわかる。劇中の言葉がカッコいいと思ったら、舞城王太郎が担当していた。短編だが、『エヴァQ』におけるサードインパクトも彷彿させる世界観である。

2012/11/22(木)(五十嵐太郎)

川俣正「Expand BankART」

会期:2012/11/09~2013/01/13

BankARTスタジオNYK[神奈川県]

BankART全館を使った久々に大規模な川俣の個展。川俣と横浜といえば、2005年に総合ディレクターとして関わった横浜トリエンナーレが記憶に新しいが、それ以前から何度か制作を行なっていた。じつはBankARTの隣に神奈川県警ビルが建つ前は三菱倉庫があり、それが取り壊される直前の1988年にファイナルイベントとして「ヨコハマフラッシュ」が開かれ、崔在銀や田原桂一らとともに川俣も参加していた。もっとさかのぼって1980年には神奈川県民ホールギャラリーと横浜市民ギャラリーでグループ展に出品している。でも個展としては今回が初めてだ。そもそも日本でこれほど大がかりなインスタレーションが実現するのも初めてのことかもしれない。まず海岸通に面したアプローチに古い窓枠をつないで屋根をつくり、NYKの外階段から外壁をはうように屋上までパレットでおおっていく(この時点では未完成)。遠くから見ると、屋上から流動物が流れ出てくるイメージだ。館内に入ると、1階のホールではパレットを積み上げて壁面をおおい、洞窟のような空間を創出。2階は天井から無数の窓枠を平行に吊るし、3階には柱の上方にツリーハウスみたいな構築物を設置するといったプラン。どれも今回が初めてというわけではなく、たとえば天井を窓枠でおおうのはロンドンのサーペンタイン・ギャラリー(1997)などで、大量のパレットを流動的に配置するのはヴェルサイユのアートセンター(2008)などで、柱にツリーハウスを組み立てるのはパリのポンピドゥー・センター(2010)などで、すでに実現している。つまり今回の個展は、これまで世界各地で見せてきたさまざまなスタイルの集大成的インスタレーションといっていい。ちなみに、素材は木ならなんでもいいわけではなく、窓枠は近くにある解体前の公団住宅から提供され、パレットはここがもともと倉庫であることから使うことにしたという。この場所ならではの素材を選んでいるのだ。

2012/11/23(金)(村田真)

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黄金町バザール2012

会期:2012/10/19~2012/12/16

黄金町界隈[神奈川県]

2008年の横トリと同時に始まった黄金町バザールも、今年で5回目。京急日ノ出町から黄金町にかけて悪名高き風俗店が軒を連ねていた高架下も、年々アーティストのスタジオやギャラリー、ショップなどに衣替えしつつある。それはそれで「環境浄化」にはなっているはずだが、はたして街として活気づいているのだろうか。そもそもアートによる環境浄化や街づくりには限界があるし、結果的にアートが町づくりに役立つことはあるにしても、それを目的にアートを「使う」ことには疑問もある。が、それは今日午後からのシンポジウムで話し合うことにして、その前に展示を見ておかなくっちゃ、と開催1カ月以上も経たってから見に行ったのでした。黄金町のレジデンスアーティストにはあるまじき怠慢ですね。作品は日ノ出町駅から黄金町駅までの500メートル足らずの高架下周辺に集中しているのだが、長屋のように軒を連ねる小さい店舗跡を飛び飛びに使っているので、わかりやすそうでわかりやすくない。ま、それも探し歩く楽しみってことで。出品作家は黄金町のアーティストを中心に海外も含めて33組。うち、おもしろいと思ったのが5、6個あった。まず、通りに面した建物の壁にパースを利かせて空洞を描いた吉野ももの壁画《街の隙間》。遠近法を利用したトリックアートといえばそれまでだが、これがじつによくできていて、ある1点からだけでなくどの方向から見てもだまされてしまう。屋外ではもうひとつ、路地の壁にテレビ、レコードプレーヤー、携帯電話などの電気製品をぴったりはめ込んだマイケル・ヨハンソンの壁面インスタレーション。だいたい電気製品はサイズこそさまざまだが基本的に四角いので、幾何学的に隙間なくはめ込んでいけるのだ。これは美しい。そのほか、小部屋で縮小サイズの廃墟モデルなどを撮影して壁に映し出す伊藤隆介の《天地創造》や、一部屋全体をグロッタ状に装飾してそのなかで自作アニメを流す照沼敦朗の映像インスタレーション、石膏の壁を鳥のかたちに彫り透明樹脂で固めた中谷ミチコのレリーフ作品、細長い室内の全壁面にペイントした寺島みどりの《ペインティングルーム》などは一見の価値あり。こういう場所では観客や住民参加のコミュニケーションアートなどが増える傾向にあるが、それ以上に永続性がありアートとして見るに耐える作品こそ必要とされるのではないか。

