artscapeレビュー
日本写真の1968
2013年06月15日号
会期:2013/05/11~2013/07/15
東京都写真美術館 2F展示室[東京都]
さまざまな問題提起を含む重要な展覧会である。1968年と言えば、「プラハの春」やパリの「五月革命」に続いて、日本全国で学園闘争の嵐が盛り上がりを見せるなど、第二次世界大戦後の政治・社会体制への「異議申し立て」が相次いだ年だ。日本の写真表現においても、大きな変革への胎動が形をとり始めていた。本展はその1968年を中心にした、1966〜74年の写真家たちの動向を「プロローグ」「写真100年展」「プロヴォーク」「Interlude」「コンポラ写真」「写真の叛乱」「エピローグ」の7部、約250点の写真群で概観しようとする意欲的な企画である。
「プロヴォーク」以下の中間部の写真家たちの動きについては、これまで多くの展覧会や写真集で取り上げられてきたので、それほど新味はない。むしろ見所は、その前後の「写真100年展」と「写真の叛乱」のパートである。1968年6月1日から東京・池袋の西武百貨店でスタートし、同年11月まで全国各地を巡回した「写真100年──日本人による写真表現の歴史展」(日本写真家協会主催)は、画期的な展覧会だった。その成果をまとめて71年に刊行された『日本写真史1840-1945』(平凡社)を含めて、日本の写真表現の展開の見取り図を、この時点で提示できたことの意義はいくら強調してもし過ぎということはない。本展では、実際に会場に展示された大判の木製パネルも並んでいて、その衝撃を追体験できるようになっていた。また同展に出品されていた「北海道開拓写真」や山端庸介の原爆投下直後の長崎の記録写真が、「アノニマスな記録」の意味を再評価しようとした多木浩二、中平卓馬、森山大道ら「プロヴォーク」の同人たちに大きな影響を与えたことが伝わってきた。
さらに興味深いのは、「写真の叛乱」のパートに展示された全日本学生写真連盟とその周辺の写真家たちによる「集団撮影行動」の成果である。大学、高校の写真部のメンバーたちの全国組織である全日本写真連盟(1952年設立)は、一定のテーマを決めて手分けして写真を撮影・発表する「共同制作」を盛んに試みていた。ところが、60年代半ば以後の新左翼と全共闘運動の高揚のなかで、「あらかじめ作られたストーリーを絵解きするのでもない、共通の主題を持ちながら個々人の撮影行動を集約していく」動きが具体的に形をとっていく。この「集団撮影行動」は、写真集『この地上にわれわれの国はない』(全日本学生写真連盟公害キャンペーン実行委員会、1970)や『ヒロシマ・広島・hírou-ʃímə』(全日本学生写真連盟広島デー実行委員会、1972)に結実し、未刊には終わったが明治以降の近代化の矛盾を問い直す「北海道101」の撮影・発表活動も積極的に展開された。
すでにややセピア色に変色し、生々しい折り目や皺が入ったままの無名の学生たちのプリントが、これだけ大量に展示されたのは初めてだろう。それらはこの時期の日本の写真表現の変革が、若い写真家たちの無償の情熱に火をつけ、厚みのある「集団撮影行動」のうねりを巻き起こしていった様を、まざまざとさし示していた。いわば写真史の「表の顔」だけではなく、このような「裏の顔」(むしろ「地下の顔」といった方がいいかもしれない)を明るみに出そうという作業は、きわめて実り多い、豊かな可能性をはらんでいるのではないかと思う。
2013/05/17(金)(飯沢耕太郎)