2022年12月01日号
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artscapeレビュー

2015年04月15日号のレビュー/プレビュー

竹内公太「Re:手の目」

会期:2015/03/07~2015/03/22

スノーコンテンポラリー[東京都]

タイトルの「手の目」とは手のひらに目玉がある妖怪のことだが、ここでは「触覚的な視線」がテーマになっている。作品は大きく分けてふたつ。ひとつは、いわき市にある石碑の文字をひとつずつ撮影して「我たシは石碑で無イケレど」と映し出す《ブックマーク》。最後の「ケレど」は後に付け加えたそうだ。もうひとつの《手の目》は、3.11の被災地の海岸や鉄道跡や神社などを描いた絵の前に、その絵に手を伸ばすかのようにシリコンで型どった手を設置した作品。手のひらにはライトが仕込まれ、絵を照らし出すと同時に指の影をキャンバスに落としている。風景は、ただ見るより写真に撮ったほうが記憶に残り、写真より絵に描いたほうがさらに記憶に刻まれるが、それでも足りず、もっとフィジカルな記憶がほしいのか。

2015/03/20(金)(村田真)

神々のたそがれ

再度、『神々のたそがれ』を見る。やはり、とんでもないクソ映画である。もちろん、映画がクソなのではなく、冒頭から糞の映画だ。透視図法的な統一がなく、画面の焦点を定めず、あらゆる細部が自律的にうごめく、過剰な映像は各パートの主従関係がない中世のポリフォニー音楽を想起させる。加えて、尖ったモノが画面を遮り、いつも上部から何かがぶら下がる。屋外であろうとも、上からの雨や下からの蒸気で空がはっきり見えず、異様に閉鎖的な画面だ。そして登場人物はカメラ目線を送り、ときに話しかける。その場にいるかのようなドキュメンタリーとしての中世SFだ。また宣伝で、嘴のようなものがついた嘆きの帽子をかぶせられた裸の女たちが処刑・拷問を待って並ぶ場面があるが、改めて見返してもない。確認すると、これと同一の映像はなく、やはり入場するところを後ろから撮った瞬間だけだという。黒衣の集団シーンといい、贅沢な映像のつくり方だ。

2015/03/21(土)(五十嵐太郎)

山本聖子「白い暴力と極彩色の闇」

会期:2015/03/03~2015/03/22

Gallery PARC[京都府]

山本がレジデンスで滞在したメキシコ(2013~2014年)とオランダ(2014年)での経験に基づく映像作品によって構成された個展。異文化圏で生活するなかで、個人的、文化的、国家的アイデンティティの均質性と雑種性について、言葉とイメージで考察した「ドローイング(思考地図)」が冒頭に展示されており、個展タイトルに込められた色の象徴性や各作品の構想を読み解く地図として興味深い。
《darkness》では、メキシコの祝い事に用いられる極彩色の紙吹雪が、水槽の中に入れられ、水に溶け出した色彩が、色とりどりの美しい軌跡を描きながら、徐々に混ざり合って茶褐色の濁りになり、最終的にはすべての色を溶かし込んだ黒へと至る過程が映し出される。それは、極彩色の花びらが舞い落ちる散華のような美しい光景でありながら、多数の異質な存在が混じり合い溶かし込まれていくプロセスでもあり、個人的身体と国家のレベルの両方で混血性を抱えた混沌を示唆する。
一方、《unconscious》では、白い防護服とマスクを身に付けた人間が、枯山水の庭園の中に白い石膏像をいくつも設置し、白く塗られたベニヤ板で像を覆っていく過程が映し出される。「白」という色彩は、無垢、純粋、清浄といった意味合いを連想させ、穢れを清める色でもあるが、ここでは特に異質な他者を排除して均質化していく「暴力」の表徴として用いられている。また、白砂や枯山水といった設え、土下座という身振りの反復における儀式性は、「日本」という文脈を否応なく連想させるとともに、防護服とマスクを付けた人間が何かを黙々と「覆っていく」「見えなくしていく」作業は、明らかに3.11以降の日本社会へ向けられた批判が込められている。
黒い闇の中に、無数の差異が潜在して成り立っていること。一方、異質な存在を排除して成り立つ「白」が暴力をはらんでいること。山本の映像作品は、両者がはらむ不可視化の力学と共同体の生成を凝視するよう、迫ってくる。

2015/03/21(土)(高嶋慈)

アートフェア東京2015

会期:2015/03/20~2015/03/22

東京国際フォーラム[東京都]

リーマンショックの影響で活気を失ってから見る気がなくなっていたが、久しぶりに訪れてみると予想以上に混んでるし、それなりに活気もある。後の発表によると観客動員は過去最高の55,000人という。会場は大きく南北に分かれ、北ウィングは古美術、工芸、日本画など、南ウィングは現代美術系が中心だが、現代美術系も絵画や彫刻などわかりやすい単体作品が多く、その違いは曖昧だ。また企画展示として日本の美術を紹介する「アーティスティック・プラクティス」を2011年から開催しており、今回は「琳派」と「ヴェネツィア・ビエンナーレ」の2本立て。このヴェネツィアの第2部(もの派特集)をはじめ、いくつかの画廊で菅木志雄のインスタレーションが見られたが、つい数年前までもの派の作品がアートフェアで高額で取り引きされるなどだれが想像しただろう。また、具体の白髪一雄や元永定正らの小品にも数百万円の値がつけられていて、異人さんに連れられて行っちゃったらどうすんだと心配になる。

2015/03/21(土)(村田真)

第9回シセイドウアートエッグ「狩野哲郎 展──Nature/Ideals」

会期:2015/03/06~2015/03/29

資生堂ギャラリー[東京都]

階段を下りて行く入口に網が張ってあり、ギャラリー内に鳥が放し飼いにされているとの注意書きがある。会場には木の枝や石などの自然物、リンゴやオレンジなどの果物類、スーパーボールや食器などの工業製品が一見ランダムに置かれている。自然と人工、具象と抽象、有機と無機が混在した状態だが、よく見ると、アームつきの監視カメラの横に似たようなかたちの木の枝を取りつけていたりして、デタラメに配置されてるのではないことがわかる。これはひょっとして、人間の脳内を外在化させたインスタレーション? だとすれば、この空間(脳内)を自由に飛び回り、必要なものを探し出す鳥は「私」かもしれない。そういう私は「かごの鳥」みたいな。

2015/03/21(土)(村田真)

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