2019年08月01日号
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artscapeレビュー

2019年05月15日号のレビュー/プレビュー

プレビュー:『緑のテーブル 2017』公開リハーサル

会期:2019/06/01

デザイン・クリエイティブセンター神戸(KIITO)1階KIITOホール[兵庫県]

神戸を拠点とするダンスカンパニー、アンサンブル・ゾネ(Ensemble Sonne)主宰の岡登志子が、第7回KOBE ART AWARD大賞と平成30年度神戸市文化賞をダブル受賞した記念公演が、6月1日に開催される。上演される『緑のテーブル 2017』は、ドイツ表現主義舞踊の巨匠クルト・ヨースの『緑のテーブル』(1932)に想を得て、岡の振付により新たに創作されたダンス作品。2017年に神戸で初演されたあと、愛知、東京で再演を重ねてきた代表作である。本公演に先駆けて、公開リハーサルと記者発表が行なわれた。

岡は、ヨースが創立したドイツのフォルクヴァンク芸術大学に学び、ヨースの流れを汲む身体訓練技法を基礎としてきた。初演のきっかけは、大野一雄舞踏研究所を母体とする特定非営利活動法人「ダンスアーカイヴ構想」から、「ダンス作品の継承」という観点でヨースの『緑のテーブル』に想を得た作品制作の依頼を受けたことにある。パリの国際振付コンクールで最優秀賞を受賞した『緑のテーブル』は、振付の譜面である「舞踊譜」に記録され、現在まで上演され続けている。だが岡は、「譜面通りに伝えていくことだけが「作品の継承」か?」と問題提起。また、『緑のテーブル』は、ナチスが台頭する当時の世相を反映した「反戦バレエ」と解されているが、「根底には人間の生命への尊重があるのでは」という思いから、まったく新しい作品として創作したという。 モダンダンス=抽象的と思われがちだが、『緑のテーブル』には「政治家」「パルチザン」「兵士」「難民」「死神」といった「配役」があってタンツテアター色が強く、岡の振付でも配役はほぼ踏襲されている。一部のシーンを除いて通し稽古が行なわれた公開リハーサルでは、ユーモア、内に秘めた強い感情の表出、爛熟した享楽、現代社会への風刺など、シーンごとにガラリと変わる構成の妙がそれぞれのソロや群舞を通して感じられた。

また、この『緑のテーブル 2017』には、岡、垣尾優、佐藤健大郎など関西を代表するダンサーのほか、舞踏家の大野慶人が特別出演し、アンサンブル・ゾネのメンバー、バレエ団のダンサー、公募ダンサーなどさまざまなバックグラウンドを持つダンサーが参加している。大野の出演の背景には、ドイツ表現主義舞踊に影響を受けた1930年代の日本のモダンダンスの流れが、舞踏につながっていることがあるという。また、上演会場のKIITOは、旧生糸検査所を改修した文化施設だが、建物の建築年は『緑のテーブル』初演の1932年と奇しくも重なる。ダンス史、「ダンス作品の継承」という問題、アーカイヴと創造の関係に加え、ヨーロッパと日本、時代差、ダンサーの身体的バックグラウンドといった差異など、さまざまな問題を考えさせる機会になるだろう。


『緑のテーブル2017』愛知公演 2018
[撮影:阿波根治 © Osamu Awane]

公式サイト:http://ensemblesonne.com/

2019/05/09(木)(高嶋慈)

ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道

会期:2019/04/24~2019/08/05

国立新美術館[東京都]

都美の「クリムト展 ウィーンと日本 1900」の主役が画家クリムトなら、こちら「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」の主役は、クリムトの名がタイトルに入ってはいるものの、やっぱりウィーンという都市でしょうね。出品物もほぼすべてウィーン・ミュージアムから借りたものなので、クリムトの絵を期待して行くとがっかりするかもしれない。なにしろ前半は時代遅れの田舎臭い絵画や工芸がこれでもかと並び、なかなかクリムトにたどり着けないからだ。まあ、ウィーンという都市自体がヨーロッパの端っこにあるもんだから、田舎臭いのは仕方ないか。

いくつか妙な絵もあった。マリア・テレジアの肖像画の額縁の上部に、息子ヨーゼフ2世の肖像画がはめ込まれていたり、フランツ1世の書斎を描いた画面内の壁に本物の時計が取り付けられていたり、トリッキーな細工が施されているのだ。おもしろいけど、こんな小細工で注目を集めてどうするみたいな。19世紀前半のビーダーマイアー様式の絵画も、基本リアリズムなのに現実味に乏しくウソっぽい。19世紀末のクリムトまで名の知られた画家はひとりも登場せず、とにかく美術史の主流から完全に外れているのだ。と、バカにしてみましたが、ウィーンは芸術の中心パリからは遠いけど、神聖ローマ帝国からオーストリア・ハンガリー二重帝国の時代まで中東欧の首都であり、モーツァルト、ベートーベン、シューベルトを育んだ音楽の都であり、東はオスマントルコ帝国と接するアジアの玄関口であり、そのずっと東の果てで長いあいだ鎖国していた日本などに比べれば、はるかに発展していたことは言うまでもない。

とはいえ、やっぱりパリに比べれば近代化が遅れていたことは確か。パリでは19世紀後半にレアリスムや印象派などのモダンアートが登場し、その反動として象徴主義やアール・ヌーヴォーなどの世紀末芸術が注目されたのに、ウィーンではモダンアートが到来したのが19世紀末だったため、世紀末芸術とモダンアートが混在した、というよりモダンアートが世紀末芸術だったのだ。だから結論だけいうと、クリムトは印象派もポスト印象派も、象徴主義もアール・ヌーヴォー(ドイツ語圏ではユーゲントシュティール)も、あまつさえ20世紀の表現主義までひとりで抱え込まざるをえなかったのだ。もっといえば、それ以前のビーダーマイアー様式のリアリズム表現や工芸的な職人技、ジャポニスムの影響も内面化しているため、単線的な美術史では捉えきれない複雑な多面性が見てとれるのだ。あーそうだったのか、ひとりで納得した。

2019/05/10(金)(村田真)

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ギュスターヴ・モロー展 サロメと宿命の女たち

会期:2019/04/06~2019/06/23

パナソニック汐留美術館[東京都]

別に「ウィーン・モダン」展と同じ日に見ようと計画していたわけじゃなく、たまたまそうなっただけだけど、この2展を続けて見るのは悪くない。ギュスターヴ・モローは言うまでもなくパリの世紀末を彩った象徴主義の画家で、今回は特にサロメをモチーフにした作品を中心に展示しており、さまざまな意味でクリムトと比較できるからだ。ちなみに日本では10年に一度くらいモロー展が開かれているが、いずれもパリのギュスターヴ・モロー美術館からの出品。

展覧会は「モローが愛した女たち」から「《出現》とサロメ」「宿命の女たち」「《一角獣》と純潔の乙女」まで4章立てで、パレットやメモを含め計69点で構成されている。サロメを中心にすべて「女性」がテーマになっているのが世紀末っぽい。だいたい西洋美術に登場する女性は、聖母や聖女、良妻賢母、そして「宿命の女」の三つに分けられるが、世紀末に好まれたのが宿命の女、フランス語でいう「ファム・ファタル」であり、とりわけ男の首を獲ったサロメとユディトがもてはやされた。モローはサロメの挿話を何点も手がけており、今回は《サロメ》《ヘロデ王の前で踊るサロメ》《洗礼者聖ヨハネの斬首》など、油絵や素描を合わせて計26点が出ている。なかでも踊るサロメの前にヨハネの首が現れる《出現》は、表現主義的ともいえる描写の上に線描で装飾を加えたレイヤー表現で、きわめて斬新。

ほかにも《エウロペの誘拐》や《一角獣》など見ごたえのある完成作もあるが、大半は小ぶりの習作やスケッチ。なかにはなにが描いてあるのか判別できない抽象的な作品もあるが、そこにモローならではの多義性がある。クリムトが20世紀の表現主義に一歩踏み出したように、モローも視界の先にフォーヴィスムや抽象を見据えていたのかもしれない。会場となった汐留美術館は、フォーヴィスムの画家ジョルジュ・ルオーのコレクションで知られているが、意外なことにルオーはモローの弟子だったのだ。

2019/05/10(金)(村田真)

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荒木悠「LE SOUVENIR DU JAPON ニッポンノミヤゲ」

会期:2019/04/03~2019/06/23

資生堂ギャラリー[東京都]

作品は全部で10点ほど出ているが、メインは《The Last Ball》という映像。ピエール・ロティの紀行文「江戸の舞踏会」を下敷きにした芥川龍之介の短編小説『舞踏会』に基づくという。スクリーンは壁面と宙づりの2面あるが、宙づりのスクリーンは表裏に映されるので計3面になる。まず壁面を見ると、西洋人の男性(ロティ)と日本人の女性(明子)がワルツを踊っているように見えるが、よく見ると2人はお互いに追いかけながらiPhoneで相手を撮っているようだ。宙づりスクリーンの片面には女性を撮っている男性が、もう一面には男性を撮っている女性が、それぞれiPhoneをこちらに向けながら逃げ回るように映っている。見る(撮る)者が見られ(撮られ)、見られる(撮られる)者が見る(撮る)。これがロティ(および明子)の視線だとすれば、それを見る(撮る)第三者の視線は芥川の視線に重なるだろうか。非常に重層した構造をもった作品。

2019/05/10(金)(村田真)

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永坂嘉光「空海 永坂嘉光の世界」

会期:2019/04/18~2019/06/03

キヤノンギャラリーS[東京都]

永坂嘉光は1948年に和歌山県高野山に生まれ、大阪芸術大学に在学していた20歳の頃から、生まれ育った高野山一帯を撮影し始めた。以来50年にわたって、ライフワークとして撮り続けてきた写真を集成したのが、今回の「空海 永坂嘉光の世界」展である。

永坂の写真を見ると、やはり子どもの頃から慣れ親しんできた高野山を、そのまま自然体で撮影し始めたことが大きかったのではないかと思う。高野山はいうまでもなく、空海(弘法大師)を開祖とする真言宗の聖地であり、一大宗教都市でもある。だが、永坂の写真には、ともすれば古寺や仏像を撮影する写真家が陥りがちな、エキセントリックで神懸かり的な雰囲気はほとんど見られない。むろん朝霧に包まれた根本大塔の遠景や、吹雪の日の壇上伽藍、夏の台風が通り過ぎたあとに水平にかかる虹の眺めなど、奇跡とも思えるような瞬間を写しとめた写真はたくさんある。だが、それらを含めて、永坂は画面構成や露光時間を厳密に設定し、こう写るはずだという予測のもとにシャッターを切っている。時に予測を超えた光景が「写ってしまう」こともあるが、それも含めて「写っている」ものを受け容れていこうという姿勢は一貫している。別な見方をすれば、彼の写真は、あらゆる観客、読者に向けて開かれた普遍性と奥行きの深さを備えているともいえるだろう。

今回の展示では、高野山だけでなく、空海が修行した四国や中国で撮影した写真を含めて、その足跡を「地、水、火、風、空」の「五大」の集合体として捉え直そうとしている。東寺の五大明王像や両界曼荼羅図の写真を含む、内陣のような空間を会場の中央に置いた展示構成も、とてもよく練り上げられていた。永坂の写真の世界は、空海や高野山に留まることなく、より拡張していく可能性を秘めているのではないだろうか。なお展覧会にあわせて、代表作147点をおさめた写真集『空海 五大の響き』(小学館、2019)が刊行された。

2019/05/11(土)(飯沢耕太郎)

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