artscapeレビュー
高橋涼子個展──MIND CONTROL
2012年04月01日号
会期:2012/03/17~2012/04/28
studio J[大阪府]
高橋涼子は8年前から人毛を素材とした作品をつくり続けている。今回の個展も、人毛で覆われた球体をモティーフとしたロングネックレスやモビール、人毛でつくった筆で描かれたドローイングなどが並んだ。黒い髪もあれば、金髪やシャーベット色の髪もある[図1]。
素材が人毛であると知って抵抗感を示す人もいるというが、高橋にとって人毛は「この世で一番美しいもの」だという。このように言うとき、彼女は人毛をあくまでコンテクストを排除した「素材」としてみなしているのだろうか。そういう目でみると、高橋の作品において人毛は、その独特の光沢や質感を作品に付与するための単なる素材であると解釈できなくもない。ネックレスをつくる球体は、人毛だけでできているような外見とは裏腹に、発泡スチロールの球状の芯に毛髪を巻いたものである[図2]。すなわち、球状の芯に金メッキを施すかわりに、毛髪が放つ輝きを求めて人毛による「メッキ」を施しているといえなくもない。
考えてみれば、われわれが日常着るウールやシルクの服も生ける物の毛や包皮であるはずなのに、人間の髪となると人は鬘以外の用途にそれが使われることに抵抗を感じる。これは多分に、人間にとって人毛とは、それが自らの一部であった記憶を持つものだからだろう。人の毛髪を用いる作家はこれまでにも存在したが、彼ら彼女らの作品ではたいてい「記憶」のような人間の髪のシニフィエが作品を形作るがゆえに、抵抗なく受け入れられてきた。
実のところ、高橋のモビールの毛髪の球体が生じさせる後れ毛も、それがかつて女性の一部であったことを想起させる。つまり、彼女の作品の人毛は作品制作の材料としての「素材」であるとみなされうる一方で、その次元に完全に還元されることを望むものではない。ネックレスを黒く美しく輝かせる素材としての人毛、そして、身体の一部であった記憶を残すかのような表現……タイトルの「MIND CONTROL」が示唆するように、ふたつの想反する極の狭間に危うく立とうとする繊細な感性の存在がここに感じられる。4月28日まで開催。[橋本啓子]
2012/03/21(水)(SYNK)