artscapeレビュー

2011年08月01日号のレビュー/プレビュー

山賀ざくろ企画ダンス公演『沙羅等──黒沢美香さんと供に』

会期:2011/07/14~2011/07/16

アサヒ・アートスクエア[東京都]

ダンサー・山賀ざくろは(本人の人格かどうかとは別に)「嘘つき」で「ずるく」て「自分勝手」だ。身振り、手振り、音楽が鳴ったときの腰つきから、そうした彼の「人格」に接し、ニヤッとしたり、感心したり、「ちょっとずるいぞ」なんてツッコミを観客は心で呟く。ときに唯一無二の面白さと感じさせるときがあるのは、ものやひと(観客を含む)に対して山賀のとる距離のあり方が繊細だから。その繊細さに魅了されつつ「そうそう」と思い出すのは、そうしたものやひととの接触(コンタクト)の妙を楽しむというところにこそ、他のダンスと比べて異質な、コンテンポラリー・ダンス独特の部分があるはず、ということ。そう、その「はず」なのだが、近年、こうしたポイントに対して繊細なアプローチを見せる作品にあまり出会わず、残念だった。
 ところでダンスで「コンタクト」と言えば、そもそもはダンサー同士が身体を接触させる即興ダンス、コンタクト・インプロヴィゼーションを指す。1970年代に、この新しい即興の方法が登場して以来「コンタクト」は広く流行し、コンテンポラリー・ダンスの主たる要素になってきた。contact Gonzoのような、接触というより「衝突」とでも称すべきダンスも現われ、現在では「コンタクト」という状態のレンジが広がってきてもいる。
 そのうえで、「コンタクト」という枠を通して、今回の山賀と黒沢美香とによる本上演を振り返ってみると、ずいぶんとデリケートで豊かな「かかわり合い」であったと思えてくる。畳の敷かれた舞台が三カ所に分かれ、右から左へ移動しながら1時間強の上演は続いた。冒頭、観客の前を通り過ぎる浴衣姿の2人、山賀の後ろをちょっとさがってついてゆく黒沢、「夫婦」の設定かと微かににおわす。まず、右の舞台に上った2人は、しかし、同じ空間にいるように思わせないほど、互いを無視する。互いが留守のときの様子を同時に上演しているかのよう。中央の舞台に移ってしばらくしたところだったろうか、ひょうひょうと踊る山賀の後ろで、いつものように「純粋乙女」の風情で黒沢が踊る、その黒沢に客の関心が移ったときだった。山賀がじろじろと踊る黒沢を眺め始めたのだ。イヴォンヌ・レイナーは近年『トリオA』の改訂版で、踊るダンサーを見つめ続けるパートナーを舞台に置いたというが、この光景はそのエピソードを思い起こさせた。黒沢の「純粋乙女」風情は、「心に抱くファンタジーに乙女が没頭している」と思わせるところに生まれる。この没頭に山賀は水を差した。微妙な変化だが、明らかに黒沢はやりづらそうな顔を見せ、動作が若干だが揺らぐ。左の舞台に移動しても、山賀はこの振る舞いをしてみせた。ここまで黒沢に接触(コンタクト)したダンサーがいただろうか。肉体の強烈なぶつかり合いとは異なる、しかし、強烈な接触が、関わり合いがそこにはあった。一人の人間と人間とが出会い踊っているというその出来事それ自体が、作品になっていた。ダンスの上演とはそのようなものだ、なんてことをあらためて確認させてもらった好演だった。

2011/07/16(土)(木村覚)

美術の中のかたち─手でみる造形 桝本佳子 展 やきもの変化

会期:2011/07/16~2011/11/06

兵庫県立美術館[兵庫県]

美術品に手を触れられる、兵庫県立美術館恒例の小企画展。今年は陶芸作家の桝本佳子をフィーチャーした。桝本は、陶芸界で行なわれている「写し」(過去作品のコピー)に着目し、兵庫陶芸美術館所蔵の古陶(それ自体も「写し」)をモデルに「写し」を制作、そこからさらに着想を広げて新作を作成し、「写し」が繰り返されることでフォルムや装飾が元々の意味を失っていく過程を明らかにした。陶器は本来が実用品であり、触れて使用するものなので、この企画には馴染みが良い。割れる危険を承知で出品を快諾した桝本には拍手を送りたい。また、彼女の過去の作品にも「写し」が重要な要素として織り込まれていた事実に、今回改めて気付かされた。

2011/07/16(土)(小吹隆文)

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山下菊二 展

会期:2011/06/27~2011/07/22

日本画廊[東京都]

毎夏恒例の山下菊二展。今回は顔を描いた絵画作品18点が展示された。一口に顔といっても、人間と人間が合体していたり、人間と動物が融合していたり、山下ならではのシュルレアリスム的想像力が発揮された複雑怪奇なものばかりでおもしろい。だからといって土着的な怨念が込められたおどろおどろしさはまったくなく、全体的に明るい色彩が多かったせいだろうか、むしろ軽妙なユーモアすら感じさせるところに大きな特徴がある。山下菊二というと、社会的政治的な主題に取り組んだ硬派な印象が強いが、じっさいの絵をよく見てみると、柔軟で伸びやかな感性によって貫かれていることがよくわかる。後者によって前者に挑むという点では、山下菊二の絵は、じつは昨今の脱原発運動に見られる新しい表現形式と通底しているのである。

2011/07/16(土)(福住廉)

あたらしいビョーキ いくしゅん・林圭介 二人展

会期:2011/07/01~2011/07/31

Gallery OUT of PLACE[奈良県]

写真家のいくしゅんと画家の林圭介。2人は共に奈良県在住で、年齢も30歳前後と同世代だ。いくしゅんは、過去約5年間に撮りためたスナップ写真を編集して、壁面にランダムに直貼りした。人、風景、動物など主題はさまざまだが、そのどれもが絶妙な瞬間を捉えており、写真家として不可欠な眼と運を持ち合わせていることがわかる。林の作品は、ブラックでグロテスクな情景を青一色で描いたユニークなものだった。

2011/07/17(日)(小吹隆文)

モホイ=ナジ/イン・モーション

会期:2011/07/20~2011/09/04

京都国立近代美術館[京都府]

モホイ=ナジといえば、バウハウスの教師であり、写真やコラージュの作品が有名。その程度の認識しかなかった私にとって、本展は今までの認識を一新させてくれる目の覚めるような企画だった。彼はその流浪の生涯のなかで、写真はもとより、絵画、彫刻、グラフィック・デザイン、映画、舞台美術と、まさに八面六臂の大活躍。元祖マルチアーティストというだけでなく、コミュニケーションを重視するという点で現代アートの先駆者とも呼べる人物だったのだ。もしモホイ=ナジが現代に生きていたら、デジタル機器を用いてどんな表現を見せてくれただろうか。また、モダニストだった彼には、ポストモダン以降の世界がどう映ったのだろうか。作品を見ながらそんな夢想がどんどん広がっていった。

2011/07/19(火)(小吹隆文)

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2011年08月01日号の
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