artscapeレビュー

2013年11月01日号のレビュー/プレビュー

池田扶美代×山田うん『amness』

会期:2013/10/18~2013/10/20

KAAT 神奈川芸術劇場・中スタジオ[神奈川県]

主宰のアンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルとともに長年ローザスを牽引してきた池田扶美代。10年以上日本のコンテンポラリー・ダンスのなかで活動してきた山田うん。異色の顔合わせが実現した本作で2人は、それぞれが蓄積してきた〈ダンス〉を存分に舞台に放出した。2人の個性はかなり異なる。池田の動きは、後ろ歩きで弧を描いたり、リズムをつけて足を蹴り上げたりなど、そこここで「ローザス」を想起させる。そこにいるのは、少女的でしかし芯の強い、凜としているのだけれどユーモアもある、かわいいが度胸の据わった女性。デリケートで、滋味に富んだダンスは、そうしたパーソナリティが背後にあって繰り出されたものだと思わされ、なんと言おうか、動きに説得力がある。緑色のミニワンピースを着た池田に対して、山田は赤いロングのドレス。山田の動きには筋肉を感じる。「体操的」とでも言おうか。池田に感じる女性像の如きパーソナリティが山田の踊りには希薄で、動きの背後になにかがある気がしない。ニュートラルな運動。なぜいまここでこの動きなのか、その必然が伝わってこない。いや、ぼくが受取れないだけなのか。もちろん、見応えのある動きが出てきてはいるのだが、池田と比べると、その点が目立つ。ぼくの山田うんへの苦手意識は要するにここに起因しているのかと気づかされた。それにしても、2人のダンスはもちろんのこと、照明、音響、舞台上のすべてのアイテムが、デリケートに慎重に整えられていて、繊細で質の高い公演だった。


池田扶美代×山田うん『amness』


2013/10/19(土)(木村覚)

プロジェクト大山『をどるばか』

会期:2013/10/19

BankART Studio NYK[神奈川県]

石井漠という舞踊家がいた。日本のモダンダンスの創始者とも称され、ダンス学校のあった土地を「自由が丘」と名づけたことでも知られている。今作は大野一雄フェスティバル2013の一作で、残されたフィルムや再演の映像をもとに、若手女性グループのプロジェクト大山が舞台上で石井の足跡を辿った。今年8月の川口隆夫『大野一雄について』もそうだったのだが、こうしたたんなるオマージュに留まらず、研究的側面からであれ娯楽的側面からであれ、過去の遺産を映像ベースで丹念に振り返る試みは、これまで乏しかった分、今後は増えてくるかもしれない。音楽業界ならば、過去のマスターピースと新作とが競合する状況は当たり前のものになっているけれども、舞台芸術でも、過去へとアクセスすることで同様のことが起こりうるのかもしれない。とくに残された映像やそれを映写する技術の向上はその状況を促進する力となることだろう。開演前から、ダンサー3人が舞台で書道している。半紙に書くのは「石井漠」「蛇精」「忠純」「馬鹿」など。気になるのは字の汚さ、ラフさで、書道という日本文化が身についていない印象を与える。彼女たちのダンスにも同じ印象を受ける。次々と3人は石井作品を踊っていく。作品が変わる度に、石井と弟子たちの映像や再演の映像がスクリーンに上演された。石井作品の解釈をコント的に表現する場合もある。「食欲をそそる」という作品では、カレーの鍋とご飯ジャーを持った2人が、スプーンを手にした1人の前で、匂いを嗅がせたりカレーライスをよそったりした。「食欲」は確かに扱っているが、カレーライスは石井のアイディアとは直接関係がなかろう。観客は3人の演じるコミカルな場面に笑う。けれども、この笑いが石井から離れてただ目の前の滑稽なさまに向けられただけならば、ちょっともったいない。石井の方法論、アイディアの奇抜さを引きだしてその潜在的な力を目に見えるものにするのでなく、石井を表面的に取り上げておもしろ可笑しく見せるだけでは「ひょうきんなお嬢さんたちがダンスとコントをしていた」という印象しか残らない。しかし、石井の面白さの研究に邁進するとなると、娯楽要素は薄まるだろう。舞台芸術の潮流は、研究的傾向にあるとぼくは見ているけれども、そういう意味では、むしろそうではない本作が将来回顧されたとき、2013年の過渡的な日本の状況をよく示した作品として見直されるのかもしない。

