artscapeレビュー
佐藤時啓「光──呼吸 そこにいる、そこにいない」
2014年06月15日号
会期:2014/05/13~2014/07/13
東京都写真美術館2階展示室[東京都]
佐藤時啓が1980年代末に「光──呼吸」のシリーズを発表し始めた時の衝撃をよく覚えている。それまでも佐藤のように、美術系大学出身のアーティストが写真作品を発表したことはあった。だが、都市空間にうねり、踊る無数の線をペンライトで描いたり、風景の中に鏡の反射による光を浮遊させたりしてフィルムに写し込む彼の作品は、発想も方法論も、それまでのドキュメンタリー、スナップ写真が中心だった日本の写真家たちの作品とは相当にかけ離れたものだったのだ。
もうひとつ驚いたのは、時に縦横数メートルに及ぶその作品のスケールである。以前佐藤から、なぜ写真家たちは発表時の写真の大きさを厳密に定めないのかと問われて、虚を突かれたように感じたことがある。たしかに、どれくらいの大きさにプリントするのかについては、印刷媒体や会場の空間にあわせてフレキシブルに決めることが多い。佐藤は、あらかじめプリントの大きさについては、きちんとコンセプトを定めて撮影に臨む。そのあたりも、従来の写真表現とは一線を画するもので、新鮮な驚きを覚えた。
今回の東京都写真美術館での展覧会では、その「光──呼吸」シリーズ以来の佐藤の代表作を過不足なくフォローしていた。ペンライトや鏡の反射を長時間露光で定着する手法に加えて、彼は2000年代以降になるとピンホールカメラや移動式のカメラ・オブスクラを用いて制作するようになる。「Gleaning Light」あるいは「Wandering Camera」と称されるそれらの作品は、多くの協力者を必要とするものであり、撮影場所も海外にまで広がって、よりオープンな印象を与えるものになった。とはいえ、「私が写そうとしているのは、実は人間そのものなのである」という初発的な動機は、ずっとそのまま純粋に保ち続けられている。一見「コンセプチュアル」に見える佐藤の作品には、実は彼自身を含めた「人間」たちの生の矛盾や混沌が、生々しく写り込んでいるのではないだろうか。
2013/05/17(土)(飯沢耕太郎)