2022年12月01日号
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artscapeレビュー

2011年09月01日号のレビュー/プレビュー

民都大阪の建築力

会期:2011/07/23~2011/09/25

大阪歴史博物館[大阪府]

大阪歴史博物館の開館10周年を記念して、大阪の近代建築を図面や写真、関連什器等により紹介する展覧会。大阪の近代建築についてはこれまで多数の学術書や書籍が刊行されており、展覧会も幾度となく開催されている。それほどポピュラーであるだけに愛好者の目も厳しいテーマだが、本展では建築家ごとに作品を見せるという定番のやり方ではなく、大阪の学区制度と学校建築との関連性、ゼネコンが独自に作成した透視図、現存建築のオーナーや現代美術家によるユニークな保存活動といった新たな視座からこのテーマに取り組んでいる。これらの学際的な視座から提示される興味深い事実は、この分野がけっして研究し尽くされたものではないことを再認識させた。だが、切り口がユニークなだけに、一つひとつのコーナーがもう少し掘り下げた内容であればなお良かっただろう。一般に普及し、専門家も多いテーマだけに、誰にでもわかる展示という博物館の慣例を破ってしまっても良かったのではないか。大阪育ちではない筆者にとって多少残念だったのは、本展には作品の場所を記した地図や、現存する建物であるか否かについての情報が見当たらなかったことだ。東京と異なり、現存する近代建築が少なくない大阪の街は、外部の人間から見ればすこぶる魅力的だからである。数はけっして多くないものの、ガラスの1枚1枚に意匠が施された旧鴻池本店の豪奢なステインドグラスや生駒ビルヂングの日本版アールデコの照明器具、村野藤吾のデザインによるカフェの什器等、工芸・デザインの展示品も興味深かった。[橋本啓子]


《旧鴻池本店ステインドグラス》大正3年(1914年)株式会社鴻池組蔵

2011/08/15(月)(SYNK)

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山本基 しろきもりへ─現世の杜・常世の杜─

会期:2011/07/30~2012/03/11

箱根彫刻の森美術館[神奈川県]

塩を使う美術家、山本基の個展。塩と岩塩で構成した室内庭園《現世の杜》、塩を固めたブロックを塔のように積み上げた《摩天の杜》、そして青い床一面に塩の線を走らせた《常世の杜》などを展示した。いずれも塩の白い清らかさが美しい。けれども、同じ素材を用いながらも、それぞれの作品の性格がまったく異なっているところがおもしろい。会場で最初に見せられる《現世の庭》は、龍安寺の石庭のような整然とした秩序によって静的な美しさが演出されているが、《常世の杜》には逆に脈動するダイナミズムが満ち溢れている。前者がおもに直線によって「自然の人口化」を試みているとすれば、後者が複雑に絡み合う曲線によって「人間の自然化」を図っているといってもいい。じっさい《常世の杜》は、幾何学的な模様によって迷路を無限に増殖させる、これまでのミニマムな作品とは対照的に、有機的な自然のイメージが強く打ち出されている。塩の線は激しく交差しながら網状に分岐してゆき、それらを目で追っていくと線の速度すら感じられるし、会場内に設けられた展望台に登って全体を見下ろすと、生命力あふれる巨木ないしは肉体に張りめぐらされた血管を連想させる。そのため、その線の一つひとつに人間の営みが託されているように見えるのだ。交差と分岐を繰り返す線の動きは、さまざまな人間関係に翻弄されながら進んでいく人生の軌跡のようだし、つながりそうでつながらない線はやがて誰かに出会う未来を暗示しているようだ。人間と自然を対立的にとらえるのではなく、それぞれを重ね合わせて見ること。まるで「バベルの塔」のように天高くそびえ立ちながらも、廃墟のように崩落した《摩天の杜》が、自然に対する人間の敗北を暗示しているとすれば、《常世の杜》が明示しているのは、自然と人間を同じ次元でとらえる視点である。そこにこそ、震災で自然に圧倒された私たちが、今後進むべき道があるように思えてならない。

2011/08/18(木)(福住廉)

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鬼海弘雄 写真展 東京ポートレイト

会期:2011/08/13~2011/10/02

東京都写真美術館[東京都]

