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2013年09月15日号のレビュー/プレビュー

あいちトリエンナーレ2013 揺れる大地─われわれはどこに立っているのか:場所、記憶、そして復活

会期:2013/08/10~2013/10/27

愛知芸術文化センター、東岡崎会場、松本町会場[愛知県]

実行委員会の岡崎会場視察に同行し、作品を案内する。ユニークな空間をもつ木造アーケードの松本町会場、空きスペースができた百貨店と駅ビル。それぞれに地方の都市ならではの、大都市・名古屋とは違うアプローチを提示することができたと思う。視察の終了後、岡崎から芸文センターへ直行する。オープンの日、ヤノベケンジさんの作品「太陽の結婚式」で最初の結婚式が行なわれ、最初にあいさつの言葉を依頼されていたからだ。ぎりぎり間に合う。やはり、実際の結婚式がなされることで、この空間はさらに魅力を増し、生き生きとする。ちなみに、まだあいちトリエンナーレ期間中の挙式は募集中である。

2013/08/10(土)(五十嵐太郎)

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戦争/美術 1940-1950 モダニズムの連鎖と変容

会期:2013/07/06~2013/10/14

神奈川県立近代美術館葉山[神奈川県]

神奈近葉山の開館10周年記念展。10周年なのに、なぜはるか昔の第2次大戦を挟む40年代展を企画したのかというと、神奈近が鎌倉に開館するのが1951年なので、それ以前の10年間を振り返ってみようということらしい(出品作品の制作年は1935~60年)。まあ理由づけなんかどうでもいい。興味があるのは、戦争画とそれ以外、とくに敗戦後の絵画との対比だ。ところが予想に反して戦争画は少なく、東京近美所蔵の「作戦記録画」は藤田嗣治の《ソロモン海域に於ける米兵の末路》と《ブキテマの夜戦》、山口蓬春の《香港島最後の総攻撃図》のわずか3点のみ。さすがに戦中は戦争画ではなくても戦争に関連する絵が多いが、日常的な主題の絵も少なくない。ざっくりいうと、日本の美術史は40年代に戦争画が割り込むによって戦前と戦後に分断され、しかも戦争画を抜いたら戦前・戦後は「前衛」によって接続可能だと思っていたが、そんな図式的にきっちり変化したわけじゃなく、グラデーションのように徐々に変化していったことがわかる。サブタイトルの「連鎖と変容」はそういうことだった。

2013/08/11(日)(村田真)

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生誕100年 松田正平展

会期:2013/06/08~2013/09/01

神奈川県立近代美術館鎌倉[神奈川県]

葉山に行ったついでに鎌倉にも寄ってみる。松田正平という画家は初耳だが、鎌倉で回顧展を開くほどだからきっといい絵に違いない。山田洋次や片岡鶴太郎らファンも多いらしく、洲之内徹など「比類のない美しい絵肌」と絶賛したらしい。チラシにも「飄々とした」とか「味わい深い」とか「洒脱な中にも厳しさを兼ね備えた詩情豊かな」とか、それこそ「詩情豊かな」言葉が並ぶ。しかしざっと駆け足で見たが、なにがいいんだか、どこが味わい深いんだか、なんで詩情豊かなんだかさっぱりわからなかった。こういうのは一生「わからない」だろうなあ。

2013/08/11(日)(村田真)

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野中ユリ「美しい本とともに」

会期:2013/06/08~2013/09/01

神奈川県立近代美術館鎌倉別館[神奈川県]

作者から作品が寄贈された記念に約120点を展示。野中ユリといえば、70年代の『現代詩手帖』や『ユリイカ』の挿絵としてよくコラージュや版画が使われていたなあ。瀧口修造や澁澤龍彦らと同じ記憶庫に眠っている。ぼくの脳内の話ですよ。作品は印刷を前提としたコラージュが多く、小品が大半なので美術館で鑑賞するもんではないな。でも掲載誌もいくつか出品されてるし、くつろいだ雰囲気の別館だから許しちゃる。

2013/08/11(日)(村田真)

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国際シンポジウム「現代ケンチクの日本」/オープニングシンポジウム「『カタストロフ』という機会─The Opportunity of Catastrophe─」

会期:2013/08/11

愛知芸術文化センター 12階アートスペースA[愛知県]

11日は二連続で国際シンポジウムが行なわれた。「現代ケンチクの日本」はモデレータの渡辺真理さんが、「ARCHITECTURE」の訳語としての「建築」ではなく、いまは世界に発信していく日本独自の「ケンチク」が生まれているのではないかという興味深い仮説を提示したが、時間が足りず、あまりこの議論を展開できなかったのは残念だった。もっとも、アメリカ、ヨーロッパ、アジアから見る日本建築の状況を知ることはできた。
続いて、同じ会場では、ミハイル・カリキスのボイス・パフォーマンスを挟んで、あいちトリエンナーレのテーマに絡めた「カタストロフという機会」のシンポジウムが開催された。筆者はカタログに寄稿する内容を軸に、今回のコンセプトについて語る。連続的に数字を次々に見せる、ジャーによる詩のようなプレゼンテーションはカッコいい。またシンポジウムのプレゼンテーションを通じて、宮本佳明さんの今回の福島第一さかえ原発と、阪神大震災後のゼンカイハウスの共通点に気づいたのも収穫だった。後者は壊れた木造に鉄骨のフレームを挿入、前者も愛知芸術文化センターに原発を転送している。つまり、いずれも異なる建築形式を重ね合わせている。

2013/08/11(日)(五十嵐太郎)

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2013年09月15日号の
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