artscapeレビュー

2010年08月15日号のレビュー/プレビュー

MAMプロジェクト012 トロマラマ

会期:2010/07/24~2010/11/07

森美術館ギャラリー1[東京都]

インドネシア発の世にも珍しい版画アニメ。そのために用いた400枚以上の版木や、ボタンとビーズによるコマ撮りアニメも公開。アニメの世界的拡がりには注目すべきものがある。

2010/07/23(金)(村田真)

淺井裕介「植物と宴」

会期:2010/07/23~2010/09/04

アラタニウラノ[東京都]

近ごろ急速に引っぱりダコ化してる淺井の個展。彼の絵の本領は、マスキングテープを壁に貼った上にドローイングしていく「マスキングプラント」と、壁に現地調達した泥などで絵を描いていく「泥絵」の2種だが、どちらも壁画で、おまけにいずれ消滅するから売りものにならない。画商泣かせの画家だ。もちろん絵具を使って単体の絵も描くが、ほっとくとすぐ壁にはみ出していく。それが彼の本領だから、だれも止めてはならない。

2010/07/23(金)(村田真)

石川真生「セルフポートレート─携帯日記─」「日の丸を視る目」/「Life in Phily」「熱き日々 in キャンプハンセン」

[東京都]

石川真生「セルフポートレート─携帯日記─」「日の丸を視る目」
会期:2010年7月23日~8月21日
TOKIO OUT of PLACE[東京都]
「Life in Phily」「熱き日々 in キャンプハンセン」
会期:7月23日~8月15日
ZEN FOTO GALLERY[東京都]

沖縄の“女傑”石川真生が今年も東京で個展を開催した。しかも去年も展覧会を開催した東京・広尾のTOKIO OUT of PLACEに加えて、今年は渋谷のZEN FOTO GALLERYでも、あわせて4つのシリーズを同時に展示している。クレイジーに暑い夏がますますホットになるような、熱気あふれる作品群だ。TOKIO OUT of PLACEでは5回の手術を受けた自分自身に携帯電話のカメラを向けた「セルフポートレート─携帯日記─」と、日の丸の旗についてのそれぞれの思いをパフォーマンスとして表現してもらう「日の丸を視る眼」(2009年撮影の撮り下ろし)を、ZEN FOTO GALLERYでは知り合いの黒人兵を追って彼の故郷のアメリカ・フィラデルフィアを訪問した「Life in Phily」(1986年)と、自ら黒人兵向けバーのホステスとして働いていた日々を記録した「熱き日々 in キャンプハンセン」(1974年)が展示されていた。どの作品も「何をどう見せたいのか」という視点と目標が明確で、ピンポイントに見る者の懐に飛び込んでくる強さを感じる。特に注目すべきなのは、1982年に比嘉豊光との共著として刊行されたデビュー写真集『熱き日々 in キャンプハンセン』(あーまん企画)に掲載された写真の貴重なヴィンテージ・プリントの展示だろう。この写真集は残念なことに写真集の被写体になった人たちとのトラブルがあって、絶版状態になっている。東松照明が「ミイラ取りがミイラになった」と称した体当たりの撮影の迫力は、ごくわずかだけ保存されていたというプリントからもいきいきと伝わってきた。石川真生自身が撮る側と撮られる側に分裂してしまうという写真集の構造自体も面白い。むずかしいとは思うが、写真集の復刊が実現できると素晴らしいのだが。なお2つのギャラリーの共同出版で、写真集『Life in Phily』が刊行されている。

2010/07/24(土)(飯沢耕太郎)

「ヤン・ファーブル×舟越桂」展

会期:2010/04/29~2010/08/31

金沢21世紀美術館[石川県]

ヤン・ファーブルと船越桂という、ベルギーと日本の現代美術家の二人展。接点がなかったはずの二人に、必然的ともいえる接点を見出していこうとする展示は、見ていて緊張感があった。東西の二人が対話するだけでなく、ファーブルの作品にはフランドルの絵画が、船越の作品には明治期の仏教絵画が対置され、また挟まれることで、それぞれが古典とも対話するという、キュレーションの構造が見えてくる。実際、扱っているテーマはふたりとも似ている。ファーブルは自分の血や昆虫、剥製など、生命にまつわる素材を用いた作品によって、船越は楠を用いた異形の人間像の彫刻から両性具有のスフィンクスにまで至る作品によって、生と死というテーマが深く探求されている。二人とそこに対置された古典というそれぞれに接点があるのかどうか、それが問題ではなく、現にこのようにして接点が設けられ、ベルギーと日本、古典と現在という関係を超えていくような思考を可能にする、興味深い展覧会だった。ところで、ヤン・ファーブルは『ファーブル昆虫記』で知られるジャン・アンリ・ファーブルの曾孫だと聞いて、妙に納得した。生命に対する並々ならぬ関心とともに、作曲家であり詩人であったというジャン・アンリ・ファーブルと、現代美術家でありながら演出家、振付家でもあるというヤン・ファーブルの間にも、時空を超えた関係性を感じてしまう。とはいえ、このような有り得そうな関係性を飛び越えた、今回の二人の組み合わせによる展覧会は、キュレーションの自由度と可能性といったものを感じさせた。

展覧会URL:http://www.kanazawa21.jp/data_list.php?g=19&d=853

2010/07/24(土)(松田達)

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高嶺格「~いい家、よい体~」展

会期:2010/04/29~2011/03/21

金沢21世紀美術館[石川県]

正確にいえば、高嶺格の本展示は現時点でレビューすることはできない。なぜならこの展示は金沢21世紀美術館の長期インスタレーションルームにおいて、二つの展示を行なうものであり、筆者が7月末の時点で見ることができたのは前半の「よい体」のみだからである。後半の「いい家」は8月末からはじまる予定だというが、前半にだけでも触れておこう。前半の展示は、ある古い民家を解体して運ばれてきた引き戸や欄間などが壁などに配置され、また中央に設置された民家の一部の床には映像が投影されたものであった。映像は、ガラスの上を動く何人かの人々を、その下から撮ったようなものであり、床下に床上で動く人々の痕跡が残像のように浮かび上がるような仕掛けである。音声は金沢弁での問いかけに英語が答え、英語の問いかけに金沢弁で答える(答えはすべて「あんやと」「Thank you」)ものであり、さらにしばらくいると轟音が鳴り、全体がまるでリセットされたかのようになった後、再び映像と音声が始まる。民家に残る記憶の痕跡と遠い時空(他者)との対話とでもいったらよいのだろうか。轟音は、雨の多い金沢にいると時々信じられないような豪雨が降ることもあるので、感覚的に金沢の民家における時空間を引き寄せていると感じられた。ただし前半のこの展示だけでは、高嶺氏の展示意図は、まだよく分からなかった部分もある。おそらく土嚢や廃材を用いて家を構築するという後半の展示によって、その意図が明らかになってくるのではないだろうか。

展覧会URL:http://www.kanazawa21.jp/data_list.php?g=45&d=855

2010/07/24(土)(松田達)

2010年08月15日号の
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