「ああ、人間がここにいる!」。思わず、そんな独り言を漏らしてしまうほど、鬼海弘雄の肖像写真は、人間の存在感を強く感じさせる、じつに魅力的な写真である。今回発表されたのは、70年代から浅草寺の境内で断続的に撮影された肖像写真のシリーズと、東京の街並みを写したシリーズから選び出された、いずれもモノクロ写真の約200点。とりわけ前者のシリーズは、背景の平面を安定して確保できる浅草寺の境内を定点としたセンスがすばらしいが、それより何より、被写体となった人間のキャラが軒並み立っており、文字どおり片時も眼が離せない。たとえていえば、一癖も二癖もある性格俳優のような人間が次から次へと登場し、その目まぐるしいオンパレードが見る者の眼を圧倒するのである。《花札を模写する男》は、彼が着ているTシャツにプリントされた般若と同じような顔をしているし、《「ただの主婦だ」という婦人》は絶対に只者ではない風貌だ。しかも、彼らが時代の流れに左右されず、いまも昔も、つねに存在しているという事実が、私たちをさらに驚愕させてやまない。通常、定点観測とは、同じ場所で何かしらの変化を読み取る手法だが、鬼海の写真はむしろ同じ場所で同じような人間を記録することによって、次代を貫く人間の本質を炙り出しているところに大きな特徴がある。小奇麗で小賢くになった反面、キャラがますます薄くなり、生きている実感さえ覚束なくなりつつある現代人にとって、鬼海の肖像写真はひとつのモデルとなるだろう。もし、あなたが鬼海の肖像写真の被写体になる機会があるとすれば、どのような衣装で、どのようなポーズで、どのような表情でカメラの前に立つことができるのか。どうすれば、これほど輪郭のはっきりした人間として写真に焼きつけられることができるのか。それを考えながら生きていけばよいのだ。

2011/08/18(木)(福住廉)

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香りをイメージする香水瓶 展

会期:2011/07/16~2011/09/11

ポーラ ミュージアム アネックス[東京都]

ポーラミュージアムのコレクションによる、19世紀末から1940年代までの香水瓶の展覧会。エミール・ガレやルネ・ラリックを中心に、メーカーオリジナルのデザインも取り上げている。
 展示の切り口がとてもユニークである。ふつうならば、これらの作品は作家や制作年代などによって分類されるところであろうが、ここではそのような歴史的な文脈はいったん置いておいて、モチーフやフォルムの別──植物・動物・身体表現・幾何学──によってまとめられている。香水瓶は香りという目に見えない存在を封じ込めつつ、目に見える造形によって人々の香りへのイメージと期待とを高める。カタチに着目することで、美しいパッケージに同時代の女性たちが魅了されたであろう姿が想像される展覧会となっている。[新川徳彦]

2011/08/18(木)(SYNK)

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加藤翼 展 深川、フューチャー、ヒューマニティ

会期:2011/07/23~2011/08/27

無人島プロダクション[東京都]

地域住民や参加者とともに共同で巨大な木箱を引き倒し、引き起こすプロジェクトを手がけている加藤翼の個展。画廊内の空間をそのままトレースした木箱を、画廊近くの公園で引き起こすプロジェクトを行ない、その木箱を再び画廊の中で組み立てなおし、木箱の内部でプロジェクトの記録映像を見せた。力いっぱいロープを引いた末、ようやく木箱が立ち上がると、その表面に貼られたフィルムミラーが周囲の風景を映し出すせいか、あるいはその映像を木箱の内部で鑑賞しているせいか、屹立する木箱が思いのほか大きく見えることに驚きを禁じえない。寝かせられたものを苦労して立ち上げる達成感は、たとえ現場で経験を共有していなくても、たしかに伝わるほど力強い。加藤の作品には、もともと「引き倒し」と「引き起こし」の二面性があったが、今回の個展で発表された作品では「引き起こし」のほうにあえて重心を置いていたようだ。それが震災で傷つき、疲弊した私たちの心を回復させようとするものなのかどうかはわからない。けれども、時勢に敏感に反応するのはよしとしても、加藤の作品の醍醐味はあくまでも「引き倒し」と「引き起こし」の両面にあることに変わりはないように思う。

2011/08/19(金)(福住廉)

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