artscapeレビュー

2011年03月01日号のレビュー/プレビュー

冷たい熱帯魚

会期:2011/01/29

テアトル新宿[東京都]

善人の話は退屈だけれど、悪人の話であれば何時間でも聞いていられる。それが常識的な倫理や道徳をあっさり超越するほど飛び切り悪い話だったら、なおさらだ。園子温監督による本作も、吹越満が演じる主人公・社本を差し置いて、でんでんが演じる悪人・村田の魅力が全開にされた映画だ。ユーモアあふれる巧みな話術と細やかな人心掌握術によってヤクザや女を手玉に取り、強い者にはへつらい、弱い者には容赦なく強圧する村田の愛すべきキャラクターから、一時も眼が離せない。ウジウジしてオロオロするだけのもやしのような社本を前にして「警察とヤクザに狙われててもなあ、おれは自分の脚で立ってるんだよう!」と啖呵を切る言葉に、「うん、たしかにそのとおり」と膝を打つことしきり。いちいち説得力のある村田の人生論に比べれば、反抗する娘に「人生ってのはなあ、痛いんだよう!」と唐突に説教してみせる社本の言葉は、「いまさら何言ってんだ」と思わず鼻で笑ってしまうほど、白々しい。おそらく、この映画の肝は、常識や世間体に縛られることなく、村田の黒いカリスマ性を全力で描き切ることにあるのであって、悪人に翻弄される社本や社本のこじれた家族問題、あるいはクライム・サスペンスという設定ですら、それを巧みに引き立てるための演出装置にすぎない。あまりにも通俗的で凡庸なラストシーンも、興醒めさせられることにちがいはないが、それにしても映画としての物語を半ば強制的に終わらせるための手続きとして考えれば、我慢できなくはない。善と悪のあいだで揺れ動く曖昧な心情を綴ることを文学的と呼ぶとすれば、村田の悪人ぶりを完膚なきまで徹底的に描き切ったこの映画は、芸術的というべきである。

2011/02/01(火)(福住廉)

レッド

会期:2011/01/29

新宿バルト9[東京都]

近頃、ハリウッド俳優がノリで出演しちゃったような映画が増えている気がするが、この映画もそのひとつ。何しろキャストには、ブルース・ウィリスをはじめ、モーガン・フリーマン、ジョン・マルコヴィッチ、さらにはヘレン・ミレンやリチャード・ドレイファスまで錚々たる面々が名前を連ねている。しかも、この面子でスパイ・アクション・ムービー。冗談としか思えないが、映画をじっさいに見ても、それほど笑えないところがまた、なんともおかしい。

2011/02/01(火)(福住廉)

第59回東京藝術大学卒業・修了作品展

会期:2011/01/29~2011/02/03

東京藝術大学上野校舎[東京都]

毎年恒例となっている東京芸大の卒業・修了展。全面的な改修工事に入っている東京都美術館の代わりに、上野校舎内の隅々を使って作品が展示された。作品を展示するための空間ではなかったせいか、全体的になんとか工夫を凝らして作品を見せようとしていたので、次善の策とはいえ、美術館で見せるより結果的にはよかったのかもしれない。もっとも印象に残ったのは、藤島麻実の《一日一膳》。文字どおり365日、毎日ひとつの器を制作して、その365個の器を一挙に見せた。一つひとつの色やかたちがすべて異なっているので、見ていて飽きることがない。唯一無二の作風を求められがちな世界における、ささやかな反逆のように見えた。

2011/02/02(水)(福住廉)

エイドリアン・フォーティ『欲望のオブジェ─デザインと社会1750年以後』

著者:エイドリアン・フォーティ
訳:高島平語
発行日:2010/08
発行:鹿島出版会
価格:3,465円(税込)
サイズ:208×148×22mm

長らく版元切れとなっていたエイドリアン・フォーティの『欲望のオブジェ』がソフトカバーの新装版になって復刊した。単なるリプリントではない。1)新たにフォーティによるまえがきが附された(2005年版の原著に加えられたもの)。2)翻訳が一部手直しされた。3)写真図版がきれいになった。4)著者名のカナ表記が変わり、また副題も英文にあわせて変更された。5)価格が安くなり入手しやすくなった。
内容についてはいまさら語るまでもないかも知れない。原著は1986年、邦訳は1992年に刊行された。デザインの歴史を語るにあたって、フォーティは二つの対象からアプローチを試みる。ひとつは、モノをつくる企業あるいは流通・市場。もうひとつは、消費者である。陶磁器、ナイフ、家具、家電製品等々、彼は多様な商品のデザインを事例として、モノがつくられ、売られ、買われるプロセスを描き出す。中心にあるのは消費である。そこには、デザイン史で主流であったデザイナーの思想やデザイン運動の歴史はない。本書はデザイン史の名著あるいは必読書とも言われるが、刊行当時デザイン誌の大半から敵対的な反応があったという。批判の中心はまさにデザイナーの貢献を排除している点にあった。もちろん、こうした批判をフォーティは想定していたであろう。「序論」を読めば、本書がペヴスナーの系譜に連なるデザイン史の方法を批判していることは明らかだからだ。
ではなぜ彼はこのようなアプローチを試みるに至ったのか。新装版のまえがきは「私がこの本を書きはじめたときには、まだ『グッド・デザイン』というようなものがあった」ということばから始まる。フォーティが本書を書きはじめたころ、すでにデザインに対する多様な価値観が現われつつあったはずだが、歴史叙述においてはいまだモダニズムの価値観が幅をきかせており、その価値観によって選別された「優れたデザイナー」「優れたデザイン」の歴史を描くことが正しいデザイン史の方法であると考えられていたのだ。はたして「グッド・デザイン論」に依らずにモノの出現と変化の歴史的プロセスを描くことはできないのか。この問題に対する答えが本書だとフォーティはいう。
フォーティが試みた二つのアプローチ対象のうち、消費に関してはその後社会学やカルチュラル・スタディーズとの関連において発展してきたが、企業や市場とデザインとの関係はあまり人々の関心を惹かないようである。どのようなデザインが社会に現われるかという点において、企業のはたしてきた役割はデザイナーの貢献に劣らず重要だと思うのだが。[新川徳彦]

2011/02/03(木)(SYNK)

吉田友幸/絵画

会期:2011/02/01~2011/02/06

アートスペース東山[京都府]

主に花や果実を描いた静物画の小品を出品。画面には何度も削ったり擦ったりした痕跡があり、その古びた表情が主題の存在感を一層際立たせている。特殊な手法を用いていないのに作品から目が離せないのは、高い描写力と背景の効果が絶妙にマッチしているからであろう。作者は高校卒業とともに海外に渡り自己流で研鑽を積んだと聞く。今までまったくノーマークだったが、今後は注視したい。

2011/02/04(金)(小吹隆文)

2011年03月01日号の
artscapeレビュー