artscapeレビュー

2013年11月01日号のレビュー/プレビュー

展覧会「サイネンショー」

会期:2013/10/04~2013/10/19

MATSUO MEGUMI VOICE GALLERY pfs/w[京都府]

陶芸家の松井利夫を中心としたグループによる本展では、不要陶磁器を再び窯で焼成したやきものが多数展示されていた。ちなみに燃料も建築廃材を使用しており、本展の根幹に東日本大震災後顕著に語られるようになった現在の社会システムへの疑問があることは間違いない。筆者自身はその論には必ずしも首肯しかねる立場だが、出来上がった作品には興味を覚えた。それらの多くは変形・変色し、なかには溶けた釉薬が接着剤となって複数の器が結合した奇怪なオブジェもある。侘び茶を大成した千利休や、便器を芸術作品に転換したマルセル・デュシャンのように、既成概念を逆転するロジックをひねり出すことができれば、これら再生やきものにも明るい未来が広がるだろう。要はそのロジックがつくれるか否かだ。

2013/10/08(火)(小吹隆文)

時代が見えてくる──オキュパイドジャパンのおもちゃたち

会期:2013/08/17~2013/12/01

杉並区立郷土博物館分館[東京都]

イラストレーター高山文孝氏のコレクションにより、明治時代から昭和30年代までの日本製玩具を紹介する企画。「Made in Occupied Japan」とは、占領下日本で製造されたさまざまな輸出商品に付された生産国名表示である。公式には昭和22年から昭和24年までのあいだに義務づけられていたという。本展の中心となるのが、この時期の玩具である。日本がいまだ敗戦から立ち直っていない時代、素材にセルロイドやブリキを用いた玩具の仕向先は米国である。人形の姿も、自動車のスタイルも、パッケージのデザインも米国向けなのだが、そこにしばしば日本的なキャラクターが混じっている点が面白い。
 ただし、展示品はその時期の玩具だけではなく、明治大正期から昭和30年代にまで及んでいる。なぜか。高山文孝氏は、図録の序文で《肉弾三勇士》と《幸福な時代》という昭和7年に発売されたふたつの玩具を取り上げている。《肉弾三勇士》とは、第一次上海事変中の1932(昭和7)年に、点火した破壊筒を持って敵陣に突入、自ら爆死した三人の兵隊のことで、その「愛国美談」は映画・演劇にも取り上げられブームを呼び、三人の姿はさまざまな玩具にもなった。他方で《幸福な時代》は、廻るビーチパラソルの下で昼寝をする少女の玩具。昭和の初めには、のどかな光景が玩具に取り入れられる一方で、戦争の足音を感じさせる出来事が玩具に現われてゆく。その後日本は着実に第二次世界大戦へと歩みを進め、玩具の意匠にも戦時色が強くなっていく。結果的には日本は戦争に負け、「Made in Occupied Japan」の玩具へと到ったのだと解説する。
 進駐軍が制作したという玩具工場の映像資料がとても興味深い。玩具の原材料は米兵が消費した食品の缶詰である。荷馬車に空になったブリキ缶が積まれて戦争未亡人ばかりが働く小さな玩具工場へと運ばれる。工場では缶詰の蓋などを切り取り、側面を板に伸ばしてプレス機にかけると車のボディができあがる。本体を塗装し、車輪などを取り付けるとミニカーのできあがり。これがアメリカに輸出されていたという。すなわち、玩具はその意匠の点で時代を映すばかりではなく、素材、技術、市場や社会の変化に敏感に反応し、その姿を変えていったのである。図録では海外の玩具の動向や新しい玩具のデザインを提案していた工芸指導所の活動の紹介や、「Made in Occupied Japan」の刻印期間の考察もなされている。ただノスタルジーに浸るのではなく、玩具を通じて時代を見る、すばらしい企画である。[新川徳彦]

2013/10/09(水)(SYNK)

黄金町バザール2013

会期:2013/09/14~2013/11/24

京急線「日の出町駅」から「黄金町駅」の間の高架下スタジオ、周辺スタジオ、既存の店舗、屋外ほか[神奈川県]

