artscapeレビュー
2009年09月15日号のレビュー/プレビュー
長澤英俊 展──オーロラの向かう所
会期:2009/07/18~2009/09/23
埼玉県立近代美術館+川越市立美術館[埼玉県]
最初は北浦和の玉近へ。もう何年ぶりだろう、というくらい久しぶりぶり。長澤の作品は、もの派に似てトリッキーなところがあったり、日本的なものを感じさせる部分もあるが、むしろ構造力学への依存が強く、しかも詩的で物語性にあふれ、日本人には珍しくエレガントだ。天蓋つきのベッドのような《バグダッドの葡萄の木》、壁の上方にとりつけられた1畳部屋みたいな《詩人の家》に惹かれる。多摩美のインテリアデザイン出身と聞いてなんとなく納得。大宮から埼京線に乗って川越に行き、バスで市立美術館へ。まだ新しい美術館で、初の訪問となる。ここにはタイトルにも使われた大作《オーロラの向かう所》がある。なかに入るとほとんど真っ暗だが、目が慣れてくると広い展示室に大理石の列柱が見えてくるというインスタレーション。でもジェームズ・タレルのように純粋な視覚効果をねらった科学的探究とは異なり、神秘のベールをかぶっている。もう1カ所、遠山記念館にも足を伸ばしたかったが、カネも時間もないので断念。
2009/08/30(日)(村田真)
第1回所沢ビエンナーレ美術展:引込線
会期:2009/08/28~2009/09/23
西武鉄道旧所沢車両工場[埼玉県]
所沢駅に隣接する巨大な車両工場跡を会場にしたビエンナーレ。天井からは鉄骨の梁や作業用の足場が吊り下がり、床には引込線のレールが残るハードな空間なので、よっぽど存在感の強い作品でないと負けてしまう。そのため彫刻やインスタレーションが過半数を占め、絵画は細長い一室に追いやられている。しかも壁面をホワイトボードで覆ったうえに絵画を展示しているのだ。ここまでケアが必要なら、いっそ絵画はなくてもいいのでないか。ひとり長谷川繁だけが薄汚れた壁に直接絵画を掛けていたが、この展示は成功していたように思う。やはりこういう場所で見せる以上、空間の読み込みや展示の工夫は絶対不可欠だ。その意味で、森淳一の繊細きわまりない彫刻と、飯田竜太の事典を切り抜いた博物学的アートとでもいうべき作品はとても魅力的だが、この空間にふさわしいとは思えない。逆に、広い会場の中央の天井近くにクス玉を吊るし、ひもを手が届く手前の高さまで下ろした豊嶋康子の《固定/分割》は、この空間をよく読み込んだ作品といえる。しかも感心したのは、その手前にガラス球を吊った石原友明の作品、さらにその手前に球根のようなかたちをした戸谷成雄の木彫が置かれていること。つまり一部が球状になった作品が3つ並んでいるのだ。展示ディレクター(そんな人がいるのかどうか知らないが)のセンスが光る。
2009/08/30(日)(村田真)
太田大八とえほんの仲間たち展
会期:2009/06/20~2009/08/30
佐川美術館[滋賀県]
会場にぎっしりと展示されていた太田大八と15名の作家の絵本の原画。ちょっと詰めこみ過ぎの印象もあり、一つひとつを鑑賞するには狭すぎて、もったいない気がしたが、順番に見ていくうちにだんだんと原画の魅力に引き込まれる。生き生きとした筆跡やコラージュの細やかな表現など、絵本の状態では気づきにくいそれぞれの特徴も確認できる。印刷されてしまうと色彩やその表現の特性の持ち味が消えてしまうことが多いのだと思い知り、複雑な気分にも。夏休みの子ども向けの展覧会だが見にいって良かった。
2009/08/30(日)(酒井千穂)
音キキ・コンサート「音を聴く。聞く。利く。」大きなコンサート
会期:2009/08/30
京都芸術センター[京都府]
講堂で開催された夜のコンサート。80年前からあるという古いピアノと京都芸術センター開館時に購入されたという新しいピアノ、そして小さなトイピアノの演奏によって、それらの音色や音の印象の違いを楽しむという趣旨で、前半と後半の2部プログラムで構成されていた。観客席は2台のピアノをぐるりと取り囲むように設置され、小松正史氏が3台のピアノを行ったり来たりしながら演奏。参加者が歩き回ったり携帯電話のカメラのシャッター音をならすことでピアノとセッションする後半のプログラムの試みも愉快でチャーミングなライブだった。
2009/08/30(日)(酒井千穂)
山崎弘義「DIARY」
会期:2009/08/20~2009/09/06
UP FIELD GALLERY[東京都]
山崎弘義は1956年生まれ。1980年代に森山大道に師事し、ストリート・スナップを中心に発表してきた。だが父や母の介護のため、写真活動を断念せざるを得ない状況に追い込まれ、今回が12年ぶりの個展になる。「DIARY」は2001年9月4日から、認知症の母のポートレートと自宅の庭の一隅を、毎日「日記的に」撮影し続けたシリーズである。母が亡くなる2004年10月26日まで、全部で1,149カット撮影され、会場にはそのうち40点(2枚組)が展示してあった。
ちょうど台風の大風と大雨が吹き荒れる日だったのだが、展示の雰囲気はとても穏やかで、優しい空気に包み込まれている。この種の「闘病もの」の写真にありがちな押し付けがましさが感じられず、山崎が祈るようにこの2枚だけを毎日撮影していった、その行為の痕跡が淡々とそこに置かれているのだ。とにかく必死に2カットを撮るだけでせいいっぱいで、他にシャッターを切る余裕はまったくなかったのだそうだ。むしろそのことが、過剰な感情移入をうまく回避することにつながったのではないだろうか。
展示はこれでいいが、1,149カットの厚みを体現できるような写真集も見てみたい。写真集を通常の形で印刷・出版するのは物理的に無理そうだが、出力したプリントを綴じ合わせるような私家版の形ならできそうな気もする。ぜひ実現してほしい。
2009/08/31(月)(飯沢耕太郎)