artscapeレビュー
2013年02月15日号のレビュー/プレビュー
美術にぶるっ!ベストセレクション 日本近代美術の100年
会期:2012/10/16~2013/01/14
東京国立近代美術館[東京都]
東京国立近代美術館の「美術にぶるっ!」展の最終日はさすがの人出だった。展示のサイン・デザインが良い。常設でときどき見ていたものが勢揃いしていたが、西洋風を模倣する前衛よりも、近代日本画の方がクオリティが高いように思われた。いっそ企画展用の別棟をつくり、このオールスター展示をいつでも常設で見られるようにすると、美術館に迫力が出るかもしれない。ただ、海外コレクションはちょっと弱い。第二部「実験場1950s」は、原爆のテーマを基層としながら、東近美が誕生した時代を振り返る。当時の印刷物などを見ながら、僕が生まれる前だが、この空気感を覚えていると気づく。まだ時代が連続していた、と。では、いつ断絶したのか? 1990年代かもしれない。
2013/01/13(日)(五十嵐太郎)
夏の家 MOMAT Pavirion designed and built by Studio Munbai
会期:2012/08/26~2013/01/14
東京国立近代美術館[東京都]
遅ればせながら、インドの建築家、スタジオ・ムンバイが制作した夏の家も最終日に見る。東京国立近代美術館の前に、さまざまなアクティビティを誘発する3つの小さな東屋が並ぶ。彼ららしい手づくり感が漂う構築物である。しかし、雪が降りだす。当然、誰もここで過ごそうという人はいない。夏の家はやはり夏に見ておくべきだったと反省する。
2013/01/13(日)(五十嵐太郎)
中央アーキ「神宮前ビルディング」
[東京都]
中央アーキによる神宮前ビルディングを見学した。箱をズラしながら積層するが、箱の上下に隙間をつくり、天井が全面ガラス、その真上の箱底は鏡面仕上げで、ここに光と風景が入り込む。箱と箱のあいだのスキマの空間の美しいことに感心した。現代美術のインスタレーションのようだ。上下移動は屋外階段のみで、天候はあいにくの雪だったが、逆に趣きのあるシーンを目撃した。鏡に映ると、雪が上に向かって降っているのだ。
2013/01/13(日)(五十嵐太郎)
会田誠 展
会期:2012/11/17~2013/03/31
森美術館[東京都]
森美術館の会田誠展を訪れる。多くの作品はすでに見ていたが、初期のもので知らないものが幾つかあって、それが収穫だった。こうしたまとめて作品を見ると、パロディ+笑い+高尚なものへのルサンチマンが一貫している。ただ、いまやネタがベタになる時代だ。批評的に機能していた会田の作品は、社会が変わったことで、その受容も変わったのではないかと思う。例えば、会田誠の戦争画RETURNSシリーズは密度が高い作品だが、当時の左翼的知識人への違和感が制作の背景にあったという。同じ時代を生きていたものとして会田の感じていた雰囲気はよくわかる。しかし、いまの日本社会は左翼的言説が消滅し、まるで違う位相だ。「天才でごめんなさい」の展覧会タイトルも、観客にはベタに受けとられるのかもしれない。ちなみに、筆者が好きな作品は、新宿御苑改造計画である。
2013/01/13(日)(五十嵐太郎)
新津保建秀「\風景+」
会期:2012/12/18~2013/01/14
ヒルサイドフォーラム[東京都]
新津保建秀の「\風景+」は、現代の「風景」のあり方をさまざまな観点から問い直す意欲的な展示である。日本の「風景写真」は美しい自然の景観を愛でる「ネイチャー・フォト」から、1980〜90年代以降の、小林のりお、柴田敏雄、畠山直哉、松江泰治らによる自然と人工物、人間と社会との関係性を検証する批評的なアプローチを経て大きく飛躍した。だが1990年代半ば以降のデジタル化、インターネット環境の成立に即した「風景写真」の方向性は、まだ明確には見えてきていない。新津保の展示は、そのスタートラインを引こうとする試みと言える。
たとえば、風景を撮影した画像をパソコン上で立ち上げるとき、データが重たいとその一部だけが表示され、残りはフラットなグレーな画面になってしまうことがある。時間がたつとグレーの部分が少しずつ小さくなり、画像全体があらわれてくる。あるいは複数の画像を連続的に立ち上げると、端の部分が重なりあって、そこに断層面を思わせる不思議なパターンが見えてくる。パソコンを介してあらわれてくる、そのような視覚的経験も、断片化し、記号化した現代的な「風景」の受容、消費のあり方を示す指標となる。新津保の今回の展示では、パソコン上のデジタル画像を、自然や都市の環境と意図的に混同、併置する、多彩な実験が展開されていた。
もうひとつ興味深いのは、あえて特定の場所にこだわり(たとえば稲城市、あきる野市、代官山)、その土地にまつわりつく情報(たとえば不審者目撃情報)をある種の「マップ」として視覚化しようとする試みだ。こちらはまだ、写真作品としては試作の段階に留まっているように見えるが、さらなる可能性を秘めた領域と言える。いずれにしても、デジタル環境における「風景」を超えた、あるいは「風景」を異化した「\風景+」には、もっと多くの写真家たちが関心を寄せてもよいだろう。なお、角川書店から同名の写真集も刊行されている。
2013/01/14(月)(飯沢耕太郎)