2008年以来、神奈川県横浜市の黄金町一帯で催されてきた「黄金町バザール」も6回目を迎えた。今回参加したのは、国内外から推薦され、あるいは公募を通過したアーティスト16組。基本的に黄金町に滞在して制作した新作を発表した。
前回までとの大きな違いは、展示エリアがコンパクトになっていた点である。京急の高架下を中心に作品が点在しているので、鑑賞者は地図を片手に作品を探し歩くことになるが、いずれの会場もほどよく近いので、歩きやすい。ところが、その道中で気がついた点がある。それは、自分の足取りが、いわゆる「黄金町」と呼称される地域の外縁にほぼ相当しているという事実である。鑑賞者は「黄金町バザール」を楽しみながら、同時に、黄金町の内部と外部の境界線を上書きしていたのだ。
この内部と外部の境界線という主題を、最も如実に表現していたのが、太田遼である。太田は建物の戸外に設置されている雨樋を室内に引き込んだ。展示会場の白い床には、薄汚れた水滴の痕跡が重なりながら残されていたから、雨樋として実際に機能しているのだろう。西野達とは違ったかたちで外部を内部に取り込む手並みが鮮やかだが、太田の作品はもうひとつあった。会場の奥の扉を開けると、そこには中庭のような、しかし、用途不明の奇妙な空間が広がっている。建物と建物の背中が合わせられたデッドスペースに、トタン板などを張り巡らせることで、外部でありながら内部でもあるような両義的な空間を作り出したのである。内部と外部の境界線を巧みに編集してきた太田ならではの傑作と言えよう。
今回の「黄金町バザール」は、展示エリアを縮小したことによって、結果として「黄金町」という地域の既存の境界線を強固に補強してしまったように思えてならない。青線地帯という固有の歴史を背負っているがゆえに、外部から隔絶された閉鎖的な街。「黄金町バザール」が、その負の歴史からの脱却ないしは克服を目指しているとすれば、必要なのは「黄金町」の境界線をなぞることではなく、まさしく太田が鮮やかに示したように、内部と外部の境界線を反転させることで、両義的な空間を拡張していくことではなかろうか。「黄金町」でありながら「黄金町」とも限らないような街。アートがまちづくりに貢献できることがあるとすれば、そのような不明瞭な街並みをアートによって見せていくこと以外にないのではなかろうか。

2013/10/09(水)(福住廉)

地域を彩る盆踊り

会期:2013/07/12~2013/11/11

パルテノン多摩歴史ミュージアム[東京都]

多摩市域における盆踊りの歴史と変化をたどる企画。盆踊りは、本来は盂蘭盆(うらぼん)のころに迎えた精霊を供養するための踊りを起源であるが、室町時代にはすでに宗教的な意味合いは薄れ、民衆の娯楽として発達した。かつて多摩市域では死者の供養はおもに念仏講や僧侶が担っていたため盆踊りの習慣がなかったが、青年団が主催する盆踊りが行なわれていた地域もあるという。そうした状況が大きく変化したのは、多摩ニュータウンの開発以降である。旧来の共同体との結びつきを持たない多数の住民が各地から移り住んだニュータウンには新たに多数の自治組織がつくられ、住民同士の親睦を深め、地域を活性化するための活動として、各所で盆踊りが行なわれるようになったのだそうだ。展示は解説や写真パネルのほか、盆踊りのための学校校庭使用許可願などの文書、かつて盆踊りのために用いられた手作りの櫓の一部など、ユニークな実物資料で構成されている。ニュータウン開発以降も、街の拡大、自治組織や住民層の変化、老朽化した団地の再開発などで街の姿は変わり続けている。そうした街の変化とともに祭が生まれ、やがてそのかたち、場が変化してゆく様が指摘されていて、とても興味深い。[新川徳彦]

2013/10/11(金)(SYNK)

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フクシマサトミ 襖絵展

会期:2013/10/05~2013/10/13

陶々舎[京都府]

大徳寺にほど近い瀟洒な木造邸宅を、ほぼそのまま利用した会場で行なわれた本展。室内を取り囲むように展示された作品は、筆を一切使わず、紙に染料をかけ流した痕跡と滲みだけでつくられていた。それらは5から6の色層で構成されており、ひとつの層が乾くのを待って次に移るという、手間のかかる制作方法が取られている。画風は抽象的だが、床の間だけは山水画を思わせる仕上がり。これは作者が最初から意図したものではなく、偶然風景らしい図像が見えてきたので、途中から山水画に寄せたそうだ。周囲を埋め尽くしているのに圧迫感はなく、逆に広がりのある空間が眼前に広がるかのような、伸びやかさが魅力的な作品だった。

2013/10/11(金)(小吹隆文)

2013年11月01日号の
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