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鈴木清 写真展 百の階梯、千の来歴

2010年12月15日号

会期:2010/10/29~2010/12/19

東京国立近代美術館[東京都]

鈴木清が亡くなったのは2000年3月。時の流れの速さに愕然とするのだが、没後10年にあたる今年に回顧展が、しかも東京国立近代美術館というベストの会場で実現したのは本当によかった。「ようやく」という気がしないでもないが、逆に彼の仕事があらためて広く評価されるためには、10年という時間が必要だったともいえる。彼の過剰ともいえる写真集や写真展への執着、果敢な実験精神には、それくらいの期間がないと追いつけなかったということだ。
今回の展示は彼が生涯にわたり、惜しみなく精力を注いで刊行し続けた写真集(1冊を覗いては自費出版)に収録された写真を中心に構成されている。『流れの歌』(1972年)から『デュラスの領土』(1998年)に至る8冊の写真集は、イメージとテキストの混在、写真のくり返し、入れ子構造(写真集の中の小写真集)、折り込み、観音開きなど、ありとあらゆるブック・デザインの手法を駆使した魔術的とさえいえる「書物」である。そのカオス状の構造体を、美術館の展示で再現するのは不可能であり、むしろ見やすくきっちりと写真が並べられていた。だが、大きさを変えてプリントされた同じ写真が何度かあらわれたり、写真集そのものを閲覧するコーナーが設けられたりするなど、鈴木清の作品世界の追体験の場としてとてもうまく機能していたと思う。
だが、今回の展覧会で特別な輝きを放っていたのは、あの伝説的な「ダミー写真集」の展示ではないだろうか。鈴木清は写真集の刊行に向けて、必ず自分の手で「ダミー写真集」をつくっていた。彼は故郷の福島県いわき市で、定時制高校に通いながら印刷所の見習いをしており、写真集のレイアウトや文字組はお手の物だったのだ。これら写真をコピーしてテキストを貼り付けた「ダミー写真集」は、持ち歩いているうちに擦れたり汚れたりして、次第に独特の物質感を備えたオブジェと化していく。その風格や存在感は、完成した印刷物としての写真集をはるかに凌駕しているともいえる。というより、彼の写真集づくりの思考と実践のプロセスが、生々しく刻み込まれた「ダミー写真集」こそ、むしろ彼の作品世界の中心に位置していたようにも思える。
驚かされたのは、1996~98年にコニカプラザ東ギャラリーで開催された連続展「デュラスの領土」のための「個展プラン」である。サインペンや色鉛筆でさっと描かれた、見事としかいいようのないドローイングは、彼の優れたデッサン力をまざまざと示している。頭に思い浮かんだイメージを、さっと形にしていく能力の高さは天性のものがあったのだろう。このデッサン力があったからこそ、一見無頓着に見える彼の写真にも。しっかりとした骨組みを感じとることができるのだ。
この展覧会が、日本における鈴木清評価の第一歩になることを期待している。特に鈴木清の名前すら知らなかった若い世代にぜひ見てほしい。同時に刊行された彼のデビュー写真集『流れの歌』の完全復刻版(白水社刊)も素晴らしい出来栄えである。写真凸版(活版)印刷が、スミとグレーの二色刷りオフセット印刷に置き換えられているのだが、その黒が締まった重厚な印刷は、原本と比べても遜色がない。

2010/11/10(水)(飯沢耕太郎)

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