2012/11/24(土)(村田真)

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志賀理江子「螺旋海岸」

会期:2012/11/07~2013/01/14

せんだいメディアテーク 6階 ギャラリー4200[宮城県]

「年末回顧」を執筆しなければならないシーズンになり、『日本カメラ』(2012年12月号)に今年の写真展について書くように求められて、本展を「ベスト1」にあげた。実はその原稿の執筆時点では、まだこの展覧会を見ていなかったのだが、確信を持ってそう言い切ってしまったのだ。志賀理江子は、2012年7月に東川賞新人賞を受賞し、東川町フォトフェスタの展示に「螺旋海岸」のシリーズから数点を展示した。それを見て、会場に置いてあったせんだいメディアテークでの「連続レクチャー 考えるテーブル」(2011年6月〜12年3月)の草稿にも目を通していたので、彼女の今回の個展が「日本の現代写真の階梯を一段高めるものである」と自信を持って書くことができたのだ。
実際に仙台まで日帰りで往復し、展示を見て、その確信が決して間違いではなかったことがわかった。志賀が2008年以来、宮城県名取市北釜に住みついて、その地の住人たちとともに実践してきた写真行為の蓄積は、驚くべき強度と密度を備えたシリーズとして生長し、文字通り大地に根を張りつつある。せんだいメディアテーク6階の広いスペースに、木製パネルに直接貼り付けて、土嚢を重しにして立ち上がった243点の写真群は、あらゆる形容詞を吹き飛ばしかねない圧倒的なパワーを発していた。それらをどのように受け入れ、位置づけていくべきかについて思いを巡らすには、12月中に刊行予定のテキスト集『螺旋海岸ノート』と写真集『螺旋海岸アルバム』(いずれも赤々舎)を待つしかない。だが、会場の中心に置かれた「①遺影」の写真から、まさに螺旋状に円を描きながら「②私、私、私」「③微笑み(写真のなかの私)」「④ここはどこ(写真のなかの私)」「⑤さようなら(写真のなかの私)」「⑥眠り」「⑦皮」「⑧鏡」「⑨伝言」と広がっていく写真の間をさまよう体験は、忘れがたいものになった。「①遺影」以下の写真の分類はむろん志賀自身によるものであり、被写体となった人々の「まなざし」のあり方と、その行方を探り当てようとする独自の思考の軌跡が刻みつけられている。志賀が北釜で写真作品を制作しつつ、闇の中から手探りでつかみ取っていったこれらの思考の断片は、画像としてだけでなく言葉(詩的言語)としても比類ない高みに達しつつあるのではないだろうか。

2012/11/24(土)(飯沢耕太郎)

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大屋和代 個展

会期:2012/11/20~2012/11/25

ギャラリーモーニング[京都府]

大屋和代の個展。大学では彫刻を学び、これまではおもに、収集した の抜け殻や、種子、種などをブロンズや真鍮で鋳造した作品を発表していたのだそう。今展には、そのような鋳造の小さなオブジェに紙や糸などを組み合わせた作品が展示されていた。エンボスされた紙の隅にドングリの殻斗(帽子の部分)の鋳造オブジェを配したもの、原稿用紙のところどころに糸を縫い付けフレームに収めた作品、小さな虫が這った跡と飾り紐の水引をモチーフにした作品など、自然が生み出すかたちに、音楽のようなリズミカルな要素をさりげなく加えた作品はどれも美しく、見ていると言葉のイメージも膨らんで連想が掻き立てられる。詩的な趣きとそのあじわいのおもしろみが印象に残る展覧会。


大屋和代《十を聞いて一を知る》

2012/11/25(日)(酒井千穂)

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