artscapeレビュー

アピチャッポン・ウィーラセタクン『光りの墓』

2016年06月15日号

会期:2016/04/30~2016/05/20

シネマジャック&ベティ[神奈川県]

固定カメラでの引きのショットで長回しが多用されているから商業映画のような物語手法ではない。あえて言えばアート的な映画だ。いや、より積極的に「アート系」と称したくなるところがあり、それは引きショットが物語を進める部分とは直接には関係のないものを映すことで、独特の体験が可能になっているところだ。舞台は病院。入院患者はみな兵士で眠り込んでいる。ある兵士の面倒を見る足の不自由な老女。それと眠る兵士とコンタクトが取れるという若い女性が物語の軸となる。病院の隣ではシャベルカーが土を掘り返している。その脇には藪があり、少し行くと湖がある。湖では、市民が体操をしている。カメラは、こうした景色を映す。物語と関係ないかにも見える。が、兵士はこの地にかつていた王が戦をするのに魂を貸しており、そのために眠っているのだという話になり、それらの景色には現在は見えない別の層とのつながりのあることがわかってくる。さて、この表層の物語からしたら余計な景色に目が向かうこの感じには、どこか馴染みがある。これは、越後妻有や瀬戸内での、日常に置かれた美術作品とその周囲の景色との関係に似ている。『光の墓』は「地域アート」的だ。その連想を促進させたのは、クライマックスで女二人が藪の中を歩くシーンだ。若い女は眠る男に憑依していて男として老女とともに歩く。歩きながら、若い女=眠る男は王の世を思い起こし進み、老女は過去を思い返し歩く。歩みの先には、戦時を回想するためのものなのだろう防空壕のオブジェがあったり、若いカップルとそれが骸骨になった二組の彫像があったりする。二人はそうした作品を眺め、批評しつつ、全身でその空間全体を体験する。このさまが「地域アート」体験に近似しているように思えたのだ。体験ということで言えば、虫の音やエンジン音など、本作では音が丁寧に扱われている。音が喚起するのは、単に意味情報である以上に、その場を感じ味わう姿勢だ。あえて言えば、本作は観客に意味理解ではなく、体験を求める。眠る男の夢に入ろうとすることは、夢を知ることより、夢の中でともに生きることを意味するだろうし、そうした体験の次元こそ、アートが開く次元であると言えるのではないだろうか。

2016/05/07(土)(木村覚)

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