artscapeレビュー
横田大輔「MATTER / 」
2016年10月15日号
会期:2016/09/02~2016/10/23
G/P gallery Ebisu[東京都]
デジタル画像とインターネットの時代における写真アーティストたちの多くは、現実世界の様相をストレートに提示する写真のあり方に懐疑的だ。それはそうだろう。物心がついたときから、加工、改変、再編が自在にできるヴァーチャルなメディアにどっぷりと浸かっていた彼らにとって、現実とは強固で不変なものであるわけはなく、むしろ画像を再構築、再組織化するための材料として利用すべき対象だからだ。彼らはデジタルカメラやスキャナーなどで画像を取り込み、それらを増殖・分裂させたり、ほかの画像と合成したり、別な媒体に上書きしたり、3D化したりする。そんなリミックス的な「写真」作品は、2010年代以降、どうやら日本だけでなく世界中に広がりつつあるようだ。
横田大輔も、デジタル化以降の写真表現の拡張と加速化を、最前線で推し進めようとしている一人である。だが、彼の作品には「テーブル・マジック」(シャーロット・コットン『写真は魔術 アート・フォトグラフィーの未来形』(光村推古書院、2015))のような小手先の操作が目につくほかの作家たちとは、やや違った肌触りを感じる。それは、今回G/P galleryで展示された新作「MATTER」にもあらわれていた。「MATTER」は2015年に中国・アモイで開催されたJimei X Arles国際写真フェスティバルに出品したロール紙に出力した大量の写真を、展示終了後に空き地で焼却するというパフォーマンスの記録である。その経過は約4,000カットの画像データとして残されたが、横田はそれらを再び紙にモノクロームで出力し、ワックス加工したうえで、皺くちゃに丸めてギャラリーの床の上に撒き散らし、積み上げた。ほかに動画による記録映像や、炎上の様子をカラー画像で出力した写真も展示されていた。
出力、再出力を繰り返すことで、元の現実とヴァーチャルな現実との境目が消失し、ただの「情報」と化していくプロセスへのこだわりは、「ポスト・インターネット」世代のほかの写真家、アーティストたちとも共通している。だが、横田は写真画像の変換・加工を、無制限に自由な移行とは考えていない。ぎくしゃくとして無骨な彼のインスタレーションには、自らの身体性の限界、情報化し切れない写真画像の物質性(肉体性)に対する、圧倒的に過剰なこだわりがある。横田は赤石隆明との対談で「制限や負荷って重要なんだと思う。鬱屈したり、欠落した何かからしか表現は生まれないから」(『invisible man/ magazine 05: TRANS#1』G/P GALLERY, 2016)と語っている。小林健太との対談では「壊れた状態からしか何かを見出せなくなってるのかも」(同)と述べる。このような切実な「現実」感覚は貴重であり、信頼できる。彼の、一見写真から遥か遠く離れたもがきこそが、「写真家」の本質的なあり方を体現しているのではないか。
2016/09/10(土)(飯沢耕太郎)