2013/10/19(土)(木村覚)

快快『6畳間ソーキュート社会』

会期:2013/10/18~2013/10/20

トーキョーワンダーサイト渋谷[東京都]

快快「第二期」というべきかはわからないが、数人の主要メンバーが離れて以後の新体制で初の作品となった本作。「演出家」とか「役者」とかの既成概念を超えて、個々のパーソナリティが強烈に目立っていた快快にとって、これまでの主要メンバーが居なくなったことは、本質的な変貌を余儀なくさせていた。一言で言えば、「つながり」の弱さが目立った。上演直前に出演者から観客に飴が振る舞われるなど、観客との接触を工夫していないことはないのだが、そうした行為が既成の演劇を破壊するほどダイナミックではない。そこに「あれ? らしくない」と観客は思わなくもない。テーマは「iPhoneとともに暮らす若者の人生」。スクエアな空間の周囲を底上げして客席にし、観客が上から舞台を覗き込むように設えられた劇場空間は、テーマとうまく調和していた。真ん中には無印良品のベッド。シーツの上にはiPhoneの画面が映写され、観客は自分のスマホを覗くように、巨大なiPhoneに向き合う。iPhoneは便利だ、「なんでも」と言っていいくらいできる。これと対照的なのは人間。デバイスは人間の暮らしを便利にする。いやそれ以上に、人間の暮らしを支配し、方向付けしてくる。人間よりデバイスが主体となる社会では、アップデートできないどころか老いもする人間は置いてけぼりにされかねない。快快の(裏?)テーマには「文明に疎外される人間」がずっとあった(演出レヴェルで示された、演劇のなかで疎外される役者の身体とかも、そのひとつだろう)。では、人間はどう存在価値を主張するべきか。この問いに快快が本作で用意した視点は、人間は子どもをつくれるということ、それと原始に帰ったところから考えてみようということだった。昨今の女性作家たちが、動物や昆虫に自分のイメージをすり合わせているのと比べると、とても人間的な態度だ。楽観的とも映る。けれども、人間の力を信じることこそ、快快らしい態度であるはず。演劇を破壊したり拡張したりするやり方で「つながり」を実践してきたこれまでと違って、演劇であることに留まりながら、快快はそれでも相変わらず、人間の力を信じて「ソーキュート」な瞬間を求めていくのだろう。その宣言として本作を受け止めた。

2013/10/20(日)(木村覚)

プレビュー:あなたの肖像 工藤哲巳 回顧展

会期:2013/11/02~2014/01/19

国立国際美術館[大阪府]

1994年以来、約20年ぶりに開催される工藤哲巳の大回顧展。日本初公開を含む代表作約200点が展示されるほか、1962年の「第14回読売アンデパンダン展」に出品された伝説的作品《インポ分布図とその飽和部分に於ける保護ドームの発生》(ウォーカー・アートセンター蔵)が50年ぶりに帰国、さらには多数の記録写真と関連資料、ハプニングの秘蔵映像(初公開)と話題満載の内容だ。規模的にも前回の1.5倍に拡大しており、工藤展の決定版となるだろう。

2013/10/20(日)(小吹隆文)

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プレビュー:Exhibition as Media 2013蓮沼執太 展「音的→神戸|soundlike 2」

会期:2013/11/02~2013/11/20

神戸アートビレッジセンター[兵庫県]

音楽作品のリリース、ライブパフォーマンス、展覧会、ワークショップ、イベント制作、CM、映画への楽曲提供など、音楽を中心に幅広く活動する蓮沼執太が、関西初個展を開催。今年2月にアサヒアートスクエア(東京)で行なった初個展「音的」の出品作品に加え、アフリカ・ナイロビや神戸・新開地をフィールドワークして制作した新作を展覧。ギャラリー、シアター、スタジオを備えた会場の特性も生かし、彼の「音的」世界を神戸から発信する。

2013/10/20(日)(小吹隆文)

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2013年11月01日号の
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