artscapeレビュー
2009年09月15日号のレビュー/プレビュー
興福寺創建1300年記念「国宝 阿修羅展」
会期:2009/07/14~2009/09/27
九州国立博物館[福岡県]
夏休みまっただなか、たいへんな賑わいでつねに混雑していると聞いていたので覚悟していたけれど、訪れた時間が遅かったせいか、人だかりが集中するのは展示のメインとなる阿修羅像の周りだけで、全体的に意外とじっくりと鑑賞できたのが嬉しい。興福寺で見たこともあったがまったく印象が異なるように感じられたのはやはりガラスケースなしの360度露出展示のせい。三つの顔面の端正な顔立ちや憂いを孕んだ微妙な表情、六本のしなやかな腕の線がどの角度から見ても美しく、ファンが多いというのもさらに納得だ。左側斜め後ろからの角度で見る表情が特に良かった。一緒に見た両親は全体的に照明が暗すぎると不満ももらしていたが、三つの顔のなかで好きな顔はどれか、ほかに気に入った仏像はどれか、どの角度から見るのが好きかなど、展示仏像の周りをぐるぐる回りながら家族で話し合う時間はそれだけでも楽しかった。
2009/08/11(火)(酒井千穂)
彫刻──労働と不意打ち
会期:2009/08/08~2009/08/23
東京藝術大学美術館陳列館[東京都]
奇妙なタイトルの彫刻展だが、「労働」とは彫り刻み肉づけする徒労にも似た作業のことで、そんな日々の労働のなかで一瞬ひらめく天啓のようなものが「不意打ち」だ。つまり持続的な「労働」と瞬間的な「不意打ち」が彫刻を生み出す源、ということらしい。してみると、芸術活動とふつうの労働との違いは、「不意打ち」が来るか来ないかの違いになる。なるほどそうだったのか。それはいいとして、作品は、マニエリスティックな技巧に走りがちな藝大勢もいいが、バロックともいうべき西尾康之が異彩を放つ。
2009/08/13(木)(村田真)
コレクションの誕生、成長、変容
会期:2009/07/04~2009/08/16
東京藝術大学美術館[東京都]
藝大のコレクションは明治22年の開校に先立って始められたという。その収集活動の変遷をたどる展示。最近収蔵された藤田嗣治の在学中の作品も初公開されている。おもしろいのは昔の油絵の額縁。100年以上も変えてないんじゃないかみたいなボロボロの額縁や時代遅れの額縁もあって、それだけで藝大の歴史を感じさせたりもする。
2009/08/13(木)(村田真)
浜田涼展「Note」
五味彬 写真展
会期:2009/08/04~2009/08/22
ときの忘れもの[東京都]
もうだいぶ前の話なので忘れている人も多いと思うが、1991年に五味彬の写真集『Yellows』が、マガジンハウスから刊行直前に裁断・廃棄されるという事件があった。五味は1989年頃から「世紀末の日本人の体型がどうだったのかという記録として」、若い女性モデルのヌードを撮影してきた。『Brutus』誌などにも掲載されたそのシリーズを出版しようとしたところ、いわゆる「ヘア」が写っているということで、上層部の判断で出版中止に追い込まれたのだ。「へア・ヌード解禁」直前の混乱ぶりがよくあらわれているエピソードといえるだろう。
昨年、その幻の『Yellows』のプリントをコラージュして、屏風仕立てで展示したのに続いて、今回は『月刊PLAYBOY』の掲載作品、写真集『nude of J』(朝日出版社、1991)のためのポラロイド作品などを中心に出品している(着衣の作品もあり)。写真を見てまず感じる「懐かしさ」は、ヌードというジャンルの「記録」性をよく示している。モデルの体型や髪型、さらにたとえば眉毛や体毛の処理にあらわれている微妙な違和感、さらに彼女たちを取り巻いている空気感としかいいようのないものの違いが、1990年前後(もう20年も前だ!)という時代のイコンとなっているのだ。当時この作品を見た時に感じた生々しさがきれいに削ぎ落とされ、西欧社会とは異質の慎ましやかさ、きめ細かさを持つ「日本人(Yellows)の裸」というもっと抽象的な概念が浮かび上がってきているのが興味深かった。
2009/08/14(金)(飯沢耕太郎)