artscapeレビュー

平井有太『ビオクラシー』~BIOCRACY~展

2017年01月15日号

会期:2016/11/22~2016/12/24

Garter[東京都]

3.11以後の現代美術に何かしらの可能性があるとしたら、それは類まれな想像力を鑑賞者の眼前で発揮するという芸術の王道を突き詰めるほかないのではないか。あの次々と打ち寄せてきた黒い波に勝る映像表現、ないしは海岸線に茫々と広がった瓦礫の山に匹敵しうる造形表現、そもそも放射能汚染という不可視の脅威に太刀打ちできる想像力の強度。美術にかぎらず、あらゆる分野において、現実とは思えないような事態が現に次々と到来している以上、これまでの芸術表現が依拠してきた、想像力は無条件に現実に先行しうるとするアドバンテージは、もはや失効していると言わざるをえない。だとすれば、これからのアーティストに求められているのは、現代美術の文脈や歴史、ある種の規範を従順に内面化しながら、自らの作品をそれらに順接させることなどでは到底ありえない。そのようなナイーヴな作品は、いわば「芸術化しつつある現実」にたちまち呑み込まれ、消尽されるほかないからだ。むしろ必要なのは、各所で嘯かれる現代美術の規範などに惑わされることなく、かつ恐るべき速度で迫りくる社会的な現実に捕捉されることもなく、想像力を彼方に前進させる、たくましい推進力だろう。
平井有太の個展に体現されていたのは、まさしくそのような力強い推進力である。むろん、ライター/編集者としての才覚が手伝っているのだろうか、出品された作品のなかには、その推進力を言語的な枠組みに自ら制限してしまっているように見えるものも少なからずあった。だが、レゲエの生ける伝説、リー・ペリーの奇行を追尾した映像や、大麻の社会貢献を訴える人々にインタビューした映像などには、私たちの認識や感性を鮮やかに塗り替えるほどの想像力があふれていたことはまちがいない。言い換えれば、それらの作品は、私たちをこの淀んだ現実の彼方に投げ出すようなイメージを垣間見せたのである。
とりわけ注目したのが、汚染された土を収納した(と思われる)黒いフレコンバッグにあたかも大麻のような雑草を植えたうえで、神棚とあわせて展示した作品。ここにあるのは、違法化されている大麻の社会性と放射能に汚染された土壌の現実性、そしてそのような諸問題を含めて神に奉納する神聖性である。むろん大麻を被災地で栽培することで社会に貢献するという提案は、常識的な基準から考えれば、荒唐無稽というほかない。けれども、医療用大麻の効能や売人の労働環境の改善(!)などの証言を耳にすると、あながち的外れでもないような気がしてくる。むしろ、研究者や建築家などの知識人による被災地復興のための凡庸な提案などより、具体的かつ建設的、すなわち現実的だと思われるのだ。
なぜなら、その提案には人間にとっての幸福のイメージが確かに内蔵されているからだ。医療用大麻を必要とする病人にとって、それは症状を改善するための医療品というより、むしろ自らの幸福な「生」を実現させる必需品だろう。路上で薬物を販売していた売人が、顧客に「ありがとう」の一声をもらえる充足感を覚えた喜びは、彼らにとっての幸福以外の何物でもあるまい。どれほど非現実的に見えたとしても、法的正義やイデオロギー、高邁な理念などの陰にひそむ幸福のイメージを確かに感知できるという点で、現実的なのだ。
平井有太の作品が優れているのは、ますます非現実的な芸術性を高めつつある現実社会に拮抗しうる芸術的な想像力の強度を鍛え上げているからだ。そのようにして彼が示したイメージは、今後の私たちの道しるべになりうるだろう。

2016/12/06(火)(福住廉)

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