2022年07月01日号
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artscapeレビュー

中平卓馬「Documentary」

2011年02月15日号

ShugoArts[東京都]2011年1月8日~2月5日
BLD GALLERY[東京都]2011年1月8日~2月27日

中平卓馬が清澄白河のShugoArtsと銀座のBLD GALLERYで、ほぼ同時期に写真展を開催している。作品そのものは2004~2010年に撮影した縦位置、カラーのスナップからセレクトし直したもので、既発表のものもあり、新たな展開というわけではない。というより、2000年代になって中平の撮影と発表のスタイルはほぼ固定されている。僕はどちらかといえば、スタイルの固定化に対しては否定的なのだが、中平の場合はそれがあまり気にならない。1976年の急性アルコール中毒による逆行性記憶喪失からのリハビリの過程において、彼が選びとった写真のあり方は、文字通りの「原点復帰」であり、これ以上動かしようがないものに思えるからだ。「原点」というのは、あらゆる写真家にとってのそれということでもあり、誰もが彼の作品を見れば、カメラを最初に外界に向けた「はじまり」の日のことを思わないわけにはいかないだろう。そこにあるすべてがみずみずしく、自らの存在の光を発するように輝き、世界は生命の波動に満たされている。それをカメラで捉え、定着していくためのやり方を、中平は揺るぎないものとしてしっかりと確立したということだ。
ただそれを実行していくためには、被写体にまとわりつくあらゆる先入見や意味づけから自由であり続ける特殊な能力が必要だ。よく「子どもの目」とか「原始人の眼差し」といった言い方をするが、それは口でいうほど簡単なものではない。中平のようにやや普通ではない経験をくぐり抜けてこないと、なかなかそんな境地に達するのは難しいだろう。そういう意味では、彼のいまの状況そのものが奇跡ではないかと思えてくる。たとえば、彼がよく撮影する看板や標識──「四国讃岐手打うどん」「山吹(八重)」「日吉神社はこの先です」「と金[SUNTORY]」といった文字をどう解釈すべきなのか。これらの言葉は、何か特定の意味を担っているというよりは、現実世界における役割から解放されて、それ自体が奇妙な存在感を発して浮遊しているように見えてくる。言葉(文字)ですらも、中平のアニミスム的といえるアンテナによって、それが本来備えている「言霊」を回復しているように思えるのだ。
二つのギャラリーの展示の印象の違いも興味深かった。ShugoArtsでは90×60センチに大きく引き伸ばされた作品24点が、きちんと等間隔に並んでいた。BLD GALLERYの方は30×20センチのやや小ぶりなプリント150点あまりが、壁に2段に貼り付けてある。作品と資料としてのあり方を行き来する中平の写真行為が、それぞれの展示から見えてくる気がする。なお、Akio Nagasawa Publishingから,今回の展覧会のカタログを兼ねた堅牢な造本の写真集が刊行されている。

2011/01/13(木)(飯沢耕太郎)

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