artscapeレビュー
2015年05月15日号のレビュー/プレビュー
福岡アイランドシティ/ネクサスワールド
[福岡県]
博多に寄港し、三度目の福岡アイランドシティへ。伊東豊雄の《ぐりんぐりん》や大西麻貴らの地層をイメージしたパヴィリオン《地層のフォリー》などがある公園のまわりは、いまも開発が進行している。そして久しぶりにネクサスワールドを訪問した。当時全盛のポストモダンではあるが、手入れが行き届いていることもあり、全体的に古びれた感じはなく、日本では希有な街並みが育まれている。特に低層のレム・コールハース棟やスティーブン・ホール棟が変わらずいい。十分にお金をかけて建築をつくることができたバブルの時代が残した重要な資産だ。
写真:左上から、ネクサスワールド《石山修武棟》、アイランドシティ中央公園 体験学習施設《ぐりんぐりん》、《太陽のフォリー》、《地層のフォリー》。右上から、ネクサスワールド《ポルザンパルク棟》、《レム・コールハース棟》、《スティーブン・ホール棟》
2015/04/27(月)(五十嵐太郎)
鳥獣戯画──京都 高山寺の至宝
会期:2015/04/28~2015/06/07
東京国立博物館 平成館[東京都]
待望の「鳥獣戯画展」だが、前半は絵巻を所有する高山寺のコレクションや明恵上人にまつわる作品を延々と紹介。後半いよいよ鳥獣戯画の登場かと思いきや、まずは《華厳宗祖師絵伝》から。いやこれも国宝だけあってなかなか見ごたえのある絵巻だ。新羅の義湘と元暁は仏法を学ぶため唐に向かい、長安で義湘は善妙という娘に一目惚れされる。義湘の帰国を知った善妙は海に身を投げて龍に変身、義湘を乗せた船を荒波から守るという、ちょっとうれしいような迷惑なようなストーカーまがいのストーリーだが、見どころはなんといっても荒波のなか稲妻を放ちながら進む龍の姿。この「義湘絵」は前期のみで、後期は「元暁絵」の出品という。で、いよいよ《鳥獣戯画》のご開陳だが、よく知られてるようにこの絵巻は甲乙丙丁の4巻からなり、いちばん有名なウサギやカエルが遊んでる図は最初の甲巻。ところが展示は逆に丁から始まり甲が最後になっている。「鳥獣戯画展」なのに、われわれが知ってる絵は最後の最後まで行かないと見られないのだ。しかも最後の部屋は行列用のスペースまでたっぷりとってあって、どれだけ入れるつもりやねん。たぶん鳥獣戯画を見に行ったのに行列に耐えきれず、ウサギもカエルも見ないで帰ったという子が続出するに違いない。そのため展示ケースの上に部分図を拡大コピーして提示しているが、これ見てホンモノを見た気になる子は多いだろう。ちなみに絵巻きは各巻とも前期は前半のみ見せ、後半はコピーを展示しているが、修復したばかりのせいか、ホンモノもコピーみたいに見える。
2015/04/27(月)(村田真)
済州島
[韓国]
済州島では、現地の大学、建築の金泰一先生の案内により、安藤忠雄や伊丹潤の建築を見学する。安藤に関しては、古美術もよく揃えた《ポンテ美術館》、フェニックスアイランドにおいて、魅力的なアプローチをつくって、地中に埋めた《ゲニウス・ロキ美術館》と、海の眺望を楽しめる透明なレストラン《グラスハウス》をまわった。伊丹は、いずれも素材や空間の感覚が説得力をもつ、箱船を意識した教会、ポド・ホテル、ゴルフ施設などの空間を堪能した。
写真:左上から、《空の教会》、《ポド・ホテル》、PINX GOLF CLUBのクラブハウス《ピンクス・クラブハウス》、《ポンテ博物館》。右上から、フェニックスアイランドリゾート内レストラン「ミント」内観、外観、《ゲニウス・ロキ》
2015/04/28(火)(五十嵐太郎)
資本空間 Vol.1 豊嶋康子
会期:2015/04/11~2015/05/16
ギャラリーαM[東京都]
壁や柱にパネルが20数点、ちょっと角度をもたせて掛けてある。タイム&スタイルで見たのと同じで、表面はまっさらなベニヤ板だが、裏面をのぞくと角材が縦横斜めに組まれている。この組み方になにか意味があるのか、あるいはだれかのパロディなのかと考えてしまったが、とくになにもないみたい。情報量でいえばフラットな表より複雑に入り組んだ裏のほうがはるかに多いので、表より裏側をしげしげとのぞき見ることになり、ほんの少し後ろめたさを感じたりもする。もう、いけずな作品。
2015/04/28(火)(村田真)
山崎弘義「DIARY 母と庭の肖像」
会期:2015/04/28~2015/05/04
新宿ニコンサロン[東京都]
大隅書店から刊行された同名の写真集に目を通していて、山崎弘義の「DIARY 母と庭の肖像」については、ある程度理解しているように思っていた。だが、作品27点(うち5点は大伸ばし)による新宿ニコンサロンでの展示を見て、違う景色が見えてきたように感じた。
一つは、認知症の母親のポートレイトとカップリングされた庭の片隅を撮影した写真についてである。どうしても、母親の方に目が行きがちなのだが、「日記」として同じ日に撮影された「庭の肖像」の方もなかなか味わい深い写真群であることが見えてきた。母親の顔つきや身体の変化と呼応するように、庭もまた姿を変えていく。秋から冬へ、そして春が巡ってくるとともに、植物たちも枯れてはまた芽吹く。よく見ると、草木の生え方も、前の年とはかなり様相が変わっていることに気がつく。つまり、自然という「もう一つの時計」がこの作品には組み込まれているわけで、そのことが重要な意味を持っていることがよくわかった。
もう一つは、写真に付されたキャプションが、作品全体に柔らかなふくらみを与えているということだ。むろん介護の過程の描写は、切実に身につまされるものが多いのだが、そこにほんのりとしたユーモアを感じることがある。「(母親が)盛んに服を脱ごうとする。脱ぐ...。私「やめろ」。脱ぐ...。私「やめろ」。脱ぐ...。私「やめろ」」(2002年2月27日)という件を読んで、思わず笑いがこみ上げてきた。言葉と写真との呼吸が、絶妙としかいいようがない。
写真集が刊行され、写真展が開催されて、このシリーズも一区切りという所だろう。それでもこれで終わりというのではなく、また別の形で続いていきそうな気がしてきた。写真の大きさ、出品(掲載)点数なども、まだ確定する必要はないと思うし、その後に撮影された写真とのコラボレーションも充分に考えられそうだ。むろん「DIARY──母と庭の肖像──」以後の新作にも期待したいが、山崎にとって、このシリーズは今後の写真家としての活動の基点になっていくのではないだろうか。
2015/04/30(木)(飯沢耕太郎)