2022年10月01日号
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artscapeレビュー

2011年08月01日号のレビュー/プレビュー

吉村芳生 展

会期:2011/07/08~2011/07/16

ギャラリー川船[東京都]

山口在住の美術家、吉村芳生の新作展。東日本大震災の後、未曾有の被害を報じる新聞紙の上にみずからの顔の図像を転写した版画作品などを発表した。壁一面に貼り出された国内外の新聞各紙を見ると、その文字と写真が当時の衝撃をありありと甦らせ、いたたまれない気持ちにさせられるが、それらの上に重ねられた吉村の顔を見ると、それが鑑賞する私たちの顔の表情とも重ねられていることに気づかされる。つまり、この作品における吉村の顔は、新聞が伝える悲惨な現実と、それを受け止める私たち自身の心情を媒介するメディアであり、同時に、その媒介の作用そのものを自覚させる、ある種の鏡なのだ。この2点は、複数性と間接性によって特徴づけられることの多い一般的な版画には見られない、吉村独自の「版画」である。さらに、吉村の「版画」には他に類例を見ない大きな特質がある。それを体現していたのが、会場の中央に置かれた紙の立体作品だ。これは、新聞紙の作品のひとつをオフセット印刷で23,000枚も印刷し、その一枚一枚に吉村が手書きでサインとナンバリングを書き入れたもの。積み上げられた紙片の物体としての迫力が凄まじい。来場者はその一枚を持ち帰るように促されるが、23,000という数字は東日本大震災で亡くなったり、行方不明になった人たちのおおむねの数だという。つまり、これは救済を必要とする魂を想像的に引き受けさせるということであり、吉村の「版画」は鎮魂のためのメディアとしても考えられているわけだ。かつて中原佑介は「版画へのカンフル剤は、過去に積重ねられた版画のエキスによってではなく、むしろ非芸術とみられる要素によってであろう」(「第三回国際版画ビエンナーレ展」『三彩』1962年11月号)と指摘したが、吉村の「版画」は非芸術というより、むしろ前芸術というべき要素によって構成されているのではないだろうか。それは、少なくとも近代的な意味における芸術の条件から外されてきた「メディア=媒介=霊媒」の機能を再び回復させようとしているからだ。

2011/07/08(金)(福住廉)

服部正志 展──○再↑生○

会期:2011/07/08~2011/08/06

YOD Gallery[大阪府]

YOD Galleryに着くや否や、ギャラリーの外壁に描かれた巨大な「ヒト」型が目に飛び込んできた。「ヒト」の中央には、なにやら非常ボタンのような、大きな赤いボタンがある。このボタンは何なのだろう、と思いつつ、入口の扉を開けると、今度は小さな「ヒト」たちに出くわす。型やシルエットとしての「ヒト」は各々、植木鉢から伸びたり、料理用ミキサーの中にいたり、時計の上を回転したりしている。
「ヒト」型は近年、服部が用いているモティーフであり、前回の個展では「ヒト」型のさまざまな変奏を通して、普遍性と違和感という人間の二面性を提示することが試みられた。今回は、「ヒト」型に電化製品という文脈が与えられることで、人とモノ、ひいては人と人とのコミュニケーションのあり方が思いがけないかたちで炙り出される。
男女の「ヒト」型がLEDでかたどられた作品は、配線がなされているにもかかわらず、スイッチを入れても光がつかない。また、白と赤のLEDが寄せ集められてできた「日の丸弁当」にも光が灯ることはない。服部によれば、電気がつかないようにしたのは白い空間での展示効果を考えてのことだが、光がつかないことに不満をもらす観客もいるという。このエピソードは、筆者にひとつの解釈をもたらした。それは、電気のつかない服部の作品が示唆するのが、われわれの想像力の存在ではないか、ということだ。観客の不満は、服部の作品にもし電気がつけばどんなにか美しいだろう、とわれわれが懸命にその状態を夢想することを示す。
電気も、人間同士のコミュニケーションも、「見えないもの」だ。しかし、人間は見えないものを想像することで、豊かな精神世界を構築し、日々の生活や人同士の関係をより前向きに、楽しいものへと変える力を有している。たとえば、古いミキサーを用いた服部の作品の中の「ヒト」型が空想させるのは、このミキサーを使い、家族で美味しい夕飯をつくった記憶だろう。この記憶は、過去には存在し、現在は「見えなくなった」家族の「コミュニケーション」である。そして、このコミュニケーションの記憶は、本展では、外壁のあの赤いボタンを押すことで蘇る。それにはふたりの人間が必要であり、ひとりはギャラリーの外に出て、あの外壁の赤いボタンを押す。もうひとりは室内で、ボタンを押されて廻り出す「ヒト」型を観る。この作業が示すのは、過去のコミュニケーションを呼び覚ます現在のコミュニケーションもまた、行為や伝達、結果が見えないもどかしさをともなうことだ。そして、われわれはそれを想像力によって補おうとする。服部の作品はデザインではなく、アートであるが、このように人間の想像力の喚起するものとして、彼の作品を解することは、デザインの新たな発想へのひとつの手がかりになるのではないかと思う。[橋本啓子]

2011/07/09(土)(SYNK)

飯田淑乃 展

会期:2011/07/09~2011/07/30

CAS[大阪府]

照明が落とされた空間には8点の写真が並んでいる。ナレーションが始まると、物語の展開に沿って1点ずつにスポットが当たり、最後には壁面に映像が投影される。物語はネズミを主人公にした昔話風のもので、明らかに先の大震災からインスパイアされていた。飯田はこれまで自分自身が特定のキャラクターになり切る作品を発表してきたが、新作はそれらとは大きく異なる。彼女の新たな側面を垣間見ると共に、ナレーションの上手さにも驚かされた。

2011/07/10(日)(小吹隆文)

epiphany─世界を発見する方法─

会期:2011/07/08~2011/07/18

中之島デザインミュージアム de sign de >[大阪府]

コンピューターや音響機器の特性を利用して批評的なサウンドアートをつくり出す高橋卓久真、サミュエル・テイラー・コールリッジの詩とギュスターヴ・ドレの挿絵をモチーフにしたインスタレーションを行なった岡田真希人、画家が絵を描いている姿の自画像を無数に複写、コラージュして絵画と写真の中間のような触感を持つ作品をつくり上げた来田猛。3人の作品を個展形式で同時に展覧した。いずれもユニークで質の高い展示を行なったが、私が最も驚いたのは来田の作品。最初に見た時は写真とは思えず、絵画なのにこのツルリとした表面はどういうことかと訝ったぐらいだ。今年2月に行なわれた京都市立芸術大学の作品展でもユニークな作品を発表し、話題を集めた来田。彼の引き出しには、まだまだ驚きのネタが隠されているのかもしれない。

2011/07/10(日)(小吹隆文)

西村陽平 展「時間と記憶」

会期:2011/07/11~2011/07/30

GALLERY ZERO[大阪府]

平面作品数点と小立体による小規模な個展だったが、大作1点がとてもユニークだった。それは、中国の古書を解体して大きな1枚の平面につなぎ合わせ、前の持ち主が引いたアンダーラインのみを残して白く塗りつぶしたもの。とにかく線の引き方が尋常ではなく、線だけを抽出すると構成主義絵画のような画面ができあがる。主体的行為をほとんど行なわずに作品を作り上げてしまう作家の手腕に感心した。

2011/07/11(月)(小吹隆文)

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