artscapeレビュー

2019年05月15日号のレビュー/プレビュー

青木陽「should, it suits, pleasant」

会期:2019/04/18~2019/04/30

Alt_ Medium[東京都]

青木陽は今回の個展「should, it suits, pleasant」に寄せたテキストに以下のように記している。

「世界は私たちの接する物事はほぼ全てが人為的なものです。それらの含む人の作為から逃れることはできない。そしてそれゆえ同じ用途に供するものであってもある部分に関して何故A’ではなくAなのかという事柄は無数に存在する。何かとても形容しがたいものを感じる。」

このような、「何かとても形容しがたい」という感慨を抱くことは、僕にもよくある。現実世界に目をやると、そこに溢れかえっている「人為的」な事物の連なりが、「何故A’ではなくAなのか」ということがわからなくなってしまうのだ。青木が写真撮影を通じて探り当てようとしているのは、日々の出来事のなかから不意に浮上してくるそのような些細な違和感、見慣れたものが見慣れないものに変容してしまう瞬間に形を与えようとすることだ。一見地味で、とりとめなくさえ見える彼の写真に目を凝らすと、青木がそのような場面に向けてシャッターを切っているときの歓びと手応えを、共有できそうに思えてくる。

彼が2013年に東川町国際写真フェスティバルの赤レンガ公開ポートフォリオオーディションでグランプリを受賞したときの作品は、モノクロームでプリントされていた。その後、引越しなどで暗室を維持するのがむずかしくなり、今回の作品はデジタルカメラで撮影してレーザープリンタで出力している。だが、そのややチープな、ノイズが入ったような色づかいのプリントの感触は、逆にいまの現実の有り様をそのまま正確に写し取っているように見える。そこには「世界がこんなふうに見えてきた」という切実なリアリティがある。2015年に第12回写真「1_WALL」展でグランプリを受賞するなど、青木の評価は一部では高まっているが、一般的な知名度はまだ低い。力のある作家なので、そろそろ写真集をまとめてほしいものだ。

2019/04/29(月)(飯沢耕太郎)

浜昇『斯ク、昭和ハ去レリ』

発行所:ソリレス書店

発行日:2019/04/29

荒木経惟は、1989年1月8日に、滞在先の山口から東京に戻って昭和天皇の崩御の翌日に皇居前広場に集まった群集を撮影している。同年2月24日の大喪の礼のときも、車列を見送る人々にカメラを向けた。これらの写真は、その年に日付入りコンパクトカメラで撮影した写真群を集成した写真集『平成元年』(アイピーシー、1990)におさめられている。

浜昇もまた、1989年2月24日の大喪の礼の日を中心に、その前後の日々を撮影していた。葬列を見るために集ってきた人々の傘、傘、傘の群れ、閉じられたシャッター、紙や布で目張りをされたショーウィンドー、日の丸の旗などが、「その人」の不在を生々しく浮かび上がらせる。やや黒めのプリントのトーンの選択が実に的確だ。ただ、浜は荒木と違って、これらの写真をすぐには発表しなかった。30年の時を経て、彼がいま写真集をまとめた意図は明らかだろう。平成から令和へと年号が変わろうとするこの時期に、あえてその前の昭和を振り返り、あわせて「天皇」という存在を問い直したかったからだ。

日本人の天皇制に対する思考停止の状態は、1989年の時点と比較してより強まっているように感じる。浜の写真群は、30年前の記憶の再検証を通じて、あらためてそのことに意識を向けさせるように編集されている。30年前の「記録」が、強いメッセージを含む「表現」に転化するまでにはそれだけの時間が必要だったということだろう。なお、浜昇は1975年にワークショップ写真学校の東松照明教室で学んだことから、写真家としての経歴をスタートさせた。もし東松が生きていたら、この作品をどのように評価しただろうか。戦後の写真史に新たな一石を投じる写真集といえるだろう。

2019/04/29(月)(飯沢耕太郎)

東京インディペンデント2019

会期:2019/04/18~2019/05/05

東京藝術大学大学美術館陳列館[東京都]

戦後日本の現代美術を牽引した「読売アンデパンダン」の再来を目指した? とおぼしき無審査自由出品制のインディペンデント展。それをなぜいまやるのか唐突な気もするが、最後の読売アンパンが開かれたのが東京オリンピックの前年の1963年で、今年は2回目の東京オリンピックが開かれる前年だから、というのが理由らしい。理由にもならないと思うかもしれないが,オリンピックみたいな国家事業は戦争と似たようなもので、「国民一丸」となって戦おうみたいな空気が醸成される一方、なにかと規制が多くなり、枠からはみ出そうとする個の表現などあっという間に消し飛ばされてしまうのだよ。

まあそこまで考えなくても、バブル以降(それは平成の30年間でもある)に現代美術のコンペがたくさん増えたとはいえ,平面に限る40歳以上はダメ5メートル以内に収めろ性表現はご法度だけど審査員はどこも同じ顔ぶれみたいな、小うるさい条件にうんざりしている表現者(の卵)も少なくないはず。そんなはみ出し者の受け皿を目指した展覧会といえるだろう。

出品者は予想をはるかに上回る630人を超え、作品は千点以上も集まった。おかげで事務局が混乱したのか、当初より5日遅れでスタートした。絵画、立体、インスタレーション、パフォーマンスなどが2フロアの壁や床にぎっしり飾られ、窓や柱にも展示されて、作品密度だけは今年度ナンバー1だろう。会田誠、千住博、名和晃平、湯山玲子、小沢剛ら聞いたことある名前もちらほら。時期が時期だけに天皇ネタや令和ネタもあるが、しっかり規制してないので安心した。なかには迷惑も考えずに巨大作品を出したり、数十点の連作を展示したりする輩もいるが、おおむね小品を1点だけ提出するつつましい表現者が大半を占めたのは,喜ぶべきか憂うべきか。まあ初めてだしね。願わくば最初で最後にならないように。

公式サイト:https://www.tokyoindependent.info/

2019/05/04(土)(村田真)

高橋睦郎『季語練習帖』

発行所:書肆山田

発売日:2019/02/25

現代日本を代表する詩人・高橋睦郎(1937-)による俳句集。ただし、その体裁は一般的な句集とはいささか懸け離れている。本書には、「新玉」「薄氷」「師走」といった季語について書かれた短いノートに加え、各11句を単位とする項目が101篇、都合あわせて1111の句が収められている。もともと俳誌『澤』の連載として始まったこの試みは、和歌・連歌以来の伝統的な季語である竪題から始まり、回を追うにつれ、やがて横題を含めた季語全般を扱うものへと転じていったのだという。

それぞれの季語に対する註釈・所感は読み物としても楽しく、なおかつそれが豊富な作例を伴うことにより、創作ノートとしての趣も帯びる。表題の「練習帖」とはいかにも控えめな表現だが、古今東西の詩歌に通じたこの詩聖の世界の一端を垣間見るのに、これほど適切な形式もあるまい。80歳をこえてなお止むところのないその旺盛な詩作の源泉は、万事に対するその透徹したまなざしにある、ということが本書を読むとよくわかる。

2019/05/06(月)(星野太)

Meet the Collection ─アートと人と、美術館

会期:2019/04/13~2019/06/23

横浜美術館[神奈川県]

1989年にオープンした横浜美術館の開館30周年を記念したコレクション展。まさに平成とともに歩んできた美術館だが、コレクションが開始されたのはそれに先立つ1982年のこと。現在12,437点を有するコレクション(版画や写真が3分の2近くを占める)のうち、今回は300点余りを「LIFE:生命のいとなみ」「WORLD:世界のかたち」の2部に分け、さらにそのなかにいくつか章を立てて紹介。加えて、束芋、淺井裕介、今津景、菅木志雄の4人のアーティストをゲストに招き、彼らの作品とコレクションとの関わりを提示する。

圧巻は、円形の展示室の壁面いっぱいに泥絵を描いた淺井裕介の《いのちの木》。何人もアシスタントを使っているが、これだけスケールの大きな壁画を制作しながら2カ月あまりの会期が終われば消されてしまうのは、なんとももったいない。今津景の《Repatriation》も中身の濃い力作。明治期の廃仏毀釈でアメリカに渡った快慶の《弥勒菩薩立像》や、ナチスに略奪されたクラナハの《イヴ》、大英博物館が大理石彫刻を所有しているため空っぽのアクロポリス博物館など、美術品の略奪と移動をテーマにした油絵の大作だ。

コレクションで興味深かったのは「あのとき、ここで」と題された章。両国大火を描いた小林清親の浮世絵、関東大震災の被災地を記録した渡邊忠久、川崎小虎、田村彩天らの版画をはじめ、ロバート・キャパ、デヴィッド・シーモア、アンリ・カルティエ=ブレッソン、沢田教一らの戦争記録写真、土田ヒロミや米田知子らの「記憶写真」など、美術ジャーナリスティックともいえそうな「複製作品」が並ぶ。ここだけで100点を超し、全体の3分の1を占めていて、量的にもテーマ的にも見ごたえがあった。振り返れば、横浜美術館が開館した1989年は、写真発明150年ということで「芸術としての写真」がブームになった頃。前年に開館した川崎市市民ミュージアムとともに、同館が写真を目玉の1つにしたのはわかるが、せっかく立派な美術館を建てたのに、大がかりな美術作品より写真に目が行くというのはどうなんだろう。いま頭に思い浮かべているのは、3年前に同館で公開された村上隆の「スーパーフラット・コレクション」のことだ。400万人近い人口を抱える自治体の美術館が、一個人のコレクションより見劣りするというのはちょっと寂しい。とふと思ったりして。

2019/05/06(月)(村田真)

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2019年05月15日号の
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