2022年10月01日号
次回10月17日更新予定

artscapeレビュー

2011年08月01日号のレビュー/プレビュー

嶋田康佑 展

会期:2011/07/09~2011/07/17

楽空間 祇をん小西[京都府]

段ボールの芯や建材などで用いられるペーパーハニカムを素材にした、オリジナルのプロダクトデザインを出品。それらは、普段はコンパクトに折りたたまれているが、両端を磁石でつなげば変幻自在にフォルムが変わり、テーブル、座布団、植木鉢カバー、間仕切りなど、幅広い用途に対応する。強度は十分で外見も美しいので、十分に実用可能ではないかと感じた。また、大学院時代に発表した、同様の手法による移動式茶室も展示されており、こちらも秀逸であった。

2011/07/12(火)(小吹隆文)

明・清陶磁の名品──官窯の洗練、民窯の創造

会期:2011/06/28~2011/09/04

出光美術館(東京本館)[東京都]

出光の中国陶磁コレクションのなかから、明から清にかけての陶磁の名品を展観する。展示はおおむね時代を追いつつ四つのパートに分かれている。最初は「明朝前期の官窯」。洪武から正徳までの官窯の作品。つづいて、清朝官窯の粉彩による絵画的な磁器の数々。三つめのパートでは明清の民窯と官窯を対比する。最後に景徳鎮以外の地方窯の特色ある作品を紹介する。出光の清朝磁器は、戦後比較的新しく形成されたコレクションであり、その内容は鑑賞陶器、すなわち純粋な鑑賞を目的とする考えで収集されたものであるという。そのために、茶道や文人趣味の審美眼による蒐集品とは異なり、むしろ中国陶磁器の本流が蒐集されることになったという。
展示のなかでも目を惹かれたのは、景徳鎮官窯「大清乾隆年製」銘(1736-95)がある茶葉末(ちゃようまつ)釉の器である。同じ様式のものが3組4点出品されているが、渋い深緑色の釉薬の美しさとあわせて、器形の抽象化のされかたがたいへんにモダンなのだ。とくに象の頭をかたどった耳がついたシンプルな方形の器。両側面の象の鼻が環を下げているのだが、その環は独立した実用的なものではなく、象の頭とともに器の表面に浅く浮き彫りにされた、高度に様式化されたデザインなのである。単色の釉のみで、絵付けはない。他の展示品にみられる絵付けを中心とした装飾とは明らかに異質で、さながらアールデコの器のようである。この時代、だれがどのような用途にこの器を求めたのであろうか。この様式はどのように評価されていたのであろうか。また後の様式にどのように影響を与えたのであろうか。たいへん気になる作品である。[新川徳彦]

2011/07/13(水)(SYNK)

WA:現代日本のデザインと調和の精神──世界が見た日本のプロダクト

会期:2011/06/24~2011/07/30

武蔵野美術大学美術館[東京都]

日本のプロダクト・デザインにおける日本らしさとはなんなのか。ここにはこの疑問に対するひとつの答えがある。国際交流基金により2008年のパリでの開催を皮切りに、ブダペスト、エッセン、ワルシャワ、サンティエンヌ、ソウルを巡回してきた本展覧会は、現代日本のプロダクト・デザインから「和」をキーワードに選び出した160点を展示するものである。
解説によれば、キーワードに設定された「和」とは「さまざまな価値、さまざまなひとびと、さまざまな立場、対立する項を融和し、より高次元なレベルで統合しようとする精神」を指す。対立する項をもう少し具体的にすれば、「新しいものと古いもの、先端技術と伝統文化、人工と自然、グローバルとローカル、日本的なるものと西洋的なるもの、遊びと実用、感情と理性」であり、現代日本のデザインの特徴としてこれらを互いに結びつけ、調和させる精神があるとする。展示では製品をジャンル別に12のカテゴリーに分けると同時に、ジャンル横断的に六つのキーワード──かわいい、クラフト、木目、てざわり、ミニマル、心くばり──で分類を試みる。トネリコが手掛けた展示方法も含め、本展のセレクションには一貫性をみることができ、海外巡回展も好評であったようだ。
そのうえでさらに疑問となるのは、この日本的なるものが国内にとどまるものなのか、海外の市場に受け入れられるものなのかという点である。日本人の考える日本的なものと、海外の人々が考える日本的なものとにはズレがある。そのズレかたは国によって異なる。はたして本展における切り口は日本のプロダクトにおける海外戦略として有効なのだろうか。日本デザインのヴィジョンとして育ててゆくべきものなのだろうか。この展覧会には日本のプロダクトをプロモートする意図はまったくなかったようであるが(図録には海外での鑑賞者から展示されたプロダクトがどこで入手できるのかと聞かれたというエピソードが特筆されているほどである)、ものづくりにとってマーケットへの対応は不可欠である。帰国展では各国における反応についても触れてもらいたかった。[新川徳彦]

2011/07/14(木)(SYNK)

ムサビのデザイン──コレクションと教育でたどるデザイン史

会期:2011/06/24~2011/07/30

武蔵野美術大学美術館[東京都]

武蔵野美術大学美術館・図書館のリニューアル開館を記念する展覧会。ポスターと椅子を核として1960年代から収集されてきたコレクション約35,000点から選ばれた500点を展示する。コレクションの第一の目的はムサビにおけるデザイン教育のための実物資料であるが、そこには近代デザイン史を概観するものという方針もあり、時代を代表するデザインが収集されてきたという。
教育目的が背景にあるということは、コレクション形成にはその時々のデザイン教育の姿勢、デザインに対する視点が反映されているはずで、その歴史はそのままムサビにおけるデザイン教育の歴史にもなりうる(このことは展示の企画にも謳われている)。しかしながら、コレクションを年代別に並べ、同時代の状況に簡単に触れた展覧会の構成は、21世紀の視点から過去を振りかえった近代デザイン史のテキストといった趣である。せっかくの「ムサビのデザイン」なのだから、近代デザインの一般的な流れを追うよりも──そもそもそれはムサビ以外にも共通することなので──、ムサビがどのようなヴィジョンを持ってデザイン教育を行なってきたのかについて、もっと強調しても良かったのではないだろうか。ただし、今回の企画は武蔵野美術大学美術館が「わが国における『デザインミュージアム』の発展を後押しする筆頭格であること」を示すこともねらいとしており、その意図からすれば展示、図録とも、とても充実したものになっているのは確かである。比較的手薄な日本のプロダクト・デザインも加え、常設化を検討して欲しい。[新川徳彦]

2011/07/14(木)(SYNK)

かんさいいすなう──人はすわって考える? 大山崎山荘にすわろう

会期:2011/06/17~2011/09/25

アサヒビール大山崎山荘美術館[京都府]

アサヒビール大山崎山荘美術館所蔵の黒田辰秋(1904-82)の椅子作品とともに、関西の現役作家30名の椅子が大正・昭和に建てられた洋風建築の内部に展示されている。黒田に直接師事した1940年代生まれの作家から、1970年代生まれの若手作家の作品まで約50脚の椅子が示唆するのは、われわれにとって理想の椅子とはなにか、という根本的な問題だろう。出品作家たちは、技法的・機能的側面から、あるいは歴史的側面から、または現代生活に求められるものという観点から、各々、この問いに対する答えを引き出そうとしているように思える。
黒田に直接師事した小島雄四郎、藤嵜一正、村山明らの椅子は、指物や漆芸、螺鈿等の伝統技術が駆使された、ケヤキの木目が美しい作品である。こうした「民藝」の流れを汲む椅子は、機能的であると同時に生活空間を彩るオブジェともなりうる。雨森一彦の切り株から枝が四方八方に生えているかのような椅子や、山本伸二のケヤキの削り出しによる彫刻のような椅子はそのオブジェ性に注目したものだろう。平松源の和室用の座椅子や、坂田卓也の低いロッキングチェアが想起させるのは無論、西洋由来の椅子に対し日本人が抱いてきた葛藤の歴史である。しかし、これらの椅子を見ながら、その葛藤は現在ではユニヴァーサル・デザインという新たな方向性を生み出しうるのではないかとも思った。若手の作家の作品には、意匠の側面よりも、機能性に目を向けたものが目立つ。シェーカー家具や北欧デザインに刺戟された宇納正幸、佃眞吾らの椅子、建築のトラス構造を用いた安森弘昌の椅子は、椅子の歴史に対するアカデミックな参照ともとれるだろう。安井悦子の子供用スツールは座面をまわすと音が出る仕掛けになっており、椅子における視覚と触覚の支配を切り崩そうとする意気込みがうかがわれた。
この展覧会が特徴的なのは、観客が出品作品のほとんどに実際に座れることである。ステージの上にある椅子に観客が座っている光景は、時には舞台の光景を観るようでもあり、意外な展示効果を放っていた。もうひとつ気づかされたのは、椅子というのは座ってしまえば本人はもとより、周りの人間からもそれがみえなくなってしまうことだ。このことは、ひょっとしたら、椅子が造形ではなくあくまで椅子であることのひとつの所以であるのかもしれない。[橋本啓子]

左=雨森一彦《木のかたち 椅子》 2003年、橡、拭漆仕上げ 55.0×109.0×60.0cm
右=山本伸二《オーム貝のベンチ》2010年、欅、オイル仕上げ(アサヒビール大山崎山荘美術館本館前にて撮影)

2011/07/16(土)(SYNK)

2011年08月01日号の
artscapeレビュー

文字の大きさ