2021年09月15日号
次回10月1日更新予定

artscapeレビュー

2012年10月01日号のレビュー/プレビュー

国立動物園を考える

会期:2012/09/09

東京大学弥生講堂 一条ホール[東京都]

文字どおり「国立動物園」の設立に向けて議論するシンポジウム。国立動物園を考える会の会長の小菅正夫のほか、NPO法人どうぶつたちの病院沖縄の長嶺隆、東京大学の木下直之がそれぞれ口頭発表した後、到津の森公園園長の岩崎俊郎による司会のもと、登壇者全員で討議した。とりわけ後半の全体討議を聞いていて気がついたのは、動物園が抱える問題と美術館が抱えるそれが、きわめて対照的な関係にあるということ。つまり、毎年4,000万人もの人びとが訪れる動物園は、大衆的な人気と必要性をすでに獲得しているにもかかわらず、国レベルでの支援がほとんど望めない反面、歴史的に文化行政から厚遇されてきた美術館は今になってようやく大衆化に躍起になっている。動物園が当初から地域に根づき、これから地域を超えた総合化に取り組もうしている一方、美の普遍性を標榜してきた美術館は逆に地域社会に何とかして関与しようとしている。双方のあいだには、ちようど真逆のベクトルが行き交っているわけだ。であれば、いっそのこと、「国立美術動物園」という混合施設の可能性を検討してみてもおもしろいだろう。

2012/09/09(日)(福住廉)

陶世女八人 展

会期:2012/09/01~2012/09/23

ギャラリー器館[京都府]

京都を拠点に活動する若手女性陶芸家8人(稲崎栄利子、今野朋子、篠崎裕美子、高柳むつみ、田中知美、楢木野淑子、服部真紀子、村田彩)を集めたグループ展。彼女たちの造形はさまざまだが、共通する特徴は偏執的なまでの装飾がオブジェや器の全面を覆っていることだ。それは技術礼賛というよりは本能的なものであり、アールブリュット作家に見られる細密志向にも似た強迫観念めいたものが感じられる。これは京都の陶芸界全体の傾向ではなく、あくまで局所的な流行に過ぎない。しかし、なぜいまこのような作家たちが大勢現われるのかを考えることは大事だろう。本展により、その扉が開かれたのかもしれない。

2012/09/11(火)(小吹隆文)

The Formation of the Japanese Print Collection at the Art Institute: Frank Lloyd Wright and the Prairie School

会期:2012.08.18~2012.11.04

シカゴ美術館(Gallery107)[シカゴ]

建築家のフランク・ロイド・ライト(Frank Lloyd Wright, 1867-1959)が日本文化の影響を受けていることはよく知られている。ライトは1893年に開催されたシカゴ世界祭典(World's Columbian Exposition in Chicago)の日本パビリオンを訪れているし、1905年には日本を旅している。また1913年、帝国ホテル新館設計のために来日、以後もたびたび日本を訪れていた。ライトは浮世絵の収集家としても有名だが、来日のたびに浮世絵を購入、そのコレクションは生涯にわたって続いていたという。この展覧会はライトが収集した浮世絵やライトの事務所で制作されたドローイング、そして1908年の展覧会風景(写真)を紹介するもの。ライトは収集した浮世絵を展示のためにしばしばシカゴ美術館に貸していたが、「1908年の展覧会」とはこうした彼の協力により1908年に開催された展覧会のこと。これはライトの協力により開催されてきた展覧会のなかでも、より大規模で重要な展覧会だという。ドローイングはおもに女性設計師のマリオン・マーオニ・グリフィン(Marion Mahony Griffin, 1871-1961)のもので、やはり日本の木版画の影響が色濃くみられる。[金相美]


1──展示風景


2,3──1908年の展示会の写真


4──1908年展覧会のカタログ(The Art Institute of Chicago, Catalogue of Loan Exhibition of Japanese Colour Prints, March 5 - 25, 1908)

2012/09/14(金)(SYNK)

六甲ミーツ・アート 藝術散歩2012

会期:2012/09/15~2012/11/25

六甲山カンツリーハウス、六甲ガーデンテラス、自然体感展望台 六甲枝垂れ、六甲高山植物園、六甲オルゴールミュージアム、六甲山ホテル、六甲ヒルトップギャラリー、六甲ケーブル山上駅・同下駅[兵庫県]

今年で3回目の「六甲ミーツ・アート」は、漫画家のしりあがり寿をはじめ、開発好明、加藤泉、東恩納裕一といった第一線で活躍する作家が招待されており、ほかにも3回連続参加の藤江竜太郎、2回連続参加のクワクボリョウタとスサイタカコもいることで、非常にバランスのとれたラインアップを形成していた。肝心の展示も、例年最も見応えがある六甲高山植物園から六甲オルゴールミュージアムにかけてのエリアで、加藤泉、今村遼佑、クワクボリョウタ、井口雄介、タン・ルイらが質の高い展示を行なっており、六甲カンツリーハウスのしりあがり寿、小山めぐみ、開発好明らの展示もインパクトがあった。主催者は「3回目にして過去最高」と自負していたが、その言葉に納得である。これから秋が深まれば、六甲山上では紅葉も楽しめる。都市部と隣接する地域でありながら、豊かな自然と現代美術を満喫できるのだから、なんとも贅沢なアートイベントである。

2012/09/14(金)(小吹隆文)

快快『りんご』

会期:2012/09/13~2012/09/16

KAAT神奈川芸術劇場〈大スタジオ〉[神奈川県]

快快が劇団として唯一無二なのは、役者が「役者」であることから半分降りて当人として舞台に上がっているように見えることだ。逆に言えば、通常の演劇において役者というものは「役」を演じるのみならず、「役を演じる者」(「役者」)を演じているのである。快快がいることで、通常の演劇が二重に演技したものであることに気づかされてきた。たとえば、チェルフィッチュの役者は、「劇の役」を演じる前に「チェルフィッチュの役者」を演じている。「~の役者を演じる」とは、稽古の場で演出家が望む身体性を獲得することと同義だろう。その身体にはゆえに、演出家との(上下)関係が刻印されている。それに対して快快の役者たちは、そうした意味で快快の役者を演じているようには見えない。大道寺梨乃は大道寺梨乃であり、山崎皓司は山崎皓司のまま、限りなく当人に近い存在で観客の前に居る。この点で、彼らの舞台は正しくポスト演劇だった。自由で気取ってなくて演劇じゃないみたいだった。学園祭みたいな、ユートピアみたいな、嘘みたいな演劇だった。本作を最後に、主要メンバー数人が快快から離れるらしい。そのことも悲しかったが、本作は、脚本を担当する北川陽子の実話に基づく(らしい)母の死をめぐっており、他者の死を演じるという困難な課題を何度も交替し役者たちが実践してみせるさまは、おかしくて、悲しくて、切なかった。りっぱな演劇を成立させること以上に、彼らが演劇をとおしてやろうとしたことは、一貫して、他者に触れること、他者とともに生きることだった(千秋楽ではアンコールも出た「Be Together」(鈴木あみ)で踊るシーンはその点で象徴的だった)。その思いが他者の死を演じてみるというアイディアの内に、ほとんど奇跡のようにとてもピュアなかたちで結晶していた。

快快(FAIFAI) 新作公演「りんご」

2012/09/16(日)(木村覚)

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