artscapeレビュー
2011年10月15日号のレビュー/プレビュー
山下残『庭みたいなもの』
会期:2011/09/22~2011/09/25
神奈川芸術劇場[神奈川県]
ヨコトリ連携プログラムとして制作された公演。客はまず材木で組まれた舞台の下を通って客席に着く。舞台下は食堂や浴室などを備えた小屋になっていて、一艘の船も置かれている。つまり舞台は小屋の屋上ということになる。もうこれだけでリッパなインスタレーションだ。舞台上に登場するのは男3人に女4人の計7人。彼らがシリトリでもするかのように次々と言葉と行為によるコミュニケーションを繰り広げるのだが、その間合いがじつに微妙で、笑う場面で笑えなかったり、逆に笑うべきでない場面で笑えたり。このハズシ方はとても新鮮だ。終盤、床板を外して小屋から船を引き上げるのだが、この屋根の上に船が乗った風景はどこかで見た覚えがある。さてどう終わるのかと思ったら、じつに後味のいい絶妙な終わり方をしていた。これは納得。
2011/09/25(日)(村田真)
「レオナルド・ダ・ヴィンチ 美の理想」展・記者発表
会期:2011/09/26
イタリア大使館[東京都]
待望のレオナルド・ダ・ヴィンチ展。といっても《モナリザ》が来るわけないし、《最後の晩餐》は壁画だから運べない。タブローは、作者が「レオナルドと弟子」とか、「レオナルド構想」とか、「レオナルド派」とかばかりで、確実にレオナルドの手になるのは2点の素描と習作のみ。それでもすごい。地震と津波に襲われ、放射能に汚染された二流国の、いや文化的には三流国の日本に貸してくれるのだから、イタリアは太っ腹だ。たんにアバウトなだけかもしれないが。で、レオナルドの真作は《ほつれ髪の女》と《衣紋の習作》の2点。前者は清楚な女性(ひょっとしたら男)を描いた素描で、これは人気が出るだろう。でも私的には、人物を描かず服のシワだけを描いた《衣紋の習作》のほうに興味がある。おそらくクリストもこういう衣紋の美しさに魅せられて布による巨大なインスタレーションを始めたのだ。ほかにも、4点の《裸のモナ・リザ》を含む「モナ・リザもどき」や、もうひとつの《岩窟の聖母》なども見られる。静岡市美術館(2011/11/03~2011/12/25)、福岡市美術館(2012/01/05~2012/03/04)のあと、Bunkamuraザ・ミュージアム(2012/03/31~2012/06/10)にて開催。
2011/09/26(月)(村田真)
クリスト・アンド・ジャンヌ=クロード展──Books, Editions, Printed Matters
会期:2011/09/26~2011/10/31
ストア・フロント[東京都]
池之端にオープンした新しいギャラリー。オーナーは長年クリスト夫妻のアシスタントを努めて来た柳正彦。60年代の梱包作品から《アンブレラ》までオリジナル作品のほか、版画・マルチプル、ポスターなどを展示している。ギャラリーの名前にもなった作品《ストアフロント》もあった。オープニングレセプションにはクリスト自身も駆けつけてサインしまくり。ギャラリー空間は狭いが、ブックショップも兼ねているし、活動次第ではアートスポットとして注目を浴びるかもしれない。
2011/09/26(月)(村田真)
東日本大震災に係る復興支援プロジェクト「立ち上がるための住まい展」
会期:2011/09/26~2011/09/30
工学院大学新宿キャンパス[東京都]
ギャラリートークを行なうために、工学院大の1階吹抜けで開催された、東日本大震災に係る復興支援プロジェクト「立ち上がるための住まい展」を訪れる。会場では、ダンボールによる簡易ユニットなど、工学院大の各先生のプロジェクトを紹介するほか、住田町の木造仮設住宅や釜石に持ち込まれたパオの実物が展示された。
2011/09/26(月)(五十嵐太郎)
モダン・アート、アメリカン──珠玉のフィリップス・コレクション
会期:2011/09/28~2011/12/12
国立新美術館[東京都]
19世紀なかばの素朴派のエドワード・ヒックスから、世紀後半のアメリカ印象派、20世紀前半のモダンな都市風景を経て、1960年代の抽象表現主義のロスコ、フランケンサーラーにいたるまで、1世紀余りのアメリカ近代絵画をたどる展観。外光を浴びた日傘の描写が美しいプレンダーガストの《パッリア橋》をはじめ、自然の風景をモニュメンタルな形態に封じ込めたロックウェル・ケントの《アゾバルド川》、まるで豆腐のような建物がユニークなジョージア・オキーフの《ランチョス教会、No2、ニューメキシコ》、軽快なタッチで一瞬の表情をとらえたロバート・ヘンライの《オランダ人の少女》、夕暮れの高架鉄道を光と闇の対比で効果的に表現したジョン・スローンの《冬の6時》、マンハッタンに建ち始めた高層ビルを幾何学的抽象のように描いたチャールズ・シーラーの《摩天楼》など、抽象表現主義以前のあまり知られていない作品が紹介されて満足度は高い。肝腎の抽象表現主義は10数点出ているが、巨大画面を身上とするグループなのにそれほど大きな作品はなく、かえって貧相に感じられるのが残念。とはいえ、フィリップ・ガストンやクリフォード・スティルらの作品は日本で見る機会が少ないので貴重だ。
2011/09/27(火)(村田真)