2020年10月15日号
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artscapeレビュー

2013年10月15日号のレビュー/プレビュー

ル・コルビュジエと20世紀美術

会期:2013/08/06~2013/11/04

国立西洋美術館[東京都]

常設展示室でコルビュジエの特集をやっていた。シャルル=エドゥアール・ジャンヌレことル・コルビュジエの絵画、ドローイングを中心に、彼を絵画の世界に導いたオザンファン、ピカソ、ブラック、レジェらおもにキュビスムの作品を展示し、あわせてコルビュジエの建築ドローイングや写真も紹介している。彼は午前中に絵を描いて、午後から建築の仕事をしていたそうだが、忙しいのによく絵を描き続けられたもんだ。もちろん絵は建築の仕事の養分になったはずだが、それだけではないだろう。彼の絵を見ると、レジェとかピカソとよく似てるなあというのが正直な感想だが、個々のモチーフが構造的にしっかりと把握されているせいか、論理的で言語化しやすい点はさすが建築家と感心する。とはいえ、別に絵画で一番をとろうとか革命を起こそうとは思っていなかったはずで、建築に比べれば余裕の制作だったに違いない。それにしても、自分の設計した極東の美術館で自分の絵が展示されるとは、コルビュジエ自身も予想してなかっただろう。時間がなかったので駆け足で回ったが、示唆に富んだ展示だった。

2013/09/05(木)(村田真)

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光のイリュージョン──魔法の美術館

会期:2013/09/06~2013/10/06

上野の森美術館[東京都]

いわゆる「光もの」だが、かつてライトアートなどと呼ばれていたころと違うのは、観客の動きに合わせて光や映像が変化すること。でもみんなインタラクティブになっちゃうと逆にどれもこれも似たり寄ったりになって、ほとんど記憶に残らない。もともと光ものは刺激的だけど記憶に残るもんではないし。

2013/09/05(木)(村田真)

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川本健司「よっぱらい天国N」/「よっぱらい天国M」

GALLERY SHUHARI/M2 gallery

会期:2013年8月22日~9月8日/8月26日~9月1日

今回、東京・四谷三丁目のGALLERY SHUHARIと新宿御苑前のM2 galleryで同時期に開催された「よっぱらい天国」展には、川本健司が2008年頃から撮り始めた同名のシリーズが展示されていた。川本は吉永マサユキが主宰するresist写真塾を卒業後、GALLERY SHUHARIを共同運営するメンバーのひとりである。同塾の出身者には、やや愚直なほどにひとつの被写体、同じテーマにこだわり続ける者が多いが、川本の「よっぱらい天国」もそのひとつだ。
タイトルが示すように、川本が撮影し続けているのは、東京とその周辺の鉄道の駅や広場、バス停などで酔っぱらってうたたねしている人物たち(ほとんどが男)である。確かに、よく目につく被写体には違いないが、なかなか長期間にわたってシャッターを切り続けるのは難しいはずだ。彼も最初は何気なくカメラを向けたのではないかと思うが、そのうち彼らの存在の面白さに気がつき、集中して撮り続けるようになったことが想像できる。このような無防備な姿を、何の躊躇もなく人目にさらすことができる国はそれほど多くないはずで、これだけ数が増えてくると、日本の現代社会を象徴する光景として分析の対象になるのではないかと思う。貴重なドキュメンタリーであり、労作と言えるのではないだろうか。
ただ最初は35ミリカメラで、次は4×5判の大判カメラで、最終的には6×7のフォーマットで撮影するようになって、画面の中の酔っぱらいの男たちのたたずまいが、おさまりがよく、ほぼ均一に見えてくるのが気になる。背景となる風景とのバランスに気を取られすぎて、当初の異様な雰囲気が薄れてしまっているのは、それでいいのだろうか。資料的価値だけではなく、表現としての可能性を再考する時期に来ているのかもしれない。

2013/09/05(木)(飯沢耕太郎)

須田一政「テンプテーション2011-2013」

会期:2013/09/04~2013/10/05

フォト・ギャラリー・インターナショナル[東京都]

須田一政は展覧会のリーフレットに寄せた「TEMPTATION」と題する文章で以下のように書いている。
「写真家ならざるものを撮ってみたいという変な衝動にかられている。これまでは対象物をぐっと自分に引き寄せるかたちで作品を創ってきたのだが、近年、被写体に引き込まれるような感覚にとらわれているせいかもしれない。/写真は自らを反映すると言いながら、できるだけ自意識を離れたいと考えてきた。どこかで内なるものを覗くことに抵抗していたのだ。その視覚こそ絶対の原則に、未知のナニが入り込んできたような気がするのだ」
1940年東京生まれ、70歳を超えた須田の現時点での写真観が、過不足なく言明されていると言えるだろう。ここで語られている「被写体に引き込まれるような感覚」は、確かに須田の近作を集成した今回の展示作品にはっきりと表われている。さらに言えば、「被写体に引き込まれる」のは写真家だけではない。その写真を見るわれわれ観客もまた、そこに写っている幽明の境界を漂うようなモノ、人、生きものたちの方へ引き寄せられ、吸い込まれてしまうような恐怖にとらえられてしまう。そこには確かに「未知のナニ」が、不気味だがどこか笑いを誘うような姿で、のっそりと横たわっているのだ。
ギャラリーの控え室に、まるでこちらをそっと覗き見るように掛けられた自写像を含めた全30点。縦位置の写真が多いのは、そのまま写すと縦長に写ってしまう6×4.5判のカメラを使っているためだろう。そこには、入退院をくり返しつつも、ますます融通無碍な境地に達しつつある須田一政の写真表現の現在が、血を滴らせるように生々しく露呈していた。

2013/09/05(木)(飯沢耕太郎)

川田喜久治「Unknown 2013」

会期:2013/07/20~2013/10/20

ライカギャラリー東京[東京都]

川田喜久治は須田一政よりもさらに年長の1933年生まれ。ということは今年80歳になるわけだが、創作意欲はまったく衰えを知らない。「2013年1月20日にライカMモノクロームを手にしてから今日まで毎日作品を作り続けている」というのだから恐れ入る。今回のライカギャラリー東京での個展には、日々撮り続けた「眼の日記」とでも言うべきモノクロームのスナップ作品14点が展示されていた。川田の写真観もまた、明晰で揺るぎがないのは、会場に掲げられた以下のコメントを読んでもわかる。
「アンノウンという、不明であやしいものへ日々接近する。突然の反応とシャープなピントが見知らぬものとシンクロする。そのとき、なにかが逸脱し、異化されたものが現れる?」
ここで川田がいう「アンノウンという、不明であやしいもの」とは、須田一政の「未知のナニ」とほぼ同義だろう。両者とも日常のただなかから、自らの思惑を外れた「異化されたもの」を拾い集めようとしているのだ。だが、須田の「テンプテーション」の、ぬめぬめと蠢きながら、湿った真綿のようにまつわりついてくるような感触と比べると、川田のそれはより乾いていて、モノとして輪郭がエッジのようにくっきりと切り立っている。それはむろん、彼らの写真家としての体質の違いからくるものだ。観客は異なった入口から、都市の現実に裏返しに貼り付いている悪夢のなかに入り込んでいくわけだが、もしかすると彼らの世界は、どこかで双子の臍の緒のようにつながっているのかもしれない。

2013/09/05(木)(飯沢耕太郎)

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