artscapeレビュー

2015年05月15日号のレビュー/プレビュー

project N 60 富田直樹

会期:2015/04/18~2015/06/28

東京オペラシティ アートギャラリー[東京都]

日常的な画像をそのまま(ただし分厚いマチエールで)写した絵画。最近ありがちな作品だが、0号(18×14センチ)のキャンバス計40点に描いた肖像画はいいなあ。これに徹せば道が開けるかも。

2015/04/25(土)(村田真)

六本木アートナイト2015

会期:2015/04/25~2015/04/26

六本木ヒルズ+東京ミッドタウン+国立新美術館など[東京都]

夜11時ごろから2時間ほど徘徊してみた。ヒルズの毛利庭園に置かれたチームラボの《願いのクリスタル花火》は、円筒形に吊るしたクリスタルに観客がスマホから選んだ打上げ花火を投影できるというもの。これは華やかだけど、金がかかってそう。街なかのビルの一室でやっていた曽根光揮の《写場》には頭をひねった。スクリーン上にカメラおやじが登場し、スクリーン前の椅子に座った観客を撮影するという参加型の映像インスタレーションだが、1分もたたないうちにいま写した写真がプリントされてスクリーン上に一瞬だけ映し出される。どういう仕掛けか、スクリーンと現実が交錯するのだ。さてそんなインタラクティヴなメディアアートが大勢を占めるなか、ひとり反旗を翻すかのようにアナクロ・アナログ路線を突っ走ったのが中崎透の《サイン・フォー・パブリックアート》。六本木の各所に置かれたパブリックアートをダサいスナックの看板みたいに仕立てた秀作。これはおもしろい。でも元作品を知らなければ理解不能だけど。ともあれ夜通し人騒がせなアートイベントであった。

2015/04/25(土)(村田真)

ボンボニエール──掌上の皇室文化

会期:2015/04/04~2015/06/06

学習院大学史料館[東京都]

ボンボニエールとは、皇室の慶事、饗宴の際に列席者に配られる小さな菓子器。その名称はフランス語のボンボン入れ(bonbonniére)に由来するが、日本では中に金平糖が入れられることが多い(ミント菓子の例もあるという)。戦前期のそれはおもに銀製で雛道具のようなミニチュアの器だったり、実用的な形をしているものもあるが、兜や飛行機を模した器とはいえないような造形もあり、工芸品としてもとても魅力的なオブジェである。今回の展覧会では、学習院大学史料館が所蔵するボンボニエール約250点のなかから、時代や形を特徴付ける70点が出品され、時代による素材の変遷、造形のヴァリエーション、ボンボニエールを引き出物として配布する行為の皇室以外への拡がりが示されている。また、同型のボンボニエールの製作者による違いも紹介されている。
 本展を企画した長佐古美奈子学芸員によれば、皇室の慶事にボンボニエールが配布された最初の公的な記録は、明治27年3月に行なわれた「明治天皇大婚二十五年祝典」だという。「式典挙行に際し、各国駐在公使がヨーロッパ王室の銀婚式儀礼を調査し、周到な準備がなされた」。そしてこのときに、「この饗宴に招かれ、陪席した六二一人には『岩上の鶴亀を付した』銀製菓子器が配られ、立食の宴に参加した一二〇八人には『鶴亀の彫刻ある銀製菓子器』が配られた」という。明治維新後の「欧化政策」のなかで宮中の饗宴が外交手段の一翼を担うようになったこと、日本における引出物・引菓子の風習、ヨーロッパで慶事の際に砂糖菓子を贈る習慣、明治の輸出工芸にも現われた小型の銀製容器、こうした諸条件を満たす配布物がボンボニエールだったのではないかと長佐古学芸員は推察している★1。こうして見てくると、ボンボニエールは見て楽しい工芸品であるばかりではなく、その登場、素材や意匠の変遷は、明治以来の日本の外交政策のあり方、社会・経済の状況と密接に結びついた歴史の証人でもあるのだ。[新川徳彦]

★1──長佐古美奈子「ボンボニエールを読み解く──歴史資料としての視点から」(『学習院大学史料館紀要』第21号、2015)。

関連レビュー

学習院大学史料館開館35周年記念コレクション展「是(これ)!」展:artscapeレビュー|美術館・アート情報 artscape

2015/04/25(土)(SYNK)

artscapeレビュー /relation/e_00030179.json s 10111124

室伏鴻《Dancing in the Street》(「六本木アートナイト」サイレントダンスプログラム)

会期:2015/04/25

三河台公園[東京都]

室伏鴻の日本では久しぶりとなる舞踏上演が、六本木アートナイトの一演目として行なわれた。当夜六本木では、アートというよりもお祭りが好きな人の群れが各所で騒ぎを起こしていたが、室伏が舞台として依頼されたのは三河台公園。夜10時半の野外上演では致し方ない面もあるだろう。とはいえ、係員が「静かにしてください」と書かれたプラカードを観客たちに掲げ、頻繁に注意を促すという状況は、周辺住民を慮ってはいるかもしれないが、さすがに踊り手への配慮を欠いている。なんと終幕の際の拍手もNGという徹底ぶり。そんないわば「アウェイ」な環境のなか、室伏のパフォーマンスは、しっかりとしたテンションを感じさせる、とても充実したものだった。広い円形の砂場。真ん中には、遊具の組み合わされたすべり台。その空間を舞台にして、冒頭、白いレースの布で顔を覆い、黒い衣服から銀色の両手足を露にし、室伏は、ときに力をみなぎらせ、ときにそのこわばる身体を脱力して、観客のまなざしを虜にしていく。野外で踊るときに、室伏はみずからの本領を発揮する。室伏の踊りはただのつくられた踊りではない。それは、その場の環境で起こるすべてを吸っては吐くことで展開する。いくつかの約束事は決められているのかもしれないが、ほとんどは即興的な行為である。不意に、すべり台を上り始めた。どうするのだろう? 上ったからには下りなければならないだろうが……と思っていると、力なく黒い体はゆるゆると坂を下り、地面に不格好に落ちた。思わず笑ってしまうのだが、その笑いは、その場につくられつつあった空気をぶちこわし、代わりに違うテンションを持ち込む、その発端に鳴り響く「サイレン」となった。慣性の法則に抗えず放り出された死体? いや、死に切れずそれはもう一度、すべり台を上る。今度は、直立状態で着地すると、何度かバウンドしたあげく横に倒れた。そうして繰り返す、死体と生体の往還。死体であり生体である室伏の口から黒澤明『生きる』で主人公が唄う「命短し~」のフレーズが漏れる。この映画も公園が重要な舞台となるお話だ。と、思っていると今度は、黒い衣服を脱ぎ、銀色の全身が現われた。肉体は砂に混ざり合い、公園の灯に照らされる。異形の体が、六本木アートナイトの喧噪の端っこで、その喧噪とは別の物語を紡いでいた。最後は、四つん這いになり、人間であることとも別れを告げ、室伏の肉体は六本木の異生物となった。

2015/04/25(土)(木村覚)

楢橋朝子 写真展「biwako2014-15」

会期:2015/04/15~2015/04/26

galleryMain[京都府]

galleryMainの移転リニューアルのオープニング企画。倉庫を改装した新スペースに、写真家の楢橋朝子が2014 年から15 年にかけて琵琶湖を撮り下ろした新作が展示された。
展示作品はいずれも、水中に浸かりながら岸辺の光景を撮った、半水面/半陸上・空が写った写真。揺れる波間に身を置き、コントロールを手放して撮影することで、安定した水平線が画面から姿を消し、水面/陸上、自然/人工、形の定まらない流動体/輪郭をもった固体といったさまざまな境界が不安定に揺らぎ、遠近感までもが狂っていく。生き物のように蠢く水、その彼方にあるはずの岸辺の光景は蜃気楼のように曖昧にぼやけ、クリアな輪郭を失い、不安定に斜めにかしぎ、あるいは眼前にせり上がった奔流に山並みや建物、ヨット遊びの人などが飲まれていくような感覚を覚える。画面を見ている私たちもまた波間に浮き沈み、飛沫に飲み込まれてしまうような不安定さ、重力を失った身体が上下する浮遊感……だがその感覚は不思議と心地よい。安定した二項関係、構図、視点が撹乱されるさまを、浪間に漂う身体感覚を共有し、撮る快楽とともに身体感覚ごと追体験して味わうことが、楢橋作品の大きな魅力であるだろう。
加えて今回の展示では、琵琶湖が一年間かけて撮影されている。咲き誇る桜を背景に半ばまどろむかのような灰色混じりの水、夏の青空を映し出す透明感をたたえた青、雪山の白さに突き刺さるような冴え冴えとした冬の黒、鉛のように重くたゆたう鈍い灰色……季節ごとに色を変え、多彩な表情を見せる湖面が実に魅力的だった。

2015/04/26(日)(高嶋慈)

2015年05月15日号の
artscapeレビュー