artscapeレビュー
記憶の円環|榮榮&映里と袁廣鳴の映像表現
2016年10月15日号
会期:2016/07/23~2016/09/19
水戸芸術館現代美術ギャラリー[茨城県]
今年4月に急逝した水戸芸術館現代美術センター芸術監督、浅井俊裕氏の遺作となった本展は、東アジアの「映像表現」の現在を問い直す重要な展覧会となった。
榮榮&映里(ロンロン・アンド・インリ)は、2000年から中国人と日本人のカップルで活動している写真家ユニット。自分たちが住んでいる場所と、彼らと3人の息子たちの家族のあり方とを重ね合わせ、身体性を強調した写真作品として提示する。今回は「六里屯」(第1部 1994~2000、第2部 2000~2002)、「草場地(2004~2012)、「三影堂」(2006~2008)、「妻有物語」(2012~2014)の4シリーズが展示されており、彼らの関係がそれぞれの土地に根ざしつつ次第に深まり、成熟していくプロセスが、静かに浮かび上がってくる構成になっていた。
袁廣鳴(ユェン・グァンミン)の映像作品のパートは、より衝撃的だった。袁は台湾のビデオアートの先駆者として1980年代から活動してきたアーティストだが、近作では一見繁栄しつつあるようで、底深い危機感や不安感を抱え込んでいる東アジアの政治、経済、文化の状況を踏まえたテンションの高い作品を発表するようになってきている。平和に静まりかえったリビングルームがいきなり爆発する「住まう」(2014)、亡霊のような人物たちが闇の中から出現し、手を挙げて一斉にこちらを指差す「指を差す」(同)、さらに「3・11」を踏まえて、台湾の原子力発電所をテーマに制作した「エネルギーの風景」(同)など、日常と非日常を滑らかに、だが恐るべき強度でつないでいく袁の映像構築力の凄みを、まざまざと味わわせてくれる傑作ぞろいだった。
これらの「映像表現」を目にすると、東アジアの写真家や映像作家たちの関心が、明らかに個と社会との抜き差しならぬ関係、身体の政治性に向き始めていることがわかる。翻って、日本のアーティストたちはどうだろうか。あまりにもそれらの問題に鈍感で能天気なのではないだろうか。
2016/09/06(火)(飯沢耕